冒険の旅へ出発する
光が消えるとともに、メーラのいたところにすっくと立っていたのは四つ足の獣。
「もふもふわんちゃん!」
「ふふ。飛びついても噛んだりせんぞ?」
チエが歓声をあげて駆け寄ると、獣は迎えいれるようにその場に伏せた。喜び、首にしがみつく幼児をぶら下げて目を細めている。
その目も、メーラと同じく片眼だった。
閉じた右目には眼帯の紐のような斜めの傷が入り、鋼のような硬質な毛皮を赤く光らせた獣。
乗用車くらいありそうな巨躯は、わんちゃんというよりも狼めいている。
「メーラさん、すごいわあ。とっても大きくなれるのねえ」
「ふむ。番犬というには常軌を逸しているが、護衛とするならば頼もしい」
ほくほく顔のキヨラのとなりでは、十蔵が満足げに頷いている。その眼鏡の反射光は、どこかやさしい。
有賀一家は動物好きである。
家族全員、飼いたい動物が多すぎてペットが決められないまま今日まで過ごしてきたくらいには、動物好きだった。
家族が休日に出かける先として、動物園や水族館が選択されることはしばしば。というか、しょっちゅう。
それでは足りないとばかりに、ふれあい動物コーナーが開催される店舗を見つけては通ってきた一家だった。
そんな動物好きにファンタジー好きを掛け合わせた中二であるトオルは、誰よりも目を輝かせて、巨大なもふもふににじり寄る。
「おっきいもふもふ……! もふもふに埋もれてたわむれる夢が今、ここに……!」
欲望のままに飛びついて、トオルは巨獣の毛皮に顔と言わず全身を埋めていた。
「やわ……」
鋼のような光沢を持つ毛皮だが、硬くはない。むしろ陽だまりのぬくもりが抱き止めてくれるような、やわらかな暖かさがトオルを包み込んでいた。
「きもちぃねえ、お兄ちゃん」
「おお。これは素晴らしいものだ。だから、引っ張たりしたらだめだぞ、チエ」
「うん!チィちゃん引っ張らない。いいこいいこする~」
よしよし、と毛皮に埋もれながらなでるチエ。
トオルは「ありがたや~。ありがたや~。巨大なもふもふからでしか得られない栄養がここにあった……!」と祈りながら毛皮に包まれている。
祈りもまた感謝とカウントされるらしく、メーラの毛皮が光を帯びた。
その光に照らされてキラキラと輝くものがあることにトオルが気が付いた。
「なんだ、これ」
トオルがそっと手を伸ばしたのは、獣姿のメーラの大きな耳。
左右の耳にちいさな耳飾りが光を跳ね返しながら揺れている。よくよく見てみれば一方は金づちの形をしており、もう一方はやっとこに似ているようだった。
「これ、もしかして」
「俺の神器だ。形を失くして身の内にしまっておくこともできるがな、やはり身に着けているほうが落ち着くのでな」
「洒落ているな」
「毛艶もとっても良いわねえ。おとなしくっていい子だわあ」
いそいそと近寄って来た十蔵が褒め、キヨラが「うちで飼いたいわあ」と熱い視線を送る。
一家の群がりようにメーラがわずかに口元を引きつらせたが、獣の姿では今一つ表情が伝わらない。これではいけない、と思ったのか、メーラはふすんと鼻を鳴らす。
「俺を愛でるのは道中でもできるだろう。さあ、荷を持て。出立するぞ!」
「おー!」
メーラの声にチィが答えて、一家は異世界の旅を開始した。
***
歩き出すことおよそ三分。
かつて鍛冶師たちが暮らした集落を出るころ、一家はそろって足を止めた。
「どうした?」
不思議そうに振り返ったメーラがふさりと尾を揺らす。
小首をかしげる大型獣のかわいさに一家の胸はざわついた。
けれどそのまま黙り込んだ家族を代表して、十蔵が眼鏡をくいっと押し上げる。
「聞きたいのだが」
「うん、なんだ?」
「集落の外が見えないのは、霧が出ているのか。それとも私の眼鏡がくもっているのか」
眼鏡のくもりでないことは確かだった。裸眼のトオル、チエそしてキヨラの目にも、集落の外が白く塗りつぶされて見える。
そう、塗りつぶされているように見えるのだ。
十蔵は「霧か」とたずねたけれど、明らかに違う。
集落の土地の端の向こうは、世界が途切れたかのように何もないのだ。
例えるならばゲームのマップ外をのぞいてしまったかのように、景色が存在しなかった。
「神の加護が及ばぬ領域だ。かつては世界じゅうに神が溢れ、神力が世界を満たし、このような『無』はなかったのだがな」
寂し気につぶやいたメーラは、真っ白い空間に向かってすたすたと歩いて行く。
巨大な前脚が集落の端を越え『無』にひたと下ろされた、その途端。
大きな前脚の下に地面が生じ、ちいさな草が芽生えた。
ひたひたと四本の足が触れた箇所から世界に色がつき、形が与えられ、メーラが通った箇所を起点として景色が生まれていく。
「すっごぉい! わんちゃん、まほうつかいみたい!」
「うわぁ、まじでファンタジーじゃん……」
チエが喜ぶとなりでトオルが目を輝かせ。
「まあまあ、すごいわねえ。神さまっぽいわあ」
「素晴らしいな。神ならば誰でも成しうることなのだろうか?」
キヨラがおっとりと微笑み十蔵が眼鏡を押し上げる。
「あなたがいなければ旅もできないところだったのねえ、私たち」
キヨラが言うと、一家は口々に続けた。
「ありがと、わんちゃん!」
「この世界で初めに会ったのがあんたで良かった、サンキュ」
「道を作ってくれてありがとうございます。歩きやすそうで、助かるわあ」
「旅をするのに道が無くてははじまらない。道を作ったということは私たち一家の旅の一歩目を作ったも同然。感謝する」
四人分の感謝の気持ちが、力となってメーラの身を赤く包み込む。
「またお前たちは、そうやって気軽に感謝をする……」
使った以上の力を補充されたメーラは、こぼれる神力で毛皮をきらめかせながら苦笑した。
そのとき。
「うわーお、とんでもハッピーなパワーを感じると思ったら。面白そうなことになってるじゃん?」
真っ白い『無』に少女の声が響いた。