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小説が書けない君へ  作者: あかいの
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動機

以前上手く完結できなかった作品のリメイクになります。またよろしくお願いします。

 子供の時から死についてよく考えています。

 布団の中で考えることが多いです。僕は布団に入ってからだいたい一時間、多くて三時間ぐらいは眠ることができません。子供の時からそうでした。ショートスリーパーというわけではありません。睡眠時間は人並みに欲する体です。単純に眠ることが苦手なのです。運動が苦手な人がいるように、勉強が苦手な人がいるように、生きるのが苦手な人がいるように、僕は眠るのが苦手な人間です。五回ほど、布団の中でじっと動かないまま朝を迎えたこともあります。だから僕は布団の中で色々なこと考えたり想像したりして眠りに落ちるまでの時間を潰す習慣が付いていました。その時間潰しとしてよく使っていたのが、死でした。

 死の中でも特に死んだ後について考えることが多かったです。死んだ後、俗に言う魂と呼ばれるものはどうなってしまうのか。天国に行くのか、地獄に行くのか、どちらでもない全く異なる場所に行くのか、それとも魂は離れることなく体の中で永遠に留まり続けるのか、それとも死んだ瞬間に綺麗さっぱり消えて無と成るのか、などと色々考えました。いくら考えたところで結論なんて出ませんから、時間潰しには最適でした。

 死んだ後のことを考えると、自然に恐怖が湧き上がってきます。天国に行った場合でもそうです。子供の時こそ天国に行けば幸せな死後が待っていると、それこそ子供らしく考えたりしましたが、ある程度成長するとそれほど単純でないことに気づきます。人はいくらでも自身の眼鏡を地獄の色に染めることができるので、天国に行こうと地獄に行こうと左程変わらないことに気づくのです。であれば死んだら消えて無に帰えることが最も恐怖のない死後ではないかと考えたこともあります。しかし、自分の魂が、あるいは存在が消えてしまった世界を想像すると、やはりそこにも漠然とした恐怖が体の中でへばりついているのです。結局いくら考えようと、死について考える前(それは僕の場合、死という概念を知る前ということですが)と同様に、死が恐怖の対象であることに変わりなさそうです。

 僕はどうすれば死なくなるかを割と真剣に考えたことがあります。多分人間なら誰しも一度は考えたことがあるでしょう。人は誰しも死にますし、誰しも死の恐怖を知っているからです。そういう時が僕にも当然あったというだけのことです。

 誰しもが思いつきそうで、つまりまず僕が思いついた方法は不老の研究をすることでした。色々調べてみるとあながち非現実的でない印象を受けます。研究者の中にも人間が将来的に老いを克服することを予想している人はいますし、それを目指して研究に邁進している方もいるとのこと。まあだからといって不老の未来を鵜呑みにするのはそれはそれで早計ですが、割かし現実味のある方法ではありそうです。

 では仮に僕が研究に邁進し不老が実現できたとしましょう。それでも死の恐怖は拭えません。不老になったとしても、それは老いないというだけで、例えば電車に轢かれ細かな肉片に成ってしまえば死にそうですし、細かい肉片が集まって元の体に再生するというアニメや漫画でしか見たことない現象を起こせれば話は別ですが、それを将来的に実現することには流石にリアリティを感じられません。こう考えると、人間が完全な意味で死を克服することは決して無さそうです。

 そもそも僕は死が怖いというだけで、死にたくないと本気で思っているわけではありません。思考を日々重ねていく中で、ある日そのことに気づきました。先にも言ったように、人間は自身の眼鏡をいくらでも地獄の色に染め上げます。つまり天国にいようと、地獄にいようと、生きていようと関係ないということです。『生き地獄』という言葉の存在が示す通り、ある人間にとってはこの世そのものがまさに地獄で、僕にはそのように世界を見る才能だけはありました。

 つまり僕は死が怖いと思っている同時に将来的には死にたいとも思っている。そんな人間なのです。死の恐怖と死の願望が矛盾することなく自己の中で成立する、そんな人間だったのです。これに気づけば不老の研究は知的好奇心を満たす以上のものではなくなります。

 なら僕は何の為に生きているのだろうと考えます。死の恐怖と願望が両立するということは、僕は本当は死にたい人間であり、だけど漠然とした死の恐怖が自身を殺す衝動を抑制しており、その抑制力が今のところ常に勝っており、そんな状態ずるずると今のところキープし続けていると説明できそうです。

 なら僕がすべきこととは、その死の恐怖を何とか克服し、電車にぶつかりさっさと肉片と化してしまうことではないか?電車にぶつかるでなくてもいい。世の中には『自殺マニュアル』なんて本もあるくらいだ。参考になる死に方はいくらでもある。その中でも特に乙なものを一つ試して果てるというのも一興ではないか?そう思うにも関わらず、実際の僕は生き続けています。この矛盾の背景には必ず理由があるはず、と言うよりは、僕という人間は理由を求めてしまうのです。

 一つの説明としては、死の恐怖を乗り越えることが億劫ということです。死の恐怖を乗り越えることは大変だから、死ぬことが面倒くさいから、とりあえず生きているということです。これは部分的な説明にはなっていると思います。しかし十分な説明とは思えません。なぜなら、生きることも死ぬことと同じくらいには億劫だからです。少なくとも僕にはそうです。生きるのも死ぬのも同じくらい億劫であれば、僕が今生きているといのは、まるでコインの表ばかりが出続けるような、確率的に奇妙な事象に思えて仕方ありません。

 なら僕は何の為に生きているのだろうと改めて考えます。この問に対し、以前読んだ小説の中で「念のため」と答えたキャラクターがいました。それは僕の求めている解答に随分近いように思えました。違うところを上げるなら、僕はそこまで無欲な人間でなかったということです。生きているなら何かをした方がいい。いや、素直に、何かをしたいと思えるくらいには僕は人間です。

 なら何をしたいのかと考えます。今度は漫画になりますが、『等価交換』という概念を教えてくれた作品があります。何かを得るにはそれと同等の何かを差し出すという概念です。その作品は錬金術という魔法みたいなものがある世界で、等価値のものならその錬金術を使えば一瞬で生み出すことができます。十分な木材があれば家が作れますし、炭からダイヤモンドを作ることもできます。水35L、炭素20kg、アンモニア4L、石灰1.5kg、リン800g、塩分250g、硝石100g、イオウ80g、フッ素7.5g、鉄5g、ケイ素3g、その他少量の15の元素で人体も一瞬です。僕はもしこの世界に錬金術があったらと仮定した時、このようなことを考えました。自分の命を使ってでも生み出したいものは何だろうと。

 この思考は、俗に言う『生きる目的』とか『生きる意味』とか、そういったものを見つける行為に似ていると思います。命を使うということは、生きることそのものです。僕は随分と遠回りして人生で最も重要で考えなくてはならないことを考えだしたのでした。

 自分の命を何の為に使うか。もちろん電車にぶつけ無数の肉片を作るという派手で、なおかつ無意味な使い方もできますが、それでは勿体ない気がします。

 そう勿体ない。勿体ないのです。

 僕が自分を殺さないのは、億劫にも関わらず生きていたのは、それでは命が勿体ないと無意識に思っているからです。僕はそれぐらいには命に価値を感じていましたし、自分を価値のある人間だと思い込んでいました。だからこそ、あのような馬鹿げた計画を実行するに至ったのでしょう。今は命が勿体ない程度の理由で生きようとは思えません。

 話は変わりますが、人間には影響欲というものがあると思います。世界を自身の力で歪ませたいという欲求です。それは個人的には三大欲求すら凌ぐ欲と思える時もあります。僕の中にもその欲求は確かにあり、僕が世界に与える歪を最大化する為に命を使いたいと思いました。

 どうしてそう思ったのか。これまたおかしなことを言うようですが、僕には生き続けたいという欲求があったのです。死にたいと思いつつ、生き続けたいとも思っている。自分でも自分が解らなくなりそうですし、実際解っていないのでしょうが、その矛盾に不思議と違和感を覚えられないのです。この矛盾をあえて説明するなら、僕は死んで魂が消えた後でも、僕が生きた痕跡は世界に残しておきたい。その痕跡を強く深く残す為に僕は命を使いたい。そんな感じです。

 僕は世界に最も影響を与える手段として、物語を作ることを選びました。僕の中において最も影響を与えた森羅万象が物語だったからです。僕の両親は壊れていたので、道徳や倫理や生き方などを彼らから教わることはなく、物語の中からそれらを学びました。だから物語から受けた影響に関しては多分普通の人より大きかったと思います。自分の心を大きく歪ませる作品に出会うと、こんな作品を自分が作れたら死んでもいいと思ったものです。僕は錬金術で歴史に残るほどの名作を生み出せるのだとしたら喜んで命を使うと思います。

 物語を作る手段としては小説を選びました。僕には絵の才能が無さそうでしたので、アニメや漫画という今時の手段は難しく感じました。本当に錬金術みたいな手段があればそうしたかもしれませんが、現実には自分で実行可能な手段で作るしかなく、それは僕にとって文字を重ねることだったのです。

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