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1.バター丸かじり

 夏も朝夕は気温が低いという。


 嘘である。


 そんなのは早朝くらいの話。

 いや実際、現代社会日本の我々からすれば、この時代この緯度の王国は冷涼地だろう。


 が、当時の人には夏は夏、HOTな季節なのだ。






「暑いねぇ」


 始業時間から1時間ほど過ぎた『ケンジントン人材派遣事務所』。


「暑くてなーんもやる気が出ないよ」


 デスクで()()()()()居住まいを披露するのはタシュ。

 格好もシャツを第3ボタンまで開き、上も下も袖を肘膝まで捲っている。

 その状態で犬みたいに舌を出しながら、団扇で首筋を扇いでいる。


 彼の前には今日も書類が置かれているが、宣言どおり手を着けていない。


 その左斜め向かい。


「部屋が狭いせいですね。引っ越しませんか? こんなゴミ物件」


 自身のデスクに着き、彼の方を見ず辛辣なことを宣うのはジャンヌ。

 彼女の視線の先にあるのは、


「えー? 愛着とかないのかい?」

「愛着で涼しくなれるとは、温血冷血以外の動物分類が存在したのですね」

「いや、涼しくはならないね。何せジャンヌと愛の巣で二人、熱く燃え上がっているのだから!」

「どうか頭から冷やすように」

「それでさ。僕は今涼しくない、むしろファッキンホットなんだけどさ」

「えぇ」

「だからさ」

「えぇ」


「それ、勘弁してくれない?」


 向こう側が見えなくなるほどに立ち昇る湯気。

 熱々を超えてカンカンの紅茶がカップに注がれる。


「気温と湿度が上がるんだけど。そもそもなんでこんな日に煮えたぎらせてるの。マゾヒストなの?」

「うるさいな。湯を掛けるぞ」

「サディストになれとは言ってない」

「こっちの方が、砂糖がよく溶けるんですよ」

「砂糖?」


 言うや否やジャンヌはカップへ、埋め立て作業のように角砂糖を放り込む。


「どうしたんだい、急に。いや、君も人並みに甘いものは好きだろうけどさ。ここまで執着あった?」


 タシュは一旦身を乗り出して様子を確認したが、すぐにドン引きして体も引く。

 しかしジャンヌは気にせずオン・マイ・ロード。

 砂遊びのバケツみたいな液体を無理矢理かき混ぜる。


「カロリーを摂取しようと」

「そのレベルの? 南限探査隊から依頼でも来てるのかい?」

「タロとジロとあなたは置いて帰ることにしましょう」

「世界観壊すメタネタ使ってまで言う罵倒かな。で、何が君をそんなに駆り立て……」


 タシュが言い終わらないうちに。


 ぐぐぅ〜、と


 ジャンヌの腹から音が鳴った。


「……」

「……」


 訪れる数秒の沈黙。

 それが鼓膜で先ほどの残響をアピールさせる。


「……恥ずかしがらなくていいんだよ?」

「うるさい」

「朝食べてないの?」

「うるさい。この腹も口うるさいヤツめ、黙っていればいいものを」

「無茶苦茶言うなぁ」

「東洋のハラキリなるもので黙らせてやろうか」

「むしろパックリ口が開いてんだよなぁ」


 タシュは席を立ち、3階への階段に足を掛ける。


「寝坊したのかな? 何か食べ物持ってきてあげよう」

「私は寝坊などしませんよ」

「だろうね。血圧が高い攻撃性してる」


 彼は一旦上階へ姿を消すと、ややあってトレーを手に戻ってくる。

 メニューはパンとチーズとゆで卵。


「さぁお食べ」

「屈辱です」

「何言ってんの。伯爵に奢られるよりマシだろ?」

「貧者の一灯を搾取するより、ノブレス・オブリージュを受け取る方が」

「誰が貧者だい。それにカフェ・ソスペーゾは金持ちじゃなくてもやるもんさ」


 タシュはパンにチーズを載せると、無理矢理ジャンヌの口へ押し込む。

 彼女がシュレッダーのように素直に飲み込んでいくのを見て、ようやくデスクへ戻る。


「で、寝坊じゃなきゃどうして朝抜いたりするのさ。その砂糖と胸じゃ、ダイエットじゃないだろうし」

「おまえを獲って食うぞ」

「で、どうしてなの」


 タシュがズイッと身を乗り出すと、


「節約を、ですね」

「節約ぅ? 朝食も食い詰めるほどって君、土地でも買うのかい?」


 ジャンヌは今度こそ、腹の虫より恥ずかしそうに目を逸す。


「いえ、単純にお金が」

「貧者は君だったのか! でも給料はしっかり払ってるはずだよ? 僕の知らない趣味の競馬でもあったのかな?」


 彼女は数秒黙っていたが、


「いえ」


 首を左右へ振る。

 諦めて素直に話そう、ということだろう。


「母に仕送りをしていましてね」

「あぁ」


 タシュが納得したように頷くと、



「孝行なことじゃないか」



 代わりに相槌を打ったのは、事務所に入ってきたアーサーだった。


「ふー、暑い暑い」


 こちらも第2ボタンまで開けている伯爵、いつものようにソファへ収まる。


「いや失礼。立ち聞きする気はなかったんだが、聞こえてしまってね。うむ、確かに儲かっているだろうからね。それも悪くないだろう」


 彼は脚を組むと、ジャンヌ側の肘掛けに()()()()()()


「だが、そこまで送らなければならないものかね?」


 対して。

 王国人は猫舌が多い。彼女はようやく紅茶を口にすると、



「父はもういないのでね」



「そ、そうか」

「仕送りしないとまともに暮らせないのですよ。あぁ甘い。甘すぎる」


 なんでもなさそうに返す。

 アーサーが少し申し訳なさそうな空気を出すと、眼で制しすらする。


 自身の中で解決した、

 あるいは決して()()()()()()()()()()出来事なのだろう。


「なのでね、私はいつでもお仕事募集中ですよ。なんなら事務所を通さずバンバンどうぞ。中抜きがなくなる」

「中抜きはひどいな」


 タシュももう長い付き合いのなかで心得ているのか、いつものように笑っている。


 なのでアーサーも、その空気感を尊重することにした。


「そうか。だったらちょうどいい」

「と、おっしゃいますと?」


 彼の言葉に、無感情に凪いでいたジャンヌが食い付く。


「いやなに。これでも私はそれとなく君の宣伝をしていてね。聞き付けた知り合いから、話を繋いでくれないかと頼まれていたのだよ」

「詳しくお聞かせ願いましょうか」

「待ってよ。ちゃんと事務所通してくれるんだろうね?」


 完全に話の流れは変わった。

 タシュまで身を乗り出してきたところで、アーサーは居住まいを正す。



「知り合いの実業家の、遺産相続が少し荒れていてね」

お読みくださり、誠にありがとうございます。

少しでも続きが気になったりクスッとでもしていただけたら、

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よろしくお願いいたします。

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