傷売りのおっさん 2
ヨナスは必死の力を振り絞り、背中を丸めた状態から、こん棒を思いっきりオークたちの足元で竜巻のように回転して振り回した。
するとオークたちは、一斉に足を払われその場に転げる。回転の勢いで起き上がったヨナスはすかさずズボンのホルスターに入っていたそれを取り出す。
それは信号弾。時間の合図である。
こめかみをコツコツ叩きながら、崩れかけた天井の梁が見える廃教会の真上、空高くにその信号を撃ち放つ。
「何とか撃てたか」
ヨナスはそして周囲を見渡す。するとオークたちは折角のリンチを邪魔されたことにご立腹な模様で、こん棒を空振りしたり屈伸したり準備を整えている。
一旦の休憩タイムのようなものだ。
次に攻撃を食らえば自分は本当に危ないかもしれない。少しだけいつもの平常心を取り戻したヨナスは血の味のする唇を舐める。
信号弾を見てここに駆けつけるまでの間、どれだけ耐えられるだろうか。
ヨナスが軽く体をひねると、全身の骨と筋肉が悲鳴を上げた。その痛みにヨナスはうっと顔をしかめる。これは少し余裕をこきすぎたかもしれないと反省をする。
背後の奇襲で態勢が崩れたとはいえ、ヨナスほどの傷売りなら幾らでもやり直しはできた。それでもあえて敵の攻撃を誘って傷を得たのは、彼の傷売りとしての性質だった。
「さて、アイツらの救援が来るまでにもう少し稼がせてもらいますか」
本来ならここは逃げの一手に回るべきだ。しかし今の状態で背を向けるのは得策ではないと彼は判断する。
そして宣言する。
「なあオークさん、言っちゃ悪いが、お前らなんて全然恐怖に値しないんだよな。下等なモンスターだ、俺はこんな程度の魔物なんかに屈しない。屈さずに町まで戻って成功報酬金を手に入れてやる!」
「――――ッ」
「このイケメンのサインが欲しかったら随時言ってくれ。男ヨナス、張り切って行かせてもらいまァす!」
オークたちはその、あまりにも挑発的なポーズのヨナスに、もはや少しの油断もない。
少しの温情もない。
こん棒を持つ仲間を先頭に一斉に襲いかかってきた。
一方ヨナスは、その攻撃に対して出口を背に中央の道に陣取る。先程の攻撃でそこはかとなくズレた長椅子は、丁度オークからヨナスへの道が一人分の幅になっている。これなら一体ずつ相手ができる。
ならばそのアドバンテージを生かしてヨナスはどうしたか。
「――――ッ!」
今度はヨナスは攻撃を避けなかった。
オークのこん棒がヨナスの左肩に炸裂する。痛みに膝をつきそうになるのを堪えて、ヨナスは逆に自分から手に持ったこん棒で――
――攻撃を返した。
魔物から受ける傷によりマナが体内に入ると、その身体能力が一時的に強化されるということがる。強化というか、魔素には反重力の性質が宿っており、体内にマナが蓄積、体が重力の制約から解き放たれ、傷の程度によって体がいやに身軽になる、という理屈ではそうなのだ。
その状態なら高所の崖の上にジャンプで登れたりもする。怪我の程度にもよるが。
また反重力の性質を持つマナを体内に宿した際、重力から解放された体の部分、その向きを、自分で意識して変え、攻撃に力を上乗せることも――熟練した傷売りには可能だ。
「――――!」
相手の攻撃を予期しての一瞬の反撃――今まで反撃などしてこなかった人間からのしっぺ返しにオークは一歩後ろへ下がる。
しかし魔物への攻撃、それは戦闘的な意味ではあまりにあまり意味がない。魔物はどれだけ弱い個体でも基本的に人間に攻撃されてもほぼ効果がない。それはマナによる反重力の攻撃を意識しても難しい。そもそもその反重力の力を借りること自体が熟練の傷売りでも難しいし、また傷を受けているのだから体も消耗しているからだ。
もっともマナを利用した高度な戦闘能力を持つ傷売りもいるけれど、普通は人間が魔物を倒すことは不可能に近い。
また逆に攻撃されたことで魔物が逆上することもある。しかしランクの低い魔物は、人間が反撃をすることで怯んで逃げてしまうこともある。
もっともヨナスが考えたのはそうではない。オークたちも別段逃げるそぶりは見せない。そう、気勢を削ぐこと自体は目的の一つでもあるのだが、だがそれとも少しだけ様子が違った。
(早く……まだか……っ)
ヨナスの反撃を受けてオークたちは様子を伺う。この獲物が何を企んでいるのか、あるいは今のはただの悪あがきだったか見極めようと言わんばかりに。
そんなオークたちに、ヨナスは飄々とした口で言った。それこそ悪あがきのように。
「あはは、啖呵を切ったはいいけど、もう傷は十分受けた……だから後は逃げるだけなんだよね」
背中は向けずに逃げるそぶりも見せずにヨナスはあくまで舌戦で対応する。そんなヨナスに、苛立つオークたち。半分いない――見れば屋根部分にこん棒を持ってない連中が上っている。
どうやらオークたちはすべてを押し潰してしまう気だ。
廃教会は今まさにボロボロと崩れかけている。
悪意を込めた嘲笑が、今まさにヨナスを押し潰そうとジャンピングプレスを仕掛けようとした瞬間だった。
その攻撃が、しかし横から飛んできた何かに阻害された。
それは――矢だった。
まず一体、飛び降りたオークが矢の攻撃を食らい、予想していた落下地点とは大幅に左にずれた位置に墜落。
「リオン、やっとか!」
ヨナスは顔を向けた。どうやら目的の“時間稼ぎ”はもう十分のようだ。
入口の方から声がする。
「信号弾があったからな。ようヨナス、傷の具合はどんな感じだ? 生きてるか、それとも死んでるか?」
「死んでたら喋れねえよ。立って歩ける程度だ」
「あっそ。まあどの道担架は持ってきてないが」
教会の入口付近に立つ銀髪の美貌――一見すると女性だが、彼が男であることをヨナスはしっかり知っている――をヨナスは見た。矢を構えてオークたちに振り絞っている。彼はリオン、ヨナスのパーティーの仲間だ。
そしてリオンだけでない。その背後にはもう一人別の鎧姿の大柄な男がいた。彼、グリシャもヨナスのパーティーの仲間である。
信号弾を撃つことでヨナスは仲間を呼んだのだ。元から仲間と一緒に来ていたのだ。
しかし何故ヨナスは最初わざわざ一人でオークの群に挑んだのか。傷売りには状況によってはそういうこともあるのだ。ただのオークという中堅傷売りのヨナスたちにとっては脅威の薄い(それでも今のヨナスは満身創痍だが)相手というのもあるが、場合によっては傷を受けすぎて仲間の肩を借りる程度ではすまないこともある。その場合担架などを二人係で持ってくる必要があるのだ(そういう場合の信号弾もあるが、今回は違う信号弾を使っていた)。担架を持ったまま魔物の群れに近づけば、担架が壊されたり救助役が不要な傷を負ったりするから今回の措置だ(もっともこのやり方が常に正しいわけではない。対する魔物によって傷売りの対応は無限に変わる)。また魔物と相対しながら逃げる時には幾らか魔物を足止めする戦闘職の役も必要になる。
その役はリオンが引き受けている。
リオンは矢を放ち続ける。オークたちはその攻撃を避けられない。しかし、魔物の強靭な肌には矢は当たっても攻撃にはならない。
どころか逆上したオークたちは、頭に軽く刺さった矢を引き抜きながら、今度はリオンの方を見ている。新たに現れたこの邪魔者をどう甚振ってやろうかとヘイトが彼を向いたようだ。
もっともそれは計画通りだ。比較的知能の弱いオークは新しい敵にすぐに食いつく習性がある。
リオンはすぐさま矢をしまい、今度は逃げの構え。背を低くしての鮮やかな切り替え、ヨナスよりもなお身軽で軽快だ。オークへの恐怖も見受けられない。
敵わないな――ヨナスは小さくため息をついた。
自分の年であの動きはできまい。とはいえ、傷売りのパーティーは役割分担が基本、後続は彼に任せることにしよう。リオンは戦闘役としてだけではなく逃げ足の速さも申し分ないから。
ヨナスはオークたちの脇をすり抜けて辿り着いた防御用の鎧をまとっているグリシャに肩を預け、そして廃教会から抜けて行った。最後に廃教会に外から登ろうとする彼に向けて言う。
「リオン、無茶はするなよ」
「オマエがそれを言うのか? オーク程度にどんだけ大怪我してんだよ」
「言っとけ。これが俺らの仕事だろうが」
余裕ぶっていたものの、あんなオーク程度に死ぬほどビビっていた、なんて心情をヨナスはリオンだけには吐露したくなかったが。
背後で廃教会が倒壊する音が聞こえたが足は止めなかった。