6.町が見てきたもの
翌朝。
ジャンヌはまた広場に来ていた。
手にはサンドイッチの入った紙袋。
朝食もまだの様子である。
そのくらいの時間帯だというのに、広場はもうそこそこの人。
「これなら、あるかもしれない」
そう、この人の集まりこそが彼女の目的。
この中心たる広場なら、きっと町中の人が集まるだろう。
ということは、家にないティナの記憶が、ここにも多くあるかもしれない。
それだけではない。
もし本当に『金色の雨』があるなら。
大体いつでも人がいるような広場である。
ティナでなくとも、誰かがここで見ているかもしれない。
ジャンヌはそっと、円形の端の方で腰を下ろす。
人通りの邪魔にならない位置なら、長居しても文句は言われないだろう。
「町が成り立って以来の長い歴史が相手。さぁていつまで掛かるやら」
人一人でも人生を1から10まで読むのは時間が掛かる。
『メッセンジャー』の仕事でも、そう滅多とやることではない。
しかし今回は親から子、子から孫へと延々紡がれた何倍もの時間。
ジャンヌは手袋を外すと、代わりにアイボリーのつば広帽子を被る。
長丁場への日除けである。
サンドイッチを水で流し込み、準備を万端にすると、
そっと地面へ右手で触れる。
楽しそうに鬼ごっこをする子どもたち。
年に一度の蚤の市。
なんの祝祭か、輪になって楽器を演奏する男たちと中心で踊るドレスの女性。
プロポーズに成功して大喜びの男性、フラれる男性。
星空を見に来た子どもたち。
どうやって運んできたのかも分からない大鍋で作る海鮮パエリア。
大漁の魚を台に載せて、神か何かに捧げる人々。
夜、中央に大きな火を灯して、ビールの小瓶片手に肩を組んで歌う男たち。
軍服を着た若者たちに花飾りを渡す乙女たち。
数の減った若者たちを出迎える町の人たち。
それぞれの感情の大きさの違いがそうさせるのか。
古い記憶も新しい記憶も、順番がごちゃ混ぜになって現れる。
その一つ一つをじっくり鑑賞するわけではない。
言ってしまえば『雨が降った』ごとき記憶である。
これだけの出来事たちの前では、順番待ちがいつになることやら。
町中に慕われた町長の葬式。
都会で王位継承戦争が発生したと聞いて、余波に不安がる井戸端会議。
複数に分かれていたものが統一され、南半島王国が樹立した日のお祭り。
些細な口論から殺人に発展してしまった後悔の夜。
大きな火災があって、家から焼け出された家族たちの悲痛な表情。
町中の人たちが集まってきて、変わるがわる抱っこされる新しい命。
何かの催し事か、年齢一桁くらいの子どもたちが壇上で歌う姿。
大人の仲間入りを祝福される若者たち。
文字にすれば短くて単純で、どこにでもありそうな話ばかり。
それでも膨大な時代の流れであり、
ジャンヌが読み取るのは100分の1に満たないとしても、長い時間が流れた。
何時間経ったろうか。
まだ午前なのか、もう午後なのか。
時計を見ていないから分からない。
とにかくサンドイッチと飲んだ水分はもうカラカラ。
ジャンヌも集中が切れはじめ、一度休憩を挟むべきかと思ったそのとき
ある一つの記憶。
彼女の鼻先で何かが弾ける。
周囲を見ると、たくさんの人々がいて
上を見ればそれは、
なるほど、金色というかは人のセンスによるだろうが
光り輝く大量の水滴だった。
「おや、ジャンヌから電報だ」
15時過ぎ。
『ケンジントン人材派遣事務所』にて。
わざわざ呼び鈴を鳴らされ『電報でーす』と言われた一通。
電報と手紙の違いは、電気信号で内容がすぐ届くか否か。
つまりは緊急性。
早速名前を確認してみれば、『E R Regnessem』。
「『E R』? 『Ennaej - Erreip』だろう? Rはどこから?」
「まえにも、飛び降り自殺だかのときに聞いたろ? フルネームは『Ennaej - Erreip Reivilo Regnessem』なの」
「あー」
「てかなんでいるんだよ。しばらくジャンヌはいないんだって」
「監視だよ。君がこっそり抜け駆けして、メッセンジャーくんと海外旅行に落ち合ってないかの」
「さては僕のこと大好きだな?」
一応事業のためにキングジョージにいるはずなのに、暇がすぎるアーサー。
彼と二人で中身を検めると、
中には一言
“Nedlog Niar si dnuof.”
「こりゃあ」
「重大ニュースではないかね」
何もしていない男どもは、顔を見合わせるのだった。
ジャンヌの報告の翌日、13時半。
タシュは彼女を待たずに、フィルを事務所へ招いていた。
昨日あのあと、『ご依頼にについて報告があります』と急な電話を入れたのだが。
彼は電話口での報告を
『今日は少し忙しいので』
と断ったにも関わらず、
『明日、伺います』
と答えた。
胡散臭い事務所にすら依頼するだけの執念を感じる。
「というわけでして。『金色の雨』らしきものは存在するとのことです」
「そうですか」
「あとは『メッセンジャー』曰く、
『同じ光景を見ているティナさんの記憶を見つけて、確定させる』
とのことです」
タシュはその後ジャンヌに送ってもらった報告書の電報を読み上げる。
彼女は最初に『実在した』と送ったが。
『実在した金色の雨』と『ティナが言っているもの』が同じとはかぎらない。
そこでまだ南半島王国に残り、作業を続けている。
本来は全て終えてから本人が報告すべきとの考えもあるかもしれない。
しかし、南半島王国から王国へは船旅もある。
依頼時点で1ヶ月後のフィルの結婚式。
それまでに間に合わない可能性も出てくる。
それで『取り急ぎの報告』をしたのである。
そういうわけでの未完成な報告ではあるのだが、
「そうか、あったのか、『金色の雨』は……」
フィルはそれでじゅうぶん満足そうだった。
彼は今まさに頭上から雨が降っているかのように、数秒目線を上げたあと
「本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げた。
「いえいえ、ご満足いただけたなら何よりです」
タシュも普段の彼からは想像もつかない謙遜で応える。
「そりゃ、叶うことなら式より先に『金色の雨』を見ておきたかったですが。南半島王国に、テローに行けば見られるんですよね?」
「そういうことになりますね」
「だったら、いつか、いつか見に行こうと思います。『金色の雨』を」
朗らかに笑うフィルに、タシュは少し肩をすくめる。
「差し出口かもしれませんけど。ティナさんが言っていたのとは別かもしれませんよ?」
しかし彼は柔らかく首を振る。
「いいんです。きっとそれであっている。ティナが導いた先の答えなら、それが本物です」
「そうですか」
それ以上はもう何を言っても野暮。
二人はガッチリ握手を交わすと、
タシュが玄関で見送るなか、
フィルは一歩一歩を噛み締めるように雑踏へと消えていった。
その一部始終を、
『期限付きでもスピード解決! 今回もお手柄だね、さすが僕のジャンヌ!
君の愛しいタシュ・ケンジントンより』
とかいうコメント付きの電報で、ホテルの一室にて受け取った人物がいる。
もちろんジャンヌである。
しかし彼女は任務完了に満足するどころか、
なんとも言えない、
想定される不快とも取れない、複雑な表情を浮かべた。




