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4.『母のレシピ』の真実

 翌日の昼まえ。


「すいません、わざわざ」

「いえ、私も掃除しなきゃと思ってたので」


 ジャンヌはブリジットの実家を訪れていた。


 今は妻も亡くなり娘も家を出てウィルの独り住まい。

 その家主が入院中のため、少しホコリっぽい匂いがする。


 しかしそれはジャンヌからすればの話。

 ブリジットにはじゅうぶん実家の空気らしく、


「それで、ここで何をなさるんですか?」


 何やら楽しそうである。

 別に今からやることにウキウキしているわけではないだろう。


「我々がある可能性を失念しているため、確認に来たのです」

「はて?」


 ジャンヌはチラッと視線を食卓へ。

 古くなっているが、ウィルの記憶にあったものと同じ。


「我々が失念している可能性。それは、


『レシピが間違っている』ということです」


「えっ?」

「より正確には、『お母さまが違っている』というか」


 彼女はキッチンに入ると手袋を外し、そっと調理台に手を触れる。


「あなたも日々の食事を作るとき、レシピ本を毎回は見ないでしょう?」

「それはそうですけど、あぁ!」

「普通は慣れてフリーで作るようになります。いちいち見るのも(わずら)わしいですし。ましてや調味料を量るとなると、もっと面倒」

「なるほど。メッセンジャーさんは『そもそも母がレシピどおりに作っていなかった』と」


 ブリジットが手を打つとジャンヌは深く頷く。


「まるっきり別物、ということもないでしょうが。多少のブレは出るものと思いまして」

「それはありますね。ただ」


 と、賛同していた声のトーンが下がる。

 彼女は周囲を見回す。


「それはもう確かめようがありません。母はもういないのですから」


 ブリジットは肩をすくめ、鼻から息を抜く。


 しかしジャンヌの方は、


「そうでもありませんよ?」


 彼女へ向かってニヤリと笑う。



「『残留思念』というのもご存知ですか?」



 ジャンヌは調理台を置いていた指でトントン叩く。

 小気味よい音がする。


「実はですね。物や場所にも、記憶や感情が残るんですよ」

「そうなんですか!」

「物なら大切にしてたとか、場所なら大きな出来事の現場とか。条件はあって、ケチャップみたいに簡単には染みませんが」


「でも、かつて毎日ここに立っていた母の姿なら?」


「そういうことです」


 彼女は調理台に正対すると、


 両手を広げ、体重を掛けるようにしっかり触れる。



「さぁ、在りし日のお母さまに聞いてみましょう」











 ジャンヌの頭の中で、走馬灯のように光景が流れる。



 お手伝いでポタージュを煮込む幼き娘の光景。

 ミートパイの生地を重ねる母の光景。

 男らしく分厚いステーキを焼く父を、母娘二人で後ろから見ている光景。

 ジャガイモの皮剥きが下手すぎて妻に笑われる夫の光景。

 ボロネーゼと騒いでいるくせに、ビーフシチューがナンバーワンと称える夫の光景。

 母娘でクッキーを焼く光景。

 裸にブカブカのシャツだけ着た女性が二人分の紅茶を入れる朝の光景。

 娘の誕生日ケーキにクリームを塗る光景。

 セロリを刻む母の足元で嫌がる娘の光景。

 サンドイッチを包み、後ろから現れたスーツ姿の夫に手渡す光景。

 皿洗い中に妻のお気に入りを割ってしまい落ち込む夫の光景。

 お手伝い中の娘が包丁で指を切り、大声で慌てる母の光景。

 何かあったのだろう、玉ねぎを切るまえから泣いている男の光景。



 残留思念を読むとき人と違うのは、

『あくまで物や場所に意思はない』

 ことである。


 人間は『特定のことを頭に浮かべる』ことができる。

 なので頼んだりカマかけて差し向ければ差し出してくれる。

 あるいは、隠し事などは常に頭を支配するのですぐに読み取れる。



 しかし無機物にそれはない。



 特にひたすら同じ行為を繰り返す場所ならともかく、ここはキッチン。


 彼女は膨大な記憶のなか、時系列もバラバラななかから、

 まずボロネーゼを作っているシーンをピックアップしなければならない。



 司書のいない大図書館で一冊の本を探すような地獄の作業。

 しかし幸いなのはボロネーゼということ。


 デカい鍋でパスタを茹でるという、目立つシーンがなければ飛ばせばいい。

 その程度の操作は可能である。

 彼女の脳処理能力のキャパシティ内においての話だが。



 何より、『メッセンジャー』たる彼女には慣れた作業である。

 多少時間を掛ければ、いくつかのボロネーゼ調理工程が発見される。

 それらを確認していくジャンヌだが。


 予想どおりブリジットの母はレシピ本を持たずキッチンに立っていた。

 調味料も大体の経験と肌感覚で投入されていく。

 つまり、


 塩のひと摘みだって毎度違う。

 ワインを何cc入れるかも、どれだけ火にかけるかも。

 麺の茹で加減も違えば、入れる野菜もその時々の安いもの。


 一定している要素を探す方が難しいまである。











 ジャンヌは深いため息をつくと、一旦食卓の椅子に腰を下ろす。


「何か分かりましたか?」


 恐る恐るのブリジットに対し、彼女は首を左右へ。


「その都度レシピが違いすぎる。あなたのボロネーゼを『これは違う』と言い張るほどの『正解』がない」


『まるっきり別物、ということもないでしょうが』


 まさか フラグになるとは。


「そうですか」


 ブリジットは小さく頷くと、


「ではやっぱり、父の思い込みというか。味ではなく『母が作った』ボロネーゼでないとダメなんでしょう」

「……かもしれませんね」


 嫌だとか悲しいとかではなさそうだが、ため息混じり。

 ジャンヌも目線を下げるしかなかった。






 その後ジャンヌはまた病院を訪れ、ウィルの記憶を読んでみた。



『おいしい!』

『そうか! それはよかったなぁ!!』



 しかし繰り返される映像は同じ。

 もう帰らぬ妻のボロネーゼと、在りし日の幼い娘の姿。


 味の正体は、届かぬ過去への郷愁なのかもしれない。

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