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3.記憶の味覚

 さて本題。


「失礼します」


 ジャンヌはウィルの手を握る。


「お父さん鼻の下伸ばさない」

「うひ」

「鼻の下は伸ばしても結構ですが、味の記憶に集中してください」

「すいません」


 どれだけ繊細な作業なのか、他者から推し量ることはできない。

 相手の手を握り、目を閉じ、むむむと眉根を寄せる姿しか見えない。


 が、このとき彼女の脳内では、











『おいしい!』

『そうか! それはよかったなぁ!!』


 食卓を挟んで向かいにいる少女。

 フォークをグーで握りはしないが、扱い自体はまだ上手くないのだろう。

 皿に擦ってカチャカチャ鳴らしている。


 年齢は一桁代後半くらいか。

 なので顔付きは多少変わっているが、


 ウェービーな髪は間違いない。

 幼き日のブリジットだろう。


『いやぁ、よかったよかった」


 そしてこの光景を視界に映している人物こそが、

 記憶の持ち主たるウィルなのだ。


 彼もボロネーゼを口に運ぶ。


『うん、うまい!』


 記憶の光景ゆえ、多少モヤが掛かった感はあるが。


 ジャンヌは在りし日の幸せな家庭を、じっくり追体験していた。











 ただ


「あの、いつまで」

「お静かに」

「はい」


 それならすぐにでも済みそうなものなのに。

 彼女は1分近くそうしていたかと思うと、


「ちょっと失礼」


 味見したはずの残っているボロネーゼをもう一度口へ運び、


「うー、むー」


 またウィルの手を握る。


「う〜〜〜〜〜んん」


 それからまた唸る、を繰り返したあと、

 たっぷり10分近くをかけて、ジャンヌはようやく背筋を伸ばし、ため息をつく。


 今までのデモンストレーションには3分とかからなかった。

 ブリジットもウィルも怪訝そうな顔をしている。


「それで、どうだったのでしょうか?」


 彼女が恐る恐る聞くと、


「ご自身もおありと思いますが」


 ジャンヌは首を左右へ振る。


「『味が違う』のは分かる。ただ『以前の味を正確に詳細に浮かべられる』わけではない。食べてようやく『そうそう、この味!』みたいな」

「あー……」


 ブリジットも察したのだろう。表情が苦笑いになる。


「そういうこと」

「ですね」


 つまりは読み取れなかったのだ。


「お役に立てず、申し訳ありません」


 タシュが見れば『槍が降る』と騒ぐ、控えめなジャンヌだが


「いいえ、そんなことありませんわ。はっきりしました」


 ブリジットは得心したように頷いている。

 彼女は片手を腰に当て、もう片方で父の顔を指す。


「つまり、父はちゃんと覚えてないのにテキトー言っている! ということ!」


 これにはウィルも両手を振る。


「いやいやいや、そんなことないって!」


 入院生活でカットはまだ先なのだろう、やや伸びた髪も追従する。

 しかし娘は容赦ない。


「あるじゃない! 昔好きだった駄菓子を食べて! 『あれ? こんなんだったっけ? 昔はもっとおいしく感じたのになぁ』ってなるヤツ!」

「あるけどさぁ。子どもから大人への味覚の変化と一緒にしないでくれ。大人から大人だよ」

「歳取ったり飲酒重ねたりで味覚が死んでってるのよ」

「ひどいな!」


 ここまで言われると、さすがにウィルがかわいそうな気もしてくるが。

 ブリジットだって散々落第判定された積もるものがある。


「メッセンジャーさん、ありがとうございました。これで父の幻影パスタに振り回されなくて済みます」

「そんなぁ」


 まぁ親子仲に溝があるわけではないだろう。

 ただ身内同士明け透けなだけである。


 そこに関してはジャンヌも気にしない。

 ただ、


「違うんですよぉメッセンジャーさん! 私にはちゃんと思い出の味が!」

「はいはい。もう役目は果たされたんだから迷惑掛けないの」

「あるんだって! 見つけてください!」

「ご依頼でしたら、お受けしますけども」

「いいんですよメッセンジャーさん。もう付き合わなくて」


 これだけ言われて『そうかな、そうかも』とならないウィル。

 ただ頑固親父なだけかもしれないが、やはり尋常ではない。



 言い張るだけの確信がある?

 確信が持てる程度には、確かな違いを感じている?



 彼女も『メッセンジャー』として引っ掛からなくはない。

 ジャンヌは腕組み唸ったすえ、彼に小さく頭を下げる。


「では本日は退散いたしますが、もう少し何かないか探ってみましょう」

「本当ですか!?」

「もう、メッセンジャーさん」

「安心してください。日数伸ばして割増請求、とかはしませんから」


 彼女は爽やかに微笑むと、


「レシピ帳をお借りしていっても?」

「えぇ、どうぞ」


 ひと足さきに病室をあとにした。






 その夜。


「そこで待っていてくれたまえ」


 商談を終えたアーサーは車を降りて運転手に声を掛けると、

『ケンジントン人材派遣事務所』の中へ入っていく。


 今日こそはジャンヌをディナーへ誘う。そう決めてきたのだ。

 彼女は何年かの付き合いのなかで、何度かタシュの野郎と食事したことがあるとか。

 王国版光源氏たる彼が負けているわけにはいかない。


 彼が花束片手に2階へ上がると、


「こんばんは、メッセンジャーくん……あれ?」


 そこはガス灯がついているのに無人だった。


「留守、なら灯りは消して帰るよな?」


 彼がキョロキョロしていると、


『あーもうジャンヌ! ジャンヌ! ジャーンヌ!!』

『うるさいですね』

『僕のキッチン!』


 3階から声がする。

 もしや、



「私を差し置いてイチャイチャしているのかっ!!」



 それが察するにお料理大会でも、

 否!

 手料理が振る舞われるのであればこそ!


「許せんっ!」


 アーサーは勢いよく階段を駆け上っていく。

 ベイクドビーンズで殺されかけたことなど覚えてはいない。






 結局3人は事務所スペースでボロネーゼを食べている。


「なんか僕のだけひき肉少なくない?」

「黙って食え」

「うーん、さすがにウチのシェフには劣るが。これはこれで悪くないんじゃないのか? 使うワインをもっと上等にするとか」

「それじゃ意味ないんですよ」

「君はダメだなぁ。女性の心をつかむには、なんでも『おいしい』って食べる男じゃないと」


 勝ち誇った顔のタシュだが、アーサーは華麗にスルー。


「それで、ボロネーゼといえば案件絡みだろうとは察せるんだがね。なぜ急に事務所で作っているんだい?」

「かくかくしかじかで」

「なるほど、とらとらうまうま」

「ペンギンペンギン」


 早い話、『作り手に問題があるのではないか』ということで。


 まずはブリジットがレシピどおりの味を再現できているか。

 作って確認してみようということである。


 これで同じ味だったなら

『レシピどおり=ジャンヌ=ブリジット=レシピどおり』

 ということになる。


 違う味だったとしても、ジャンヌの方が下手すぎる可能性は残るが。


「で、味の方はどうなんだい?」


 早速タシュが肝心の部分に切り込むと、


「うーむ」


 ジャンヌは少し首を傾げ、


「一緒、ですねぇ」


 鼻からため息。


「じゃあやっぱり、そのお父さんが間違ってんだよ。男なんていい加減だから」

「でなかったとしても、もう手掛かりもあるまい」


 男たちは口々に打ち切り宣言をするが、



「いえ。もう少し、調べてみたいことが」



 彼女にその気はないようだ。

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