諫言は耳に痛いもの
村の暮らしの要である湖の神を旅に誘い、キヨラはにこにこと笑っている。
湖の神ミクマリは、加護を与えた相手からの思わぬ誘いにきょとり、またたいた。感情の読めなかった瞳は湖面に雫を落としたように、キラキラと揺れている。
死活問題をさらりと提示された村人たちは動揺のあまり、言葉が出ないらしい。口を開け閉めするばかりで黙ったままま、誰もが顔を青くしている。
困惑と驚愕に彩られた人々を代弁するように口を開いたのは、メーラだった。
しゅるりとひとの姿を取った神は、キヨラの前に立つ。
「キヨラ! それはあんまりだろう。湖の生き物が耐えてしまえば人びとの暮らしは立ち行かなくなるのだぞ!」
それはひとを慈しむ神として、ひとの暮らしのそばにあった神としての言葉だった。
驚きのあまり、獣の姿をとることを止めてしまうほどにはメーラにとっても予想外の発言であったらしい。
対するキヨラは気負いもなくふわりと笑って、頬に手を添える。
「あらあ。だけどミクマリさんがこのままここに居たら、彼女が消えてしまうのでしょう? だったら私にはここに残って村人のために尽くすべき、なんて言えないわあ」
「だが、ひとの願いを叶えることこそ神の意義だ。ひとが神を捨てるならばともかく、神がひとを捨てるなどと……!」
許されることではない、と唇をかむメーラを見上げて首をかしげたのはチエだった。
「どうして神さまはひとのお願いを叶えなくちゃいけないの?」
「なぜ、なぜか。俺たちは神だ。ひとの想いを力にするのだから、その力をひとのために使うのは当然のことで」
「じゃあひとは神さまになにをするの?」
「ひとが、神に……?」
幼い少女の純粋な疑問に、メーラはたじろいだ。
一歩踏み出したトオルが、妹を抱えてうなずく。
「ああ。メーラたちはひとのために力を使うんだろ? だったら、力を使ってもらうひとはメーラたちに何ができるんだ? 俺たちだってメーラやミクマリの力になりたいんだ」
「いや、お前たちはじゅうぶん俺に力をくれている」
「わたくしも受け取っています」
メーラに続いてミクマリもまた、すでにもらったと言う。けれど有賀一家は戸惑うばかり。
「私たちが返せたのは感謝だけだわ。私たちだって、あなたたちの助けになりたいのよう」
「助け……」
「ひとが、わたくしたちを?」
困ったように笑うキヨラの言葉をメーラは繰り返し、ミクマリは胸のうちで転がした。
理解ができない、と言いたげなふたりの様子を見ていた十蔵が、眼鏡をくいっと押し上げる。
「我々に特別な力がないことは百も承知。神に対してひとができることなど、無いに等しいのだろう。けれどあなたがたに世話になったのだ、せめて、できる限りのことを返したいと私たちは考えている」
十蔵が言えば、有賀一家はそろってうなずき同意を示す。
その顔にあるのは期待。自分になにができるだろう、どうすれば役に立てるだろうという前向きな感情があふれていた。
力の行使を請う人びとの視線ばかりを浴びてきた神々はかつてない視線にたじろぐ。
「いや……ひとが健全に在ることこそ、神にとって何よりの喜びで」
「一方的な関係は長くは続かない。与える者と与えられる者とがそれぞれの立場に踏みとどまり続ければ、力の天秤は偏り、いつか破綻する。不躾で申し訳ないが、あなたがたの世界が立ち行かなくなりかけているのは、そのせいではないのだろうか」
どうにか反論しようとするメーラのたどたどしい言葉を遮って、十蔵が告げた。
責めるような響きがあるわけではない。けれど遠慮のない言いように、メーラは口ごもる。
「それは、」
「うれしかったの。ありがとうの気持ち、どうやって返したらいーい?」
逃げるようにうつむけた顔を見上げて、チエが言う。
その思いが力となり、メーラの身を光らせる。短期間に幾度も注がれた神力はあふれんほどで、その力が彼の身をきらめかせるのが見えていてなお、有賀一家は現状に満足していなかった。
「そりゃあ神さまとただのひとが対等な関係にはなれないって、わかってるけどさ。それでも、なんかあるだろ。道具をくれたお礼に神さまの家を掃除するとか」
「そうよねえ。ミクマリさんは、何をしてもらえたらうれしいかしら?」
トオルのあとを継いだキヨラに問われて、ミクマリは潤んだ目をぱちくり。
「うれしい?」
「そうなの。私たちはあなたがきれいな水をくれたことがうれしかったのよ。だから、ミクマリさんにもうれしいって思ってほしいのよう」
「うれしい……」
つぶやいたミクマリは、キヨラの手を取りすり、と頬を寄せた。まぶたを伏せて、水面のような瞳をうっとりととろけさせる。
「わたくしはひとが、あなたが清らかなその心のままに在り続けることこそがうれしいと思います」
「あら」
うれしそうに声を弾ませたキヨラは「うふふ」と笑ってミクマリの手を握り返した。
春の水のように温んだ女神の目を見返して、その目に映る村の人々の姿を見つけて、キヨラはにこにこ笑う。
「あなたはこの村のひとたちが好きなのねえ。だったら旅にはお誘いできないわ」
「うむ、親切の押し付けは迷惑と同義」
すちゃ、と眼鏡を押し上げた十蔵の後ろでは村人たちが歓声を上げていた。
「おお、女神はこの村を見捨てないぞ!」
「それでこそ神だ。我らが湖の神よ、幾久しく村を栄えさせておくれ」
「良かった、良かった。神に見捨てられては生きていけないから」
口々に告げるなかに神への願いはあれど、そこに込められたのは村人たち自身への暮らしへの思いばかり。
神への感謝がないことに気づいた十蔵が静かに眼鏡を押し上げ、トオルが眉を寄せる。幼いチエまでもが口をへの字にして不満顔をするなか。
ぱちん、とキヨラの両手が打ち鳴らされた。
「そうだわ! お祭りをするのはどうかしらぁ」
「「祭り?」」
メーラとミクマリがきょとりとする。一方で。
「祭りか」
「おまつりおまつり!」
「まあ、いいんじゃない?」
十蔵、チエそしてトオルはあっさりと賛同した。




