【一話完結】たとえ死人にまみれても
ー1ー
雑居ビルの林立する路地裏を、3人男が駆けた。彼らの手には、拳銃やサバイバルナイフがあり、酷く物々しい。
「チッ! あちこちから無限に湧いて出やがるな!」
「あの中に逃げ込むぞマイク! 新庄もだ、急げ!」
3人は無作法にも扉を開けると、見知らぬ倉庫へとなだれ込んだ。そしてすかさず、棚を倒して扉を塞ぐ。
ありあわせのバリケード。それでも効果的だ。あちら側から、扉をこじ開けようとする音が響いたものの、やがて静かになった。
「これで安心だ。ゾンビ連中も諦めただろう」
「そのようだぜ。だったらこれで、ゆっくり話ができるよなぁ? 研究者さんよぉ!?」
新庄は、マイクによって壁に強く押さえつけられた。肘で腹を圧迫されているので、息が苦しい。しかしそれよりも、頬に突きつけられた銃口のほうが問題だった。
「テメェはあの、製薬会社タクラムワークスの研究員だろ! ゾンビウィルスの事を洗いざらい話しやがれ!」
「私は、大したことを聞かされてない。研究員と言っても末端だ。こんな大それた研究を進めていたなどと、知りようもなかった」
「適当な事ブッこいてんじゃねぇ! そのお口で鉛玉を味わってみるかコラァ!」
「よせマイク。少し冷静になれ」
取りなしたのは、白髪交じりの中年男ロレンス。こちらはまだ、理知的に話し合えそうである。少なくともマイクという、髪を赤く染めちらかしたタンクトップ姿のチンピラよりは。
「新庄。君はタクラムワークスの研究所について、どの程度知っているんだ?」
「ほとんど知らない。私の勤務地は、研究所と同じ敷地だが建物が違う。権限の理由から、入った経験はほとんどない」
「オレ達は、別に復讐なんて考えていない。ただ、このゾンビ騒動を一刻も早く終わらせ、安全を確保したいだけだ」
「具体的には?」
「ゾンビにならずに済むワクチンか。あるいは対抗できる武器が欲しい」
「そんな都合の良い物があるとは考えにくい」
「心当たりすら無いのか?」
「さっきも言ったが、私は末端の平社員だ。大した情報は知らされていない――」
「あぁ分かったよクソ野郎! 役に立たねぇなら、この場で頭をブチ抜いてやるよ!」
「止めないかマイク! オレ達2人でどうにかなる局面じゃない。故国へ帰るには、彼の協力も必要だろう」
「チッ。理屈じゃそうだがよ。何か気に食わねぇんだ」
マイクは、積み上がるダンボールを蹴り飛ばしては、不満を露わにした。
一方でロレンスは冷静なままだ。新庄の瞳を正面から見据えている。だが、こうして視線が重なると、否が応にも気付かされてしまう。
ロレンスの瞳に親しみの色はない。代わりに何か、冷え切った物があると。
「新庄。このままでは我々皆が、飢えるか食われるかの2択だ。そうなりたくはない。何か妙案は無いか?」
「だったら会社まで行くべきだ。やりたい事がある」
「場所は?」
「安芸宇和島駅から、徒歩で15分程度」
「ここから歩いて小一時間の距離だな。マイク、行けるか?」
「どうせここに居ても始まらねぇだろ。やってやるよ」
「分かった。では新庄、道中の安全は極力確保する。途中で食われてくれるなよ」
こうして3人は倉庫を後にした。
辺りは地獄そのものだ。行く先々でゾンビがたむろし、腐肉と悪臭を撒き散らす。うめき声も幾重に重なり、それも耳障りだった。
進路は迂回を織り交ぜることで、戦闘を避けた。それでも時折、強行突破も強いられた。マイクが銃弾を放ち、ロレンスが蹴倒すなどして血路を開いた。
一行は消耗させられたものの、大きな被害もなく辿り着いた。この窮地を覆すヒントの眠る、因縁の地へと。
ー2ー
タクラムワークス社の敷地は広大だった。地方都市とは言え、これほどの社屋を構えるのだから、財力の凄まじさを感じさせる。
「はぁ~〜。こんだけデカイとか、怪しげな研究やってるだけはあるよな」
マイクがボヤく通り、見るもの全てが立派である。入口の大きな門に、整った歩道。随所に植えられた樹木も丁寧に剪定されている。
「新庄。ここには電気が通っているのか?」
「敷地内に発電所があるらしい。と言っても馬鹿デカイものではなく、小型化されたコンパクトなものだと聞く」
「そうか。今はどこへ向かっている?」
「私のデスクがある別棟だ」
大きな建物は避けて、裏の方へと回る。すると通路は、進むほどに粗雑になっていく。アスファルトが欠けるだとか、白線が途切れがちだとか、目に見えて不備が増えた。
表面が華やかであっても、裏側はこんなものである。新庄にとっては、別に新鮮でも無い事実だ。
「ここが別棟だ。生存者が居るかも知れない。注意してくれ」
「んなもん、ブッ殺しちまえば一緒だろうがよ。動くやつを見かけたら、率先して撃つからな」
「……フン」
新庄の懸念は外れた。自動ドアを開けて小さなロビーを通過し、オフィスへと到着する間、誰とも出会わなかった。それが幸か不幸かは、悩ましい。
「さて新庄。やりたかった事と言うのは?」
「これだ」
「その紙は何だ? 日付や時間が羅列されているが」
「タイムカード。これを打たないと落ち着かなくてね」
「……ハァ?」
新庄は、機器を操作して打刻した。そして恍惚とした笑みを浮かべる。背後で般若の如き顔になる2人とは、大きく違って。
「おいテメェ! まさかこんな事の為に、危険を冒してやって来た訳じゃないだろうな!?」
「マイクの言うとおりだ。返答次第では、痛い目を見てもらうぞ」
「2人とも落ち着け。理由なら他にちゃんとある」
「本当だろうな、オゥ?」
「さて、本日は小包が届く予定だが、来てるかな?」
「来るわけねぇだろボケ!!」
来てた。新庄は満面の笑みで包みを開けると、感嘆の声をあげた。
「素晴らしい。これはもう職人技だ。パートナー企業も日々成長してるのだな」
「それは何だ。セロハン紙かフィルムに見える」
「これは開発中の新製品でね。顔に貼ると花粉やウィルスなど、微粒な諸々をシャットアウトしてくれる。ちなみに本筋とは一切関係ない」
「おいテメェ」
「例えばこのようにして、ヒモを通してマスクのように扱う。透明だから目立たない。しかも呼吸は楽々。毎年のように花粉症に苦しめられる日本国民にとって、夢のような発明であると――」
「さっきからフザけてんのか、この野郎!」
痺れを切らしたマイクが、椅子を蹴り飛ばしては駆け寄った。そしてまたもや銃口を突きつけてくる。
今度はロレンスも、取りなしてくれる素振りを見せない。彼も憤慨した様子で腕組みをし、成り行きを見守っていた
「さぁフザけた研究者よう。死ぬ覚悟は出来たかコラ?」
「私を滅してどうする。君たちだけでワクチンが手に入るとでも?」
「んなもん、やってみなきゃ分からねぇだろ!」
「セキュリティに阻まれるのがオチだ。ともかく手を離せ。これでは何も出来ない」
「偉そうにしやがって。それが最期の言葉で良いんだな!?」
「マイク、離してやれ」
「おい、マジかよロレンス!」
「新庄の言葉に一理ある。我々のような素人だけでは限界もあるだろう。建物の構造すら知らないのだから」
マイクが渋々手を離すと、新庄はこれ見よがしに衣服を正す。ワイシャツの襟を撫でて、裾を強く引っ張り、スラックスの中へ押し込んだ。
彼なりの『嫌味』はここまでだった。
「新庄、今は何を?」
「手の汚れが気になる。ちょっとウェットティッシュで身綺麗にしようかと」
「後にしろ。それはポケットにでも突っ込んでおけ。私だっていつまでも冷静な訳じゃない」
「ハァ……忙しないな。本社屋・研究所エリアに入るには、管理者クラスの許可が必要だ。だから主任のパソコンを借りよう」
「他人の物なのに、パスワードが分かるのか?」
「主任は、部下に仕事を押し付ける天才だったからね。パスワードを聞き出すことくらい、難しくなかった」
新庄がエンターキィを熱く叩く。タンタァン。するとオフィスの中で、何かしらのОA機器が作動した。
「できた。ゲスト用のカードキーだ。これで研究所の端っこくらいは歩き回れるだろう」
「それに何の意味が? 収穫が得られるとも思えない」
「職員のロッカーなりを漁れば、更に上位のカードキーも見つかるだろう。めぐり合わせに期待しようか」
「仕方あるまい。他に手段も無いだろうしな」
こうして彼らは研究所へと潜り込んだ。そこは、受付ロビーとラウンジが一体化したスペースだ。
彼らを出迎えたのは多数のゾンビだ。屋外の静けさからは想像も出来ないほどの規模だった。これにはロレンス達も困惑し、劣勢を強いられた。
「マイク、頭だ! 眉間を狙って撃て!」
「そんくらい分かってんだよ、クソッタレが!」
「ナイスショット、良い腕だな」
「はぁ……思いの外多くて、さすがにビビった……。つうか弾がヤバい。どっかに9ミリ弾落ちてねぇかな」
「日本は銃社会じゃない。あまり期待はできないな」
「そんでよ。何か見つかったのか、お荷物の新庄さんよ?」
そんな声をかけられるなり、片手を挙げた。成果ありと知らしめたのだ。
「これを見て欲しい」
「……紙コップ?」
「中身だ。この色味、山ぶどうスカッシュに違いない。研究所務めになれば、これがタダで飲めるのだろう。妬ましい事だ」
「マジクソ野郎。次フザケたら、両手足を縛ってゾンビどもに投げ込むぞ」
「慌てるな。幸先良いことに、ファイルケースを見つけた。報告書でもあれば一気に謎が解けるだろう」
新庄は、置き去りにされたバッグを漁り始めた。まずはカードキー。レベル2とある。それからA4サイズのファイルケースを取り出した。
「こんな最先端の研究所でも、紙ベースで仕事してんのか。アナログだな」
「我ら日本人は、古き良きを大切にする種族だ」
新庄は、片っ端から目を通していく。そして、途中で手が止まる。
「見つけた。ゾンビウィルスに関する機密情報だ」
ロレンス達に見せてやったのだが、2人とも眉間にシワを寄せた。母国語でない上に、専門用語が踊り狂う文書だ。詳細に読み解くことは難しいようだ。
「では、掻い摘んで説明する。騒動の発端となったゾンビ化ウィルスだが――」
新庄の説明に、2人は真剣な面持ちで耳を傾けた。
その顔は、間もなく喜色に染まる事となる。
ー3ー
「結論、ワクチンはある。そして対抗武器もだ」
「オーケィ、朗報だな。どこにある?」
「それはトップシークレット。正規研究員の中でも限られた者しか近寄れない。つまりはレベル3のカードキーが必要不可欠だ」
「そんな都合よく見つかるとは思えんが」
「この荒れ様だ。探してみる価値はあるだろう」
3人はラウンジを後にして、施設内部へと歩を進めた。レベル2のカードキーを端末に翳し、いざ研究室へ。
目に映るのは細い通路に並ぶ小部屋。それと、折り重なるように倒れる研究員たちの姿であった。
「チッ。どこもかしこも死人だらけかよ」
「気を抜くなよマイク。いつ襲ってくるか分からんぞ」
「2人とも、警戒は恐らく不要だ。これらの死体はゾンビにならない」
「どういうことだよ?」
「よく観察してみろ。白衣の所々に赤いシミがある。ゾンビに襲われたにしては、体がキレイすぎるだろう」
「確かに。言われてみれば、壁に弾痕もあるな。つまりは……」
「彼らは人の手によって、無惨にも殺されたに違いない」
「ウィルスに感染しなければ、物言わぬ亡骸か。眠れ、安らかに」
研究所の荒れ方は目を覆うほどだ。人も物も蹂躙され尽くし、在りし日の姿を想像する事さえ困難だ。
それから3人は通路奥のメインラボへと辿り着く。ガラスの培養器に多くの生物が格納されており、こちらは、不自然なまでに無傷である。
「さすがの乱入者たちも、これらに手を出すことは恐れたか」
培養器の中身は異様そのものだ。人間の臓器に無数の触手が生えたものや、頭が3つに分かれたヘビなど、理解不能な素材が多く並ぶ。
マイクがにわかに吐き気を催したのは、正常な反応だと言える。
「うえっ。悪趣味すぎんだろ。神の怒りを恐れぬ所業ってやつか」
マイクはテーブルに手をついて座り込んだ。すると、視界の端で何かが動くのを見た。敵か。咄嗟に転がると、物陰から1人の男が飛び出した。
「うわぁぁクタバレ! 性懲りもなく私を殺しに来たんだなぁぁ!」
それは白衣に身を包んだ研究者だった。彼は拳銃を両手持ちにして、新庄達に向けて乱射した。その大半は外れたものの、一発だけ命中させられてしまう。
「ぐぁ! 痛ぇ!?」
「マイク! クソッ。よくも仲間を!」
ロレンスは、マイクが落とした拳銃を拾い上げると、すかさず応射。精密な射撃が脳天を貫き、沈黙させる事に成功した。
しかし、ロレンスに喜ぶ気配は無い。それよりもマイクの容態が気掛かりのようだ。
「しっかりしろ。左肩を撃たれたか。弾が抜けたのは不幸中の幸いだったな」
「すまねぇ、ドジッちまった。こんな時に」
「気にするな。それに、オレ達の旅も佳境のハズだ。そうだろう、新庄?」
新庄は問いに答えなかった。代わりに、両手を合わせて、白衣の亡骸に哀悼の意を示した。そして懐を弄っては、それをロレンス達に見せつけた。
「レベル3のカードキー、見つけたぞ」
「それは良かった。ということは、その男は上級スタッフだったのか?」
「プロジェクトリーダーかな。冷徹な男だと聞いていたが、発狂するまで怯えるとは。気掛かりだ」
「確かに。ゾンビを恐れる様子とは、少しだけ違っていた。もっとも、死んでしまえば考察も無意味か」
「おいロレンス。これも研究資料ってやつじゃないのか!?」
マイクの言葉に2人が駆けつけた。それはパソコンのモニターで、ログイン状態を維持していた。
「私が代わろう。粗野な男に触らせては、予期せぬ事態になりかねん」
「クソが。しくじるなよ、鉛玉をブッ込むからな」
新庄は中身を探るうち、掴むことになる。このゾンビウィルスにまつわる全てについて。
「我がタクラムワークスは、某国より密やかに依頼を受けていたらしい。研究は困難を極めたが、やがて結実する。その成果は『Zーウィルス』と呼ばれる事になった」
「Z……。終焉を示唆するつもりか。他には?」
「Zーウィルスに感染した人間は、知能と身体能力を著しく損なう。また血の匂いを好む一方、アルコール類の刺激臭を苦手とするらしい」
「そんな些末な事はどうでもいい。ワクチンと、対抗武器だ」
「Zーウィルスは特定の薬品に強く反応し、高温化した後に発火する。その性質を利用した対抗兵器が、施設の奥にある。ワクチンも同様だ」
「へぇ。だったら両方とも頂いて行こうぜ。その兵器とやらをブッ放して、安全に逃げる。その後にワクチンをどこかの企業に売り飛ばせば、きっと大儲けだぜ」
「いや、それを許す訳にはいかない」
「何だと新庄!? もういっぺん言ってみろやボケが!」
マイクは新庄の腕を強く捻った。片腕を負傷している割に、締め上げる力に遜色は感じられない。
「クッ……離せ。まだ調査の途中だ」
「知らねぇし、もうどうでも良いんだよ。ワクチンや武器の目星が付いたんだ。テメェを生かしておく意味もなくなったよなぁ!?」
「ワクチンなら好きにしろ。それをどう扱おうが知った事ではない。だが兵器だけは使わせんぞ」
「テメェは何を見てやがった。どこもかしこもゾンビだらけだ。まとめてブッ殺さなきゃ、ジリ貧になってコッチが殺されんだろ!」
「さっきも言ったが、ゾンビをまとめて発火させる兵器だ。人間サイズの可燃物が、そこかしこで燃えたら、この街はどうなる。大火災になる事は必定だ! 辛うじて難を逃れた生存者までも、みんな巻き添えにしてしまうぞ!」
「知ったことか! 他所の国で何万人死のうが関係ねぇよ!」
「この、無知蒙昧な外道め……!」
「落ち着けマイク、そこまでだ」
ここでようやくロレンスが割って入る。新庄もやっと腕の自由を取り戻して、自身の手首を労った。
しかし議論は途中である。ロレンスも、要求を変えるつもりは無いのだ。
「新庄。同胞を守りたい気持ちは分かる。しかし、このままゾンビを野放しにすれば、日本全体が危機に陥るだろう。今の段階で殲滅しておくべきだと思う」
「だから対抗兵器を使えと? 逃げ隠れる人々を巻き込んで、事情も知らさないままに焼き尽くせと?」
「それらは尊い犠牲だ。一人ひとりが、祖国を救うために命を捧げた英雄だ」
「そんな称賛、何の足しにもならない」
「別に良いじゃねぇかよ。お前ら日本人はワーカホリックだ。街が焼け落ちても、数年あれば元通りだろ?」
「死んだ者まで元に戻るか!」
「マイクより私の話を聞け、新庄。ともかく君の理屈は理解した。しかし、我々にはそれに付き合う余裕なんて、最早どこにも無いんだ」
ロレンスの手元に冷たい光が宿る。その研ぎ澄まされたナイフが、静かに、新庄の首筋を撫でた。
「陳腐な台詞だが敢えて言おう。命が惜しければ、我らに従え」
「武器の扱いと言い、随分と手慣れている。お前たちは一般人じゃないな?」
「今は素人だよ。もっとも、退役軍人だがな」
「道理で。命の価値を安く見積もる訳だ」
「無駄話はこれまでだ。お前には道案内してもらうぞ」
こうして3人はメインラボを後にした。新庄を先頭にし、2人は背後から銃を構えて続く。それはゾンビだけを警戒しているのではない。
もはや人質である。新庄も、ワイシャツを赤く染められることを想像しては、無音の研究所内を歩き続けた。
しばらくして新庄が足を止めたのは、通路のど真ん中。壁に大きく『3』と描かれている事以外に、目立つ物は何もない。
「どうしたんだよ。キリキリ歩けよコラ」
「ここが入口だ」
「アン? 適当ブッこいてんじゃねぇ――」
新庄は、壁の穴に指を差し込み、手を引いた。すると電子パネルが現れたので、カードキーを翳す。
「ワクチンが貯蔵されているのは地下だ。アクセス方法は、このレベル3エレベーターのみらしい」
虚言では無かった。壁と思われたのは、エレベーターの扉であり、機械音とともに左右に開かれた。
壁の向こうにこんな設備があったのか。知らぬ者にすれば驚愕必至の出来事だ。しかし驚くべきことは別にあった。
「うわ! なんだコイツ、死体か!?」
エレベーター内部には、何者かが倒れ伏していた。装いもヘルメットに防毒マスク、自動小銃と、酷く物々しい。警備員ですら、ここまでの武装を許されてはいなかった。
「特殊部隊……? どこの差し金だ」
「これは銃撃されたかな。身元が割れそうなモンは、やっぱり何も持ってねぇわ」
「マイク。使えそうな武器は?」
「自動小銃……はダメだな。弾がねぇ。9ミリ弾だけ貰ってく」
「では先を急ごう。どうせこれもゾンビにはならないのだろう?」
「害は無いっつうけど、死体とご一緒なんて気が滅入っちまうよ。クソが」
3人はエレベーターに乗り込み、地下施設へと移動した。
長い時間をかけて降った先は、またもや通路だ。最奥には、ワクチンを格納するラボスペースがある。
だがそこへ辿り着く途中には、驚愕の光景が広がっていた。今しがた一緒に降りた死体など、可愛く思える程に。
「何だこれ……戦争でもやらかしたのかよ?」
中は死体、死体、死体の山だ。数え切れない程の人間が、そこかしこに転がされている。遺体の損傷も激しく、これだけの数があるのに、五体満足であるのは1人として居なかった。
「食い荒らされたって感じじゃねぇよな。引きち千切られたのか……?」
「おいマイク、これを見ろ!」
ロレンスが指を差す先には、更に眼を疑う物が転がっていた。熊か狼か、体毛に塗れた巨体が、床に倒れ伏している。
人間を遥かに超える体つきに、3人は怖気を覚えた。
「マイク。生死確認だ、撃ってみろ」
「おうよ。状況次第じゃ、エレベーターに逃げ込むぞ。走る準備をしておけ」
ダン、ダン。続けざまに2度発砲。謎の巨大は体を弾ませるも、憤激するといった生体反応を示さなかった。死んでいるとしか思えない。
「どうやら化物は打ち倒されたらしい。この特殊部隊らしき連中がな」
「この被害じゃ、部隊は壊滅だろ。お偉方は顔を真っ青にしてるかもな」
「どこの連中かも知らん奴らに、気遣いなんて無用だ。行くぞ」
そこから、見通しの良い通路をゆけば、突き当りにドアが有る。自動で横に開くと、何ら妨害もなく、目的地へと辿り着いた。
「そんじゃ新庄、とっととワクチン取ってこいや! これで大金持ちになれっぞ!」
「いや、無いな」
「アァ……!?」
「ワクチンはもう無い。何者かに奪われたらしい」
「おい、適当ブッこいて、ワクチンをかすめ取ろうってんじゃ……!」
不審がるマイクだったが、間もなく彼も理解する。新庄が冷凍装置を指し示すので、覗き込んで見れば、中は空である。
恐らく、この中にワクチンが格納されていただろうと、素人目にも想像できた。そして既に持ち去られてしまった事も。
ー4ー
ようやく苦労が報われると思われた矢先、徒労だと気づく。その衝撃に、もっとも騒がしく反応したのはマイクだ。
彼は所構わず蹴り飛ばし、憤慨ぶりを露わにした。
「フザけんなよボケ! こんだけ危険な目に遭ったのに、報酬も無しか! やってらんねぇよ!」
「腐るなマイク。対抗兵器の方は残されているだろう。当初の予定通り、そちらだけを貰っておこう」
薬品の並ぶガラスケースの中には、不自然な事に、バズーカ砲が安置されていた。ゾンビを殲滅するために使用するのだ。
だが弾丸は通常の物とは異なる。炸裂させるだけの火薬と、指定された薬品を混在させた特殊弾が必要不可欠だ。
「新庄、オレらには何のことか分かんねぇ。テメェが作れ」
「今からでも考え直せ。生存者を巻き込む方法は賛成できない」
「何度も何度もうるせぇんだよ。ぼちぼちテメェも死体の山に加わるか?」
今度はロレンスも止めなかった。最悪、死なせても良いぐらいには考えていそうだ。
観念した新庄は、マニュアル通りに弾丸を作成し、それをマイクに押し付けた。
「弾は出来た。だが、バズーカの扱いなど、私は知らない」
「オレらには使えんだよ。心配すんなクソ野郎」
物が揃ってしまえば、最早研究所になど用は無い。ゾンビに対抗しうる兵器を携えつつ、地上出口へと戻った。
「新庄。具体的にはどう使用するんだ? まさかゾンビに直接打ち込む訳ではないのだろう?」
「空に向けて撃て。弾が上空で破裂すると、薬品が周囲にバラ撒かれる。それでゾンビたちが発火して倒れるという寸法だ」
「なるほど、理解した。だがもし不発であったなら、その首を心配してもらうぞ」
ロレンスは、バズーカ砲を肩に担ぎ、狙いを定めた。夜空に向けて発射。弾丸は白煙で軌跡を描きつつ、星空の中へと消えていった。
しかし、いかに待っても破裂する気配がない。それどころか、打ち上げた弾が彼らの元へと落ちてきた。弾丸は炸裂しなかった。そして落下の衝撃でひしゃげ、煙を撒き散らすばかりになる。
「新庄テメェ……! 土壇場で小細工しやがったな! ゲホッゲホ」
「お前には愛国心と言うものが無いのか、新庄。僅かばかりの人間を助ける為に、国家を危険に晒すなど、どう考えても釣り合わな……ゲホッ! 何だこの匂いは……!」
「どうした2人とも。目が虚ろだぞ」
「あれ、おかしいな。夜だと思ったのに、すんごく明るいぞ。それに花畑まで見えるんだがアハハ」
「マイク、お前もか。確かに、大草原が広がってるな。さっきまで違う場所に居たはずなのに、あれは何だっけかな、アッハッハ」
ロレンスとマイクのどちらも、虚空に手を伸ばしてはウロついた。新庄からすれば『何も無い』のだが、彼らには、別の物が見えているようである。
新庄はこの瞬間、成功を確信した。実は弾丸に細工を施していたのだ。
「誘引剤と幻覚薬を混ぜておいた。君たちは正気を保てまい。もっとも、まともに聞こえてもいないか?」
「あぁ、ワクチンも手に入ったし、これで大金持ちだぜ。マンハッタンの一等地に住めるかもなぁフヘヘへ」
「それよりもロレンス、マイク。あちらを見たまえ。君たちのような勇敢な男には、美女の接待が待っているようだぞ」
「あぁ、本当だ。あんな美人見たことねぇぞ。妖精か、いや女神かなウヘヘヘ」
「何人居るんだ。この歳でどこまで相手できるか、心配になるなワッハッハ」
2人は白目を剥きながら『美女の群れ』を目指して歩み寄った。そこに待ち受けていたのは、ゾンビの一団である。
「あぁ、日本の女は激しいんだな。すっげぇ積極的……いて、いてて。イデデデデッ!」
「こんな歓迎は珍しすぎる。最高だったと、友人のボビーにも教えてやらなきゃァアアアアァァアア!!」
嬌声の声は、やがて断末魔の叫びと変わる。新鮮な血が飛び、肉が転がるうち、2人とも動かなくなった。
その一部始終を眺めていた新庄は、静かに歩み寄った。反応したゾンビ達が顔を向けたが、ウェットティッシュを振って追い散らす事に成功。アルコール臭の撃退効果は抜群だった。
「どうだマイク、ロレンス。最期に良い思いをして死ねたんだ。幸福だったろう?」
新庄は、自身の顔からフィルムを剥がすと、亡骸に歩み寄った。2人の瞳に生気はない。見開いたままで、在らぬ方だけをジッと見つめている。
「お前らにとっては他所の国だろう、だが私にとっては大切な故郷だ。焦土化だなんて見過ごせる訳がない、何があろうともだ!」
「新庄……バカな男だ……」
「マイク。まだ息があったのか?」
「これで、日本中がゾンビで溢れ返る。僅かな犠牲を拒んだせいで……」
「本土にまで被害は及ばんよ。内海が阻むからな」
新庄は、マイクの顔にウェットティッシュを被せてやった。別れだと言わんばかりに。
それからは踵を返して、静かに歩き出した。
「もう夜か、どうりで腹が減るはずだ。薬局で弁当を買おう。運が良ければ、半額商品が残ってるかもしれない。あとは除菌スプレーなんかが有れば」
会社敷地を出た後は、暗い夜道を歩き続けた。街頭はあれど通電していない。月明かりが頼りである。
歩く最中、遠くにゾンビの集団を見た。その姿を新庄は、寂しげに見つめては、先を急いだ。
弁当が有るかすら分からない、ドラッグストアを目指して。
ー完ー