5.誰しも心にハムステーキの夜がある
「なんだかなぁ……」
「酔ってるねぇ」
その晩、ジャンヌ、タシュ、アーサーは立ち飲みパブにいた。
彼女はエールの入ったグラス片手にカウンターへ突っ伏している。
「余計な深掘りをして、寂しい思いをさせただけのような」
「つけつけしてるくせに気にしぃなんだから」
タシュはナッツを齧りながら笑う。手にはスタウト。
「『話さない心情を読む』というのは『立ち入らせたくない領域に触れる』とも言える。こういうこともあるさ」
アーサーは彼女を励ます流れで肩へ手を回そうとし、タシュに払われる。
最初は庶民が集うパブに行くと聞いて正直嫌そうな顔をしていたが、
今はシードル片手に「これぞ安酒」とご満悦。
まぁお忍びでストリップショーを見に行く男だし。
「私は余計なことをしたのだろうか……」
めずらしく落ち込むジャンヌの肩をタシュが叩く。
「そんなことないさ! 故人を偲ぶいいきっかけになったんじゃないかな」
その手を今度はアーサーが払う。
ペシッと少し威力のある音が鳴った。
「痛って。まぁ人間、悪い記憶は寝るまえ勝手に湧いてくるけどさ。いい思い出は意識的に磨きなおさないと曇ってしまう」
「ホコリと鏡みたいだな」
「そうとも伯爵! いいこと言う! どっちも定期的なお掃除が肝心なのさ」
聞いているのかは分からないが、特にジャンヌから反論はない。
「だから僕らも、思い出の料理について語ろうじゃないか!」
「ほう、それはいいな」
話題を変えるチャンスと思ったのだろう。アーサーも乗ってくる。
まずは言い出しっぺのタシュが人差し指を立てる。
「僕はそうだなぁ。ハムステーキかな」
「ハム。シャトーブリアンじゃなくてか?」
「なんてことないハムステーキだよ、お貴族さま」
おそらく彼はシャトーブリアンなど食べたことはない。
「小さいころ祖父ちゃんとキャンプに行ってさ。その夜に食べたんだよ。塊から普段の何倍も分厚く切ってさ」
だがタシュにとってそれは、高級肉にも負けない味わいがあっただろう。
「夜の針葉樹林は静かで少し寒い。ハムの焼ける音だけが薄く響くんだ。そこに温かい、香ばしい蒸気が上がるわけさ。白い煙が黒い夜空を割っていくのを目で追えば。そこには満点の星空が木の隙間から覗く」
「優しい児童文学のようだ」
「まさにそうさ。普段は寡黙で渋ヅラの祖父ちゃんがさ。そのときばかりは楽しそうだった。顔はいつもどおりなんだけど、あれは確実に楽しんでいた」
「食べるまえが一番うまいんだろうな」
肉の質やらはともかく。
情緒というものは庶民も貴族もないらしい。
アーサーはグッと手を握る。
「いいな! 今度3人でキャンプに行こう!」
「おや、僕も行っていいのかい?」
「いい話を聞かせてくれたことには報いるさ。いいだろう? メッセンジャーくん!」
ここでジャンヌの肩へ再度手を伸ばすアーサーだが、
一瞬早く彼女の方が起き上がる。
「うおっ」
「生き返った」
驚く男どもを無視するジャンヌは、
「そうか、そういうこともあるか」
フラフラと出口へ向かって歩いていく。
男どもは呆気に取られてそれを見送る。
「どうしたんだ?」
「酔って徘徊でもするのかな?」
「じゃあ止めないといけないじゃないか」
翌朝。
ジャンヌはブリジットと、またウィルの病室を訪れた。
『おいしい!』
『そうか! それはよかったなぁ!!』
読心によって浮かぶ光景は相変わらずだが、
「メッセンジャーさん?」
「いえ、大丈夫です」
今日の彼女は、確かそうに頷いている。
親子が不思議そうに顔を見合わせていると、
「ではコーリーさん。今度は特に何も考えずリラックスしてください」
「え、はい」
言われてウィルは、なんとなく窓の外を眺めはじめる。
ジャンヌにとって『相手が何も考えていない状態』というのは
『優先的に差し出されるものがない』ということ。
つまりキッチンで残留思念を読んだのと同じである。
地道な作業にはなるが、その分影響を受けず自由に思考や記憶を読める。
彼女はしばらく目を瞑ったあと、
「ではレッリさん。あなたもよろしいですか?」
「私?」
様子を見守っているブリジットへ手招きをする。
ジャンヌは近くに来た彼女の手を取ると、
「はい、リラックスしてー」
また同じように手を握り、記憶の海に潜る。
「はい、ありがとうございます」
それもまた終えると、ジャンヌはベッドサイドの椅子から腰を上げる。
「何か、分かりましたか?」
お決まりのようになりつつあるブリジットの問い。
であれば、これもいつもどおりなら首を左右へ振るジャンヌだが、
「えぇ、大体は」
「まぁ!」
「おぉ!」
今回は爽やかな微笑みを浮かべた。
これにはブリジットとウィルも声を上げる。
「それじゃあ、やっぱり私の思い出の味は!」
『ようやくUMAを見たことを信じてもらえた』
みたいな勢いで食い付く彼に対し、ジャンヌは
「どうぞ期待してお待ちください」
外したら取り返しがつかないくらいの余裕たっぷりで応える。
鼻の穴が膨らむウィルだが、
「ただ」
彼女は一転、制するように手のひらを向ける。
「明日か、明後日までお待ちください」
一旦ウィルの病室を出た二人。
「メッセンジャーさん!」
ブリジットは廊下の先を歩くジャンヌへ声を掛ける。
「なんでしょう」
「父の求めている、『母のボロネーゼ』のレシピが分かったんですよね!?」
「まぁ、そう、ですかね」
「それで『明日明後日』って、母のレシピはそんなに時間掛かるんですか?」
彼女は目を大きくしている。
そりゃ常識的に考えてボロネーゼはそんな料理じゃないし、
何より彼女自身、母が作る姿を見て、食べている。
ジャンヌが読むまでもなく、壮大な仕込みをしていた記憶などないだろう。
しかし当の彼女は、
「では私は、厨房を借りれるか病院と交渉してきます」
あっけらかんとして取り合わない。
「厨房!?」
話についていけないブリジットへ、
「だって、作り立てか冷めているかは、味に大きく関わるでしょう?」
ジャンヌはニッコリ笑う。




