神さまに飴をどうぞ
「ほんとにもう、なんなんだ……」
毒気を抜かれたイタテがふらふらと降りてくる。
よろめくように太い樹の幹にもたれかかる神を心配するように、動物たちや虫たちが集まってきた。
いっしょに有賀一家もぞろぞろと近づく。
疲れたように樹の根元に座り込んだイタテの前に、ちょっこりしゃがんだのはチエだ。
「神さま、おつかれなの? チィちゃんのおやつわけたげるね」
ごそごそとちいさなリュックをさぐったチエが取りだしたのは、棒付きキャンディ。
ひとりではぐれたときのために糖分をひとつ持っておくように、と言われたチエが自分で選んだ一本きりの特別なキャンディをチエはイタテに差し出した。
「なんだい、これは」
白い棒の先に緑色に透き通ったキャンディがついている。
差し出されるまま受け取ってしまったイタテは、はじめてみる物体をしげしげと眺めた。木漏れ日を透かしてきらめくキャンディはひどくきれいだ。
「まあ口に入れてみろ」
おやつはおいしいもの、と記憶したメーラに促されるままイタテはキャンディを口にくわえて、驚いた。
「なんて甘い!」
「おいしいでしょ?」
「うまいだろう」
にっこり笑顔のチエといっしょに、メーラまで得意げだ。
神が与えるままの物しかないこの世界では、甘味となるのは果物くらいなもの。
日本から持ち込まれたたっぷりの砂糖をはじめて口にして、イタテはようやく一家を「ただのひと」ではなく、個人として認識した。
「君たちは……いや、まずは素晴らしい贈り物の代わりに、僕からもこれを」
イタテがすっと手のひらを差し出すと、はるかな樹上からふわりふわりと降りてきたのはひとつの木の実。淡い緑光をまといきらめく木の実は、リンゴとも洋ナシともつかない不思議な形状をしている。
「わあ……」
黄色みを帯びた緑色の実は、両手を広げたチエの手のひらにころりと転がった。
そうっと顔を近づけてみれば、それだけで甘い香りが広がる。
「もらっていいの?」
「もちろん。樹の神、イタテがひとにもたらす木の実だ。飢えを癒やし命を繋ぐ力をこめたものだよ」
にこり、笑ったイタテにチエは笑顔をきらめかせた。
「ありがとう!」
ぶわ、と光をまとったのはイタテだけではなく、巨大な神樹も。
「これは!?」
驚くイタテをよそに、一家はチエの手に乗る木の実に興味津々。
「これがイタテの木の実かあ。ようやくちゃんと見られたよ。サンキュ、イタテ」
「きれいねえ。途中の村や街ではもっとしょんぼりした木の実だったものねえ。見られてよかったわ、ありがとう。こんなにおいしいそうで栄養もバッチリなの? いいわあ、うらやましいわ、日本にもあればいいのに」
「木の実が神々しいとは。拝んでおこう、ありがたやありがたや。神がひとに与える食物か……イタテさん、さきほど樹のうえから降りてきたのはどういう原理だろうか。神樹本体だけの特性か、国じゅうにあるというすべての木が同じように実をもたらすのか、実に興味深い」
痩せ細った樹ばかりを見てきたトオルは本来の木の実が見られたことに感謝をし、栄養面で優れていることをうらやんだキヨラもまた美しい木の実を目にできたと感謝を口にする。
十蔵は見知った木の実に似ているようで似ていない食物を拝んで、眼鏡をきらめかせる。
気軽に感謝を告げるたび、イタテと神樹が光に包まれ神力が満ちていく。
加減なくもたらされる神力を帯びて、イタテも神樹もまばゆいほど。その光り具合ときたら、木漏れ日などという生優しいきらめきではない。
まるで一個の太陽のように樹そのものが光を放っていた。
「ほんとになんなんだ、君たちは……」
予想もしていなかった光景に圧倒され、身を満たす神力の濃さにうちのめされ、イタテはぐったりと幹に体を預けて天をあおいだ。
あおいだ先の神樹が神力に満ちてまぶしくて、目がくらむ。
そんなイタテの肩を叩いたのは、メーラだった。
「この一家はずっとこの調子だ。この調子でな、神ばかりが与えるこの国のあり様がおかしいと、言うんだ」
「おかしい、と? そう言うのかい。ひとが。メーラ、君はそれを信じたの?」
信じられない、とイタテは言いたげだ。
一家と行動を共にしてきたメーラとしても、いまだに完全に同意したわけではない。
神として生じてからこれまでずっと疑いもしなかった常識なのだ。
トオルがたびたび憤り、キヨラや十蔵までもが「違うやり方があるはず」と言うのを聞いてようやくメーラは疑うことができた。
「信じたというか、改めて考えればな。この国の有り様は歪だと、思えたさ」
未だ半信半疑。
けれどメーラが知るだけでも、消えた神はひと柱ふた柱ではない。
神樹へたどりつくまでの間だけでも数多の神が姿を消した痕跡があり、数えきれないほどの村や道が無に帰した様をメーラは見てきた。
それが国の歪さゆえと言われれば、いかにひとに寄り添い生きる神といえど見ないフリはできない。
「そっか」
イタテは降り注ぐ光を浴びて目を閉じた。
体がひどく軽く感じるのは、神気に満たされたせいだけではないのだろう。
ひとを憎む寸前までいっていた樹の神を解き放った一家は、大それたことをしたつもりなどないらしい。
イタテからあふれる神気でぽんぽんと咲く花々を囲んで笑い合っている。
「わあ、かわいいお花! チィちゃん好き!」
「そうねえ、すごいわあ。さすがは樹の神さまだわあ。お世話しなくてもきれいな花に囲まれるなんて、ありがたいわねえ」
「メーラみたいな物を作る系もすげえけど、イタテはまた違うすごさがあるな。生物が生きてくのに無くてはならない存在、っていうか。見ててありがたい感じする」
「八百万の神々、と言われて育ってきたが実際に目にするとやはり、ありがたみが増すな。いったいどれほどの命を育んでいるのか……」
ありがたい、ありがたいと口々に言う一家のせいで、イタテと神樹の光がやまない。
「え、ちょっと、もうじゅうぶんなんだけど? ねえ、ちょっとメーラ、このひとたち止めてよ! 神気あふれちゃってるんだけど!」
慌てるイタテをメーラは笑った。
「無理だ。こうなるとしばらく止まらない」
諦めを覚えたメーラはとてもいい顔をしていた。