17 絶体絶命、そして
このままだと、明日香が――。
身体が軋む。だけど、構っている場合じゃない。今動かないで、いつ動く。
明日香を連れ去られることは、たとえ死んでも防ぐんだ!
「おおァァァァ!」
全力で周囲の取り巻き達の隙間をかい潜り、渾身の力と体重を乗せて、坊主頭の脇腹を蹴り飛ばした。
間一髪だった。
俺はその隙にエレベーターの地下へ向かうボタンを押して、明日香だけをエレベーターに留めた。
「鷹広っ! ダメだよ! 鷹広!」
「いいから逃げろ! 虎二と約束したんだ! 俺は明日香を守るんだ!」
「てめぇガキがコラァァ!」
坊主頭が助走をつけて殴りかかってきた。重い衝撃で脳が揺れる。
それと同時に、悲痛な顔をして叫ぶ明日香を、エレベーターの扉が隠した。
「あーあ。舐めた真似してくれんなぁ、オイ!」
再び拳が数発飛んで来る。俺が全力で蹴っても、全然効いていないようだ。
虎二のようには行かなかった。だけどそれでも、明日香を逃がせた。あとは、マイとゆりだ。
「あんたたちバカじゃないの! モテないからってほんっときもい! 死ね!」
「あぁ? うるせえ女だな。ここで黙らせてやろうか、俺のモノを突っ込んでなぁ」
スガはズボンのベルトをかちゃかちゃと外しながらマイへと歩み寄る。
大きな声で吠えてみせたマイだったが、体は硬直して小さく震えている。
助けに行かなければ。そう思った瞬間、意識の外から坊主頭の声。
「よそ見してんじゃねぇ!」
「あガッ」
重い拳が右の脇腹に刺さった。全ての内臓が一瞬動きを止めたかの様に苦しい。
足が言う事を聞かなくなって、俺は倒れた。
「ったく、手間取らせやがって」
坊主頭は首をコキコキと鳴らし、いつの間に呼んでいたのか、扉の開いたもう一台のエレベーターに乗り込んだ。
「やめろ……待て……!」
エレベーターはただの一瞬すら待ってくれず、残酷なくらい機械的に動いて、坊主頭を乗せて閉まった。
どうする、このままだと明日香が。追いつくにはどうしたらいい。だけど、身体が動かない。
俺は地面に這いつくばりながら、スガ達を睨みつける。
「お前ら……絶対に許さないぞ」
「あぁ? ハハッ、おいお前ら! ボロ雑巾みてえなガキがなんか言ってんぞ! パンチが甘ちゃんなんじゃねえのかぁ? ちゃんと黙らせろや!」
スガの声に応えるように、取り巻きの一人がつま先で俺の顔面を蹴り上げた。
鼻先が熱い。ジンジンと刺すような痛みが波のように繰り返す。
「なぁ、ガキ。守るとか何とか言ってたけどよ、こんな世界で、守りきれるもんがあると思ってんなよ? てめえも大切なもん失ってみろや」
スガが不意に、真面目なトーンでそう言った。
「大切なものって……レイラ、のことか?」
――レイラ。昨日取り巻きの一人が口にした途端、スガが激昂した名前。
スガの表情はみるみる険しくなり、取り巻き達に向けて顎をしゃくって見せた。それを合図に数人の蹴りが飛んで来る。
痛みに喘いでいると、髪を掴まれ、頭を持ち上げられてスガの方へ向けられた。
「おめえ気に入らねえわ。いいか、女どもがヤられるのをそこで指を咥えて見てろ。何ならてめえで勝手にヌいてても構わねえぜ? ヒャハハハ!」
取り巻き一同がどっと笑った。
スガはベルトを外しファスナーを下ろして、舌舐めずりをしながらマイへと歩み寄る。
なんとか阻止すべく、俺は床を這いずって進むが、取り巻き達が邪魔をする。
どうしたらいいんだ――どうしたら!!
――ふいに。
ピンポーン、とエレベーターが到着を知らせた。
「何だ? あいつもう終わったのか?」
「早すぎじゃね? だっせー! ギャハハ!」
俺は黙ってエレベーターを見つめる。血を流すほどに唇を噛んでいた。
胃がぎゅっと締め付けられる。守れなかった、のか……?
エレベーターの扉が開く。
すると今の今まで高笑いしていたスガ達が、急に推し黙った。
エレベーターに乗っていたのは、思っていた人物ではなかったから。
――いや、思っていた人物では、無くなっていたから。
「お、おい、お前」
取り巻きの一人が声を震わせる。
エレベーターの中から、明日香を追いかけたはずの坊主頭が飛び出して来た。
――NADと化した姿で。
「ア゛アァァァ!」
「ぎゃっ」
一人が首を噛まれた。盛大に血を噴出させながら、持っていたバットを力なく振り回す。
そんなやつどうでもいい、明日香は、明日香はどうした。状況が理解できない!
「何が起きたぁ!」
スガが焦って叫ぶその隙に、マイが股間を蹴り上げた。
「おごっ!?」
スガは崩れ落ち、唾液を垂らしながらプルプル震えて悶絶している。
俺は体に鞭を打って立ち上がり、エレベーターの方へ。
「明日香……明日香っ!」
絶対に守らなければならない女の子の名前を、必死で呼んだ。
足が思うように前に出ない。何とか歩を進めるが、その度足をつく振動で脇腹と鼻先が悲鳴をあげる。苦しいという感情は無くって、身体へのダメージが、ただただ鬱陶しい。
「……この、クソアマがァァァァ!」
スガが股間を抑えてよろよろと立ち上がり、怒り狂った目で叫んだ。
「しまった、マイ!」
俺も山羊野もスガとマイの間に割って入れる距離にはいない。それでもなんとか助けに入ろうと踵を返してマイの元へ向かう。
「やめてっ!」
ゆりが叫んでスガに掴みかかるが、簡単に振り払われてしまう。
スガがマイにボウガンを向けた。身体が言うことを聞かない、思ったように走れない、間に合わない!
――その時だった。
「あ……」
思わず声が漏れた。エレベーターから、もう一人。
獣にも勝るスピードで、スガの方へ走る人影。
「もう殺す……コロス!」
スガは逆上して完全に正気を失っている。
ぎろりと見開いた血走った目で唾液を垂れ流し、怒りで顔は真っ赤だ。
マイは涙目になるも、ボウガンを構えるスガを睨んで目を逸らさない。
「やれるもんなら、やって見なさいよ!」
気丈に言い返すが、遠目に見ても分かるくらいに震えていた。
今にもスガは、ボウガンの引き金をひく。
――でももう、俺は何の心配もしていなかった。
「死ねよクソアm
「オ゛ゥラァァァァァ!!!!」
信じられない。夢だろうか。涙が勝手に溢れ出す。
その人影は物凄い勢いで、光の矢のような右ストレートをスガの顎へ叩き込んだ。
スガはトラックに跳ねられたかのように盛大に吹っ飛んで、壁に激突してずるりと地面に落ちた。
そのまま、うつ伏せで尻を突き出した無様な体勢で動かなくなった。
もう、なんだよ。お前というやつは、かっこよすぎだよ、ふざけんなよ。
どうしてここにいるのか。そんな事は今はどうでも良かった。
溢れる涙で滲む目を袖で拭って、鮮明にその姿を視界に入れる。
その人影は拳を振り抜いた後、笑って言った。
「――よう、ひでえツラだな、鷹広」
見慣れた髪型。前髪の下がったトサカのようなリーゼント。俺の相棒がそこいた。