魔王の秘密
ヒトによって、秘密の重さは違う。
魔王にとっては、生涯の秘密だった。
ディーと勇輝の戦いの日が迫っているという話をしたあの日から、私とディーは毎晩のように鏡越しに会って、話をしていた。
私達が会う時間に、制限が存在しなくなった。これはつまり、勇輝が異世界からこちらの世界へ戻っていないという事を意味している。
実際、勇輝は遂に、学校へ来なくなっていた。いよいよ、魔王討伐へ本腰を入れているらしい。
私は素直に応援することはできないけど……万が一、もしも目的を達成したら……勇輝はどうするつもりなんだろう。こちらの世界に帰還して、普通の学生に戻るつもりはあるのだろうか。
もしかして、生涯英雄と讃えらえるであろう異世界に留まるつもりなのだろうか。
そうしたら、私と勇輝は、あれが最後の会話になるのだろうか。もうすぐ魔王を倒せると息巻いていた時のあれが。
正直、内容をよく覚えていない……。ディーの事ばかり考えていて、上の空だった。
つまりその時の私は、はっきりと勇輝よりもディーを優先したという事だ。
(そして、今もそうなんだろうな)
ドレッサーの前で、お茶とお茶菓子をしっかり用意してディーを待ちながら、思う。
ディーに負けてほしくない。死んでほしくない。
勇輝に――死んでほしくない。でも、負けてほしくないと、言い切れない自分がいる。
(勇輝がこのまま、魔王の城へたどり着かなければいい)
初めてそう考えた。
最近の勇輝は学校には来ないし、私への態度はアレだったけど、目標に向かって頑張っていることは本当だ。だからその目標が叶わなければいいなんてひどいこと、考えないようにしていた。
それなのにどうしたことか、今日はそんなことばかり考えてしまう。
嫌な思考を振り払おうと首を振ると、鏡に映る自分の姿が歪んだことに気付いた。鏡面が揺らぎ、それが収まると、鏡の向こうにいるのは私の鏡像ではなく、異世界の魔王。私の友達の姿。
気を取り直して彼の顔を見た瞬間、あ、と思った。
――今日が、私達の最後の日になる。
漠然とそう思った。
鏡の向こうのディーは、いつも通りに見えて全然違う。どこが違うのか聞かれても答えられないけど、絶対に違う。
「ディー……」
『明日にでも、勇者がここに辿り着く』
「……」
『だから、これが最後だ』
何かを約束していたわけではない。
でも私達は当然のように、勇者と魔王が対峙したら、二度と会わないだろうと考えていた。
そして、遂にその時が来たのだ。
「そうなんだね」
『ああ』
「……勇輝は、強いの?」
『そのようだ。魔族の土地では、魔族の強さは別格だ。それをものともせず進軍しているのだから』
「そっか……」
勇輝本人がいくら強いといっても半信半疑……現実味がなかったが、ディーが言うのなら本当に強いのだろう。剣にかけられた魔法のことがあるにしても、長い旅路を歩んだのは勇輝自身。
勇輝は本当に、魔族にとっての脅威なのだ。
『あー……ミア。その、何だ。そんなに深刻に悩むことはない。お前にとっていいか悪いか分からないが、私に負ける気はない。向こうもないだろうけど』
「駄目じゃん……」
私の事を慰めようとしてくれているらしい。失敗しているけど。
微妙に間違えたことに気付いたディーは、うんうん悩んだ様子を見せた後、「わかった」と呟いた。
『お前に、私の秘密を教えよう。マジで誰にも教えたことのない秘密だ。だから元気出せ』
「何その理屈」
『本当はお前にも話すつもりはなかったんだが。やっぱり話しておきたくなった』
「……?」
私は訝しんだ。
私を励ますための冗談、あるいは元気づけるためにちょっと恥ずかしい過去の失敗とか言い出すのかと思ったが、ディーの口調は真剣で、嘘がない。
本当の本当に、ずっと自分だけの秘密だったことを、私だけに明かしてくれるつもりなのだ。
そう気づいたら、自然と背筋が伸びた。
『手を』
「え?」
『鏡に手を押し当てて見ろ』
「……こう?」
私は言われたとおりにした。
ディーに向かって手を伸ばすように、鏡に手を伸ばす。
当たり前にその手はディーに触れることなく、鏡面に触れるだけ。どこかひんやりとした感触。指紋は後で拭こう。
鏡の向こうで、ディーが同じように手を伸ばしているのが見えた。私の右手と合わせるように、左手を伸ばす。
なんとなくその様子を眺めていたが、不意に右手が柔らかいものに触れた。
「え?」
驚いて、慌てて右手を覗き込むように見てみる。いや、覗き込まなくても見える。
鏡に添えた私の右手を、ディーの左手が握っていた。力がほとんど込められていない優しい握り方が、そこに温もりがあることを猶更強調しているよう。
「え?」
鏡の向こう、決して触れられないはずの人が、私の手を握っている。
「なんで……」
『私は勇者と同じ、適性者だ』
適性者。他の世界への適性を持ち、世界の壁を越えられる人。
ディーはとても興味深そうに私の話を聞いていた。私だってそうだ。
自分の知らない異世界の話。存在は知っていても、行くことはできない、見ることができない。だからお互いの話を夢中になって聞いていた。
でもディーにとっては違ったのか。
彼にとっての異世界――私の世界は、手を伸ばせば簡単に届く場所だったのだ。
いろんな感情がごちゃ混ぜになっていた。
嬉しいのか悔しいのか、怒っているのか悲しんでいるかも分からない。
ただ、もっと早く知りたかったと思ったのは確かだった。
そうしたら私の話で色々想像しなくても、いろんな場所に連れて行って、いろんなものを見せることができたのに。たこ焼きだって食べさせられたはずだ。
もう、そんな時間もない。
明日には、勇者と魔王が戦うことになる。それは避けられないことだ。避けないと二人が決めているから。
例えば、私がディーに提案する。
――ディーがこっちの世界に来ちゃえばいいんじゃない?
そうしたら、勇者と魔王は戦わなくて済む。
――そんなわけがないのである。
ディーがこっちの世界へ来ても勇輝が追いかけてこれるから、とかではない。ディーが魔王である以上、魔族の全てを背負っている存在である以上、あの世界を離れるという選択肢は存在しない。
彼が私の世界の話を聞きたがったのは、単純な好奇心だけではない。自分の世界をよりよい方向へ進ませるため、自分が知らない知識を吸収しようとしていたのだ。
ディーは自分の世界と自分の民を愛している。そんなディーが、自分の責任を放って世界を離れるはずがない。
私はそれを知っているし、ディーも分かっている。だから私に秘密を話したのだ。私が余計なことを言わないと分かっているから。
世界を越える稀な力。ディーにとっては無用の長物でしかなかったということだ。
「いいなぁ。その力、私が欲しかったよ」
いろんなことを吞み込んで、そうしたら自分の希望だけが残ったから、正直に口にした。
ディーは少しだけ目を見開いて、それからそっと笑う。
『ああ。私もそう思う』
本当に。私だったらよかったのに。
そうしたら、あなたに会いに行けたのに。
ここも初期から決めていたところです。
時間の流れが双方の世界で違うからわざとぼかしていたのですが、余計に分かりにくい話になったと反省。
美愛の方では半年以上、ディーの方は数年単位くらいの気持ちで書いています。




