ビッグマンブルース 3
ナグサ大樹林の奥深く、暴れ回るアッシュとそれを止めるアードの攻防が続く。
アッシュは滅茶苦茶に腕を振り回して暴れている。
彼は暴力本能に全細胞を支配されてしまったというのか? 今この場でアッシュはそれこそ魔物のように猛威を振るっている。ならば逃げるべきなのはアードの方で、その脅威はアッシューーだとでもいうのか?
「……アッシュ、意識をしっかり! 大丈夫だからな!」
しかしアードはそんなことを考えもせずに、今度はアッシュの背後からぐっと彼を羽交い絞めにした。そして懐から取り出した状態異常ポーションを飲ませる。
しかしアッシュの力は少しも変わらない。口の端から落ちた液体が地面を濡らすだけだ。どうやらこのポーションには何の希望も託せないようだとアードは理解した。
暴走状態――正気を失い敵味方関係なく暴れ回るという状態異常だが、しかしアードは違和感を感じていた。
暴走状態と一口に言っても、攻撃する魔物によりその効果は多種多様だが、基本的に暴走は自我を失いかけながら暴れ回るパターンが多い。アッシュの暴れ方は、しかし腹を抑えて何かに抗うようにしているという感じで、自我は失ってない。アードの知る暴走とは違うように思われた。ならば混乱状態か? だが混乱状態特有の奇行や言語の乱れは見られない。どちらかと言えば体内の異変に上手く脳がついてこないという雰囲気。その異変を何ともできないため暴れる形になるのだと。
ということはこれはアードのか細い知識にある暴走や混乱とはまた違う、と仮説を立てる。
「ハンターか……」
ハンターーー状態異常攻撃を含む様々なスキルを持つ魔物のことだ。あちこちのダンジョンを、身を隠しながら徘徊している。容姿は人間の子供サイズだ。普遍的なモンスターではあるものの、ハンターの性格は狡猾で、他のモンスターから傷を受けた帰り道を狙うことが多いので、初心者傷売りにとって遭遇するのは死活問題になり得るとも。とはいえ、そこから追い打ちする生態はあまりない。嫌な攻撃だけしてすぐ逃走する、そういう魔物だ。
今回の傷もまたハンターの使うスキルの一つということか。
押さえたのが腹というところが気になる。どちらかと言えばこれは暴走や混乱よりも猛毒に近い状態異常かもしれない。痛みに耐えるために暴れているのではないかと。そう思い近付いた際にメリルの買った猛毒用の状態異常ポーションを飲ませてみたのだが、効果は見受けられない。
このままではいけない、アードはそう認識し懐から取り出した信号弾を撃った。数を揃えて全員で取り押さえないと、今の非力なこの身では彼を抑えることは不可能だと思ったのだ。
彼の思考にアッシュをこのまま置き去りにするという考えは当然なかった。
「アッシュ、帰るぞ。金が欲しいんだろ? だったらこんなところで立ち止まるな。生きて地上に帰らないと!」
アッシュを止めるためにアードは再びしがみつく。このままだと傷によってアッシュの精神が崩壊してしまうのではと、アードは危ぶんでいた。
けれど、
「やめろ! やめろ! 俺に近付くな!」
その拳がついにアードの頬に炸裂する。
「うっ――」
思いっきり吹っ飛ばされるアード。木の幹に体を叩きつけられる。意識を失うほどではない。仮にどんな攻撃でもここで意識を失うわけにはいかないと自分を奮い立たせる。
アッシュはアードに謝罪の言葉を述べる余裕すらないようだった。赤子が癇癪を起こしているように地団太を踏んだり手が虚空を裂いたりしていた。
しかしマジカルマッシュルームの傷が残っているのか時折咳をして息を荒くしている。ここから本来のアッシュの体力ではないと思われる。そして先程からの状態異常、これは着実にアッシュの体力を消耗させているようだ。
希望はまだあるということは理解できた。しかし自分には今のアッシュを抑えて救助できるほどの力はない。どうすればこの危機を乗り切れるか。アードは必死に頭を働かせていた。
一方のアッシュはというと、更に行動が狂化し、今はひたすら大木に向けてパンチを放っている。もはや今彼に近づけば本気で殺されかねない気さえする。だが問題はそこではない││まずい、とアードは思う。このままでは他の魔物に音で気付かれる恐れがある。
その前に早く――
「アード君! 一体何が?」
「これは、アッシュ――!」
するとそこにヒルダとメリルが到着した。アードは助かったと小さくため息をついて状況を簡潔に説明する。
「アッシュがハンターにやられた!」
「ハンター……ってあの糞モンスのことかしら?」
「訳が分からない状態異常になってるみたいです」
アードは血を手の甲で拭いながら答えた。
その視線はアッシュから絶対に離さない。アッシュは目をぎょろりと動かして、こちらを静かに呼吸しながら見ている。
その様が不気味だった。
今のアッシュは普通の状態異常よりも症状が軽いのか重いのか、それすらも現状は分からないのだ。しかし人数は何とか揃えた。もっともリターンだけでなくリスクも増えている。特にメリルはまだ十二の少女、アッシュのこの姿を見て正気を保っていられるだろうか――
「アッシューー!」
しかしメリルはアードの心配をよそに、視線外から一人で彼の元へ走り寄っていく。しまった、まだ彼女の精神はまだ傷売りとしては幼すぎる。
アードとヒルダはその背中に手を伸ばす。
アッシュが地面を蹴り上げ咆哮した。
「――メリル!」
アードが叫ぶ。背中になっていて様子がうかがえない。まさかメリルのことを殴ったのか? 状態異常の拳で?
メリルが一歩二歩、後ろに下がり尻もちをつく。そしその奥にアッシュが立っている。
アッシュの顔は苦悶に歪んでいる。血の涙を流しながら。
しかしその拳はメリルではなく――自分の腹を殴っていた。
「アッシュ……」
何度も何度も自分の腹を殴るアッシュを、アードは呆然と見ていた。
アッシュのことを軽薄な男だと思っていた。理由はあるのだろうが、それでも軽い気持ちで、どうせ金目当てで傷を受ける役目を引き受けているだろう彼にどこか冷たい対応をとっていた。いざという時にこの男は、図体だけで何の役に立たないのではないかと、そう思っていた。
しかし、今極限状態にありながらメリルに拳を向けなかった、この男はそうしなかったのだと、アードは拍手したいような気持ちにすらなった。
「チッ、だけど僕を殴ったのは許せないけどね」
アードは小さく肩を竦めた。さて、まだ事態は何の解決にも至っていない。アッシュの我慢だっていつまで続くか分からない。このままではメリルたちに攻撃を向けてしまう可能性も十分にある。何とかアッシュを鎮めないといけないが。しかしどうすれば。
そう思っていると、ヒルダが白い服の袖をまくりながら言う。
「私に策があるわ。また皆で生きて酒を飲み合うためにも、二人とも、よく聞いて頂戴」
(どうせ報酬に見合うだけの仕事じゃないことなんて分かってるんだ)
アードはぐっと立ち上がって真っすぐヒルダの方へ近付く。ヒルダはメリルの服を掴んで自分の後ろへとやる。
事こういう状況の時にヒルダはとても頼りになるリーダーだった。だが、
「アッシュ君を止めるわよ。力ずくでも」
「それが作戦ですか?」
アードが呆れたようにそう言うとヒルダはこくりと頷いた。どうやら無策にも等しい作戦のようだ。だがやるしかない。
「可哀想なアッシュ君、もう少し耐えてね。私たちがあなたを助けるから、必ず!」
(そもそも傷を受ける役目は自分で決めた。だったらこれはどこまで言ったって、泣き言だ。糞っ垂れ、でも辛いんだ、痛いんだ。なのに俺は金と……金以外の何を求めてこんな仕事を続けているんだ?……上に行けば分かるのか? この満たされない思いの正体は)
「私も頑張って止める」
メリルも自分の杖を握りしめる。
「メリル、君は駄目だ。後ろに下がっていて」
「そうね。私とアード君でやるから、あなたは後ろで待機してなさい」
「……うう、私要らない子扱いなの?」
「あなたの気持ちは分かるわ。でっもいざとなった時にアッシュ君の巨漢を運ぶのは、浮遊スキル持ちのあなたにしかできない役目だってことも分かるわよね?」
ヒルダの優し気な声にメリルは俯くと頷いて一歩引いた。
「声はかけ続けて。少しでも意識が戻るように」
ヒルダはアッシュの巨漢にも臆さず前に出る。
「アッシュ、何としてでも生き延びるぞ!」
「アッシュの馬鹿……早く正気に戻って!」
ヒルダの後ろに続くアードと、そしてメリルは後方から声をかける。
「っ……俺のことはいい……から、行けッ」
声援をかけると、アッシュはとぎれとぎれの声でそんなことを言う。そんな彼を見捨てていけるはずがない。
仲間なのだから。
「――――」
(何でだよ、捨ててけよ馬鹿。そこまで必死になって俺みたいなデカブツ一人を助ける理由があるのかよ。こんな危険なダンジョンの中で、魔物が来る可能性だってあるのに……こいつらは一体何を思って俺を助けようとしてるんだよ……)
アッシュに近づくアードとヒルダ。アードがまずアッシュの前に立つ。アッシュの拳がこちらに向いてしまう――しかしその拳は先程アードに炸裂したものよりも、力を押し殺しているようにも思えた。ならば避けることは難しくない、アードは体を動かさずに軽く頭を左にするだけでさばく。
その内にヒルダがアッシュを後ろから羽交い絞めにする。女性の力と言って舐めてはいけない、ヒルダは格闘術に長けているのだ。彼女の防衛機制技能はとてもではないが初心者傷売りではない(故にパーティー内では酒の入った彼女には誰も逆らってはいけないという不動の立ち位置をとっている)。
だが今回は格闘術だけではない。
アッシュの手首から血が吹き出る。
ヒルダの隠し持っていた小ぶりのナイフだ、それでアッシュの腕の腱を切ったのだ。
アッシュは声にならない悲鳴を上げた。そのままヒルダは彼を押し倒そうとする。凄まじい力だが、しかしアッシュの巨漢の体はなかなかどうして倒れない。腕の腱も固い筋肉に阻まれて完全には切れていないようだ。
暴れるアッシュは肘で障害をほどこうととする。
その肘が鈍い感触をヒルダに与える。
当撃った? その場の一人を除いて全員の背中に冷汗が伝った。
しかしヒルダはそれさえ計算のうちだというようにつるりとしたデコを突き出してニヤリと笑う。
「そんくらいで私が落ちるとでも思ってるのかしらアッシュ君?」
ヒルダはすぐに拘束を解いて、アッシュの体を前へ力で押し出す。少しだけバランスの崩れたアッシュがヒルダを振り返ろうとした瞬間だった
「――今回のは仕方のない暴力だと思っておくよ!」
そんな注意の曲がったアッシュのこめかみに、近付いたアードの上段蹴りが炸裂する。その足は当たっただけでは終わらずに、先端を捩じり踵でアッシュの体を地面に沈めんとする――ヒルダを師として仰いでいるアードにとってはそれは容易い技だった。
(痛い痛い痛い痛い、こいつら本当に人間かよ? 何でこんなことするんだ。こんなに苦しいのに、いつまで耐えればいい? 俺は一体いつまで、何に││抗ってるんだ……?)
しかし地面に倒れそうになるその体を右膝で踏みとどまるアッシュ。まだだ、この男はまだ倒れない。マジカルマッシュルームから傷を受けても、パーティー筆頭の戦闘役二人が本気でかかっても、恐ろしいことにアッシュはまだ暴れる気を失っていない。その顔は歪な憤怒に燃えており、もはや仲間すらも敵と判断しているのかと――
思われた――そんなアッシュの頭をぽこんと殴る妙な音がした。
「――――!」
メリルだった。
「アッシュ! ごめんね、ごめんね……」
ぽこんぽこんと杖でアッシュの頭をひたすら叩く。そんな仕草に怒り心頭だったアッシュも唖然とした様子だった。ヒルダとアードはすぐにメリルを引きはがそうとする。
しかしメリルは強情だった。
「酷いことしちゃって……皆もアッシュに早く戻ってほしいだけだから……私たち、絶対にあなたを見捨てないから……それが傷売りでしょ?」
「う、ぐうう……」
「後で意地悪言ってもいいから……子供扱いしてもいいから……だから早く戻って、またいつもみたいにお喋りしようよ、アッシュ!」
アッシュの心を支配していた感覚が、どうやら少し緩和されたようだ。
アッシュが「うがああああああ!」と叫んだ。
「メリル……アード、ヒルダ……俺はいい、もういいから、逃げろ……!」
「アッシュ!」
仲間たちはメリルを焦る手で制しながら、再びアッシュに攻撃を食らわせる。今ここでやらねばならない正念場だと誰もが分かっていたからだ。
(ああ、何だよ、どいつもこいつも、何で諦めないんだ。これが傷売りなのか? 仲間が一緒ってのは、こんなのが日常茶飯事なのかよ。本当に、辛いことばっかりだ……辛くて苦しくて……)
アッシュはもう抵抗しなかった。ただ掠れた声で言葉を紡ぐ。
「……ごめんな、俺は、駄目な奴だ……他人に優しくできない癖に、自分は誰よりも大人なんだって思ってて……でもいざとなったら出てくるのは金の事ばかり……すまねえ。俺のことは忘れてくれ……また馬鹿騒ぎしてさ、時々思い出してくれればそれでいいから……でも楽しかったんだ……今までありがとう、だから」
(俺は、お前らとパーティー組めて、本当に――)
最後にそう言おうとしたアッシュの、その一瞬の隙を見逃さずヒルダが彼の首をチョーク。しばらくするとアッシュの意識は失われたようにがっくりと項垂れた。
「や、やったんですか?」
「どうやら作戦成功のようね」
ヒルダは手袋を見せる。そこにはマジックマッシュルームの胞子が握られていた。
三人の歓声が起こる。ヒルダが汗を拭う。アードは息を吐いて木を背中に座り、メリルは泣きながらアッシュに抱き着いていた。