7.料理は愛情(悲喜交々)
タシュは「あー」とつぶやき、アーサーは察したように食べる手を止める。
「それでより深く本人の記憶を読んだところ、
あれは『娘が生まれてから初めて奥さまが入院なさった日々』であると判明しました。
レッリさんにも同じ記憶が」
「確か体が丈夫じゃなかったんだよね」
「はい。なので奥さまの入院中は当然、コーリーさんが娘の食事を作るわけです。あのレシピ本も、こうなることを見越して用意されたものでした」
ジャンヌはアーサーにホットソースを渡す。
彼はとにかく味の芯がほしいのだろう。
「しかし当然、いきなり上手には作れません。慣れない分細かいところは雑。あとは男料理の常、味が濃かったようで。娘さんには不評な日が続いたそうです」
「なるほど。そんなある日、好評だったのが」
「このボロネーゼです」
アーサーの言葉に彼女は大きく頷く。
「作っている最中の記憶はもうありませんでしたが。食べている映像のそれは、よく見ると彩りが足りませんでした」
ジャンヌは立ち上がり、壁際へ向かう。
「面倒だからいろいろ具材が省かれたのでしょう。また、他の記憶を探るに」
そこにあるのはワインラック。
「使用した赤ワインは、奥さんが不在になり一人では飲みきれなかったボトルの残り」
彼女は勝手に並べられているうちの一本とソムリエナイフを持ってくる。
タシュが抗議するような表情を浮かべるが、何か言うまえにアーサーが割り込む。
「開けて日が経ち、劣化したワインか。味がボヤけるわけだ」
「しかしそれが味の角を立たせなかった。また、ボロネーゼはセロリを入れることが多いのですが。計画的に料理をする頭がないので、用意していなかった」
「香味野菜も足りてないんだね」
「でも逆によかったようで。ブリジットちゃんは母に懇願するほどセロリが嫌いでしたからね。『苦手なボロネーゼにしては』おいしい! となったことでしょう」
「なるほどね」
タシュは観念したように笑うと、ジャンヌからワインを受け取り自分で栓を抜く。
「そのときの喜びがあるから、この味が『思い出の味』なわけだ」
「そのうえでこんな味だから、レシピどおりに作っても。いや、ちゃんと作れば作るほど遠ざかっていくわけだ」
アーサーも話を引き継ぎつつ、
「しかしメッセンジャーくん」
別の新たな疑問を浮かべる。
「自分で作って、しかもここまで別物なら。これはもはや『妻のボロネーゼ』ではないのではないか? なぜコーリー氏はややこしい表現を」
「さぁ?」
するとジャンヌは頬杖をつきながらニコリと笑う。
「料理に無頓着で、作るシーンはキレイさっぱり記憶に残っていないくらいです。時間が経つにつれて奥さんが作ったものと混濁したのか」
「『思い出の味』なのにかい?」
タシュがグラスへ赤ワインを注ぎつつツッコむ。
「あるいは」
彼女はワインを受け取り、考えを巡らせるようにスワリングする。
「初めて上手くいった調理。『おいしい』と言ってもらうことの難しさ。ようやく妻から子育ての一環を受け継げたような達成感。それで改めて感じる妻の偉大さ。
そういった気持ちを込めての、『妻のボロネーゼ』なのかもしれませんね」
優雅にワインの香りを確かめるジャンヌだが、
「だったら一層忘れないと思うけどなぁ」
「この失敗作をしてそう宣うのは、むしろ侮辱に値すると思うぞ」
男性陣の賛同は得られないようだ。
しかし彼女も気にせず赤ワインを口に含む。
やはり終わった案件はどうでもいいのだろう。
それに、『メッセンジャー』だからこそ、
細かい人の心の機微を、うるさくつまびらかにするものではないと知っている。
それを察したわけではないだろうが。
「そういえばさ」
タシュも『これでおしまい』と話題を変える。
「なんでしょう」
「君らの『思い出のレシピ』はなんだい? 結局このまえ聞きそびれたからさ」
「あー」
このまえのハムステーキの話だろう。
ジャンヌが記憶を巡らせるより先に、アーサーが胸を張る。
「私は断然ミルクキャラメルだな!」
「へぇ、意外」
「伯爵のことですから、もっとやたらと名前が長い高級料理でも飛び出すかと。一粒1,000円はする高級店仕様ですか?」
「いや、普通にその辺のキャンディ屋で売っているようなものだ」
「ますます意外」
「君たちは私を嫌な成金の擬人化だと思っているな?」
このメンツに関しては被害妄想とも言い切れない評価の嵐。
しかし彼は気を取りなおす。
「私が11歳のときの話だ。ウチにはシャオメイという東洋系の混血の、奉公人の少女がいた」
「なんか始まったぞ」
「彼女は17歳。他のメイドのなかでも若く、愛らしく、かつ柔和な性格をしたおねえさんだった」
「うわぁ」
「年齢とかすぐ出てくるのはガチ感ありますね」
「私は兄弟を除けば一番歳の近い彼女によく懐いていた。が、一方で当時はシャイだったため、思うように甘えることもできなかったんだ」
「あらら、自分の世界に入ってら」
アーサーは童話を語るような調子で愛おしそうに続ける。
もはや彼には周囲のリアクションなど見えていない。
瞼の裏のシャオメイしか見えていない。
「そんな私だがある日、彼女に勇気を出して話し掛けることができた。休憩中の彼女は開いた窓の桟に肘をついて、キャラメルを食べていた。私は『何を食べているの?』と聞いたんだ」
「ねぇこれ最後まで聞かなきゃダメ?」
「あなたが始めたんでしょう」
「すると彼女は『しーっ』と人差し指を立てて、私にキャラメルをくれたんだ。小さいころは親が厳しくて、おやつなんて他所でしか食べられなかったからね。そっちに惹かれたと思ったんだろう」
メンドくさくなってきたジャンヌは、なんとなく窓へ目を向ける。
どうせこのあと自分にも順番が回ってくる。『思い出のレシピ』とやらを考えておかなければならない。
さすがに夏でももう外は暗く、黒いキャンバスに自分の姿が反射している。
椅子に座り、微笑みながら頬杖をついている大人の自分
のはずが
そこに映っているのは、仏頂面の幼い少女。
瞬間、脳裏に浮かぶ、
キッチンで、鍋をかき混ぜながらこちらを見下ろす、
『あなたも早く、この味を身に付けるのよ。ね、ピエール?』
「おーい、ジャンヌ?」
「っ」
タシュに声を掛けられハッとすると、
声の主の姿もかき消え、窓にはボーッとした大人の自分が映るばかりだった。
「どうかしたのかい?」
「あぁ、いえ」
「しかし私が13歳のころ。シャオメイは2年間働いたお金で、合衆国の大学へ行ってしまった。あれ以来彼女は王国に帰ってきていないし、会えてもいない。甘いキャラメルはほろ苦い思い出となってしまったんだ……」
「まぁ聞いてられない気持ちは分かるよ」
「そのとき私は心に刻んだんだ。『女性はアプローチしないといなくなってしまう』と」
「プレイボーイに悲しき過去」
タシュは適当な相槌でアーサーの長文を封殺すると、
「で、ジャンヌは?」
話題を彼女の方へ移す。
「えー、そうですね」
ジャンヌは視線をグラスの中に落とし、赤ワインを一口呷ると
「グリンピースのポタージュ、とかですかね」
曖昧に笑った。
──『メッセンジャー』は料理をする 完──
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