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私の転職人生  作者: KIRARA
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私の転職人生

 人生100年時代といわれ、現在折り返しの地点でどれだけの職業を経験してきただろう。

 それぞれの人生で、一生をかけ仕事として向きあう業種はどれほどだろう。

 学生時代に経験したアルバイト、正社員として就職した回数は人それぞれだろう。


 きっと、一つの仕事を極める人もいれば、いろいろ経験した中で、自分に合った仕事を見つけ選び取れる人もいるかもしれない。それはとても幸せで、幸運なのだろう。

 しかし、そのどれにも当てはまらず、数多くの職場を経験しても定職できず転職を繰り返す人もいるだろう。


 私もまたその一人で、転職を繰り返している。器用貧乏という言葉があるが、まさにそれに近いかもしれない。経験した職業の中で人生の分岐点となった業種がいくつかあるが、その中で重大な転機となった職場の話をしたいと思う。


 私には2人の息子がいるが、次男が生まれてすぐに離婚を決めた。一人で子供たちを引き取り育てていかなければならなくなったことがキッカケで、始めた就職が私の人生で最も勉強になった場所だった。


 そんな場所を退職しなければいけなくなった。

 梅雨が終わる頃、約6年弱近く務めてきた大手の生命保険会社だった。


 母の介護の為、田舎へ戻ることになったからだ。


 母は、長男が生まれて直ぐに倒れた。クモ膜下出血だった。手術をしたが術後が悪く、寝たきりになってしまった。


 病院での入院も約5年に及んだ。リハビリを続け、何とか起き上がれるようになり、左の半身不随は変わらなかったが、歩けるようにまで回復したことで、退院が決まったという。


 家に連れ帰った後、母の介護に疲れていると父に泣きつかれた。


 しかし、2人の子供たちはまだ幼い。この仕事はやりがいの他に子供の急病や看病の対応が出来、収入が底辺でも福利厚生が保証されている事は、私にとってとても都合がよかったのに...。


 夏になった頃、田舎に戻って来た。仕事を探してみたがなかなか見つからない。何のコネもなければ子持ちの女性での就職は条件的に不利だった。


 年齢も30代後半、業種的にも範囲が狭められる。経験がある保険会社が頭にちらつく。


 もう一度試してみようか...いや、そんなに甘くはない。

 都会と比べて田舎での営業は顧客が少なすぎる。新規開拓は難しい。


 生活費を稼がなくてはいけない為、アルバイトをしながら就活をした。


 母の介護もあり、なかなか良い条件での就職先が見つからない。

 約1年過ぎても、定職に就けなかった。


 ハローワークで検索しながら保険会社を覗いてみる。


 外資系の会社がヒットした。私が所属した会社はこの田舎では営業所すらなかった。


 外資系は日本の会社よりノルマがきついとされていた。とても務まるとは思えなかった。

 でも、バイト代と、母子家庭に支払われる支援金だけでは生活は厳しい。


 長男の小学校入学も迫っていた。


 私は妥協する形で、履歴書を提出し応募した。





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