神は有賀一家に驚く
「ははっ。やっぱりそうだ」
疲れたように笑ったイタテが腕を振るえば、追従するように神樹の枝がしなり木の葉がざわめく。
それはまるで、神の樹の主の胸中を代弁するかのよう。
「メーラの連れてきた子たちだからと、もしかしたらと思ったけれど……」
「おい、イタテ! この一家は違うんだ」
様子の変わったイタテにメーラが声をあげるけれど、悲しみに飲まれた神には届かない。
悲しげな顔を精一杯にしかめて、イタテが叫ぶ。
「去れ、立ち去ってくれ! 僕はもうひとに割く心を持っていないんだ!」
悲鳴じみた声が木漏れ日に満ちた空間のぬくもりを消し飛ばす。
宙に浮かんだイタテを追うようにざざざと葉擦れの音が響き、神の悲しみをまとった木の葉が鋭利な光を宿す。
敵意を持った枝葉が降り注ぐ、まさにその瞬間。
「ぴぃぴぃ!」
鳴き声をあげたのは逃げたはずの小鳥だった。
風のなか羽ばたいてやってきた小鳥はチエの頭のうえにとまり、ちいさな羽根を必死に広げる。
それはまるで、ひなを守る親鳥の姿。
寄ってきたのは小鳥だけではない。
風に乗って小さな何かがポロポロと飛んできた。
偶然か故意にか、小さなものたちは皆トオルの元へ。
「おお? なんだ、虫がいっぱい寄ってきて……」
ぶつかるようにして飛んできたのは、どれも虫だった。
トオルの肩にテントウムシがとまり、ミツバチや蝶が頭に胸にひしっとしがみつく。
自分も、とやってきたのだろうか。コロコロとしたクマバチが風にあおられて吹き飛ばされかけるのをトオルはとっさに手で受け止めた。
受け止められたクマバチはトオルの手のなかでころりと転がり、もたもたと起き上がると感謝を伝えるように丸い尻をふっている。
守るというにはあまりにも頼りない虫たちだが、それぞれトオルにしがみつく姿はいのちの全てを愛するイタテにとって、大変効果的な盾となる。
「なんだ、お前ら。今は忙しいから遊ぶなら後にしてくれよ」
「ことりさんも飛ばされちゃうから、ないないよ」
トオルはそう言いながらも虫たちを手に乗せて邪険にしない。チエは小鳥を守ろうと胸元に抱きしめた。
その姿はイタテの目に入り、彼の激情に待ったをかける。
「小鳥が……虫たちも……どうして」
ひとに懐かないはずの小鳥が、花や草木に寄り添うだけの虫たちがひとを守るような素振りを見せていることがイタテには信じられなかった。
何が起きているのかわからず呆然とつぶやくイタテの声に、トオルが「ああ」と首をかしげた。
「あれかな。フタヤの、小花の神の加護ってやつ? たしか、虫に好かれるとかなんとか」
「チィちゃんはソニお兄さんにぱわわ~ってしてもらったよ! お兄さんはね、あおいはねの鳥さんなんだよ」
トオルとチエにとっては、ちょっと仲良しになった相手が応援の力をくれた程度の認識でしかない。
けれどこの世界に生きる神であるイタテには、衝撃的であった。
「小花と小鳥の神の加護を、兄妹で持っているなんて。恩恵を与えられただけでなく、加護を?」
驚きで力が抜けたのか、木の葉のざわめきが遠ざかる。あわせて樹を光らせるほどの神力はなりをひそめ、渦巻いていた風も力を弱めた。
そこへぴゅう、と水が飛ぶ。
「うふふ~、私は湖の神さまの加護をいただいたわ~。ミクマリさんっていうのよう」
キヨラは立てた指から自慢げに水を飛ばして見せる。
ひとの身になせる技でないことは、神のイタテこそがよくわかった。
しかと認めて目を見開いたイタテの表情を確認したキヨラは「あんまり出したらもったいないわあ、節水節水〜」と指をたたむ。
楽しげな妻の姿を横目に見ていた十蔵はふむ、と眼鏡を押しあげた。
「私もシルベどのから加護を受けたはずなのだが、道の神の加護はどう示せばいいのだろうか」
どことなくしょんぼりして見える十蔵に笑って、メーラがトオルの肩を叩く。
「トオルには俺の加護も与えてあるぞ」
「あ、そうだった」
「道具の耐久力が上がり、手先の器用さが増す程度のものだがな」
「おかげでネノ国では助かったんだから、じゅうぶんすごいだろ。メーラはすごい神さまなんだって、もっと胸張ってよ」
家族全員が何らかの加護を受けている。
イタテにはにわかに信じられない。
けれど事実、小鳥や虫がなつく姿を見せられて、指先から水が出ることを示されて、果ては加護を与えた神自身がこの場にいるのだから、信じないわけにいかない。
加護を持っているひとなど滅多といないのに、トオルに至っては二柱の神の加護を得ていると聞かされて、いよいよイタテは力が抜けた。
「なんだよ、それ……」
あまりに信じがたい状況に、荒れ狂っていたはずのイタテの胸中は混乱していた。混乱するあまり、ぽかんと空っぽになる。
操る神の意識がそれたことで、及ぶ力も途絶えたのだろう。
騒いでいた神樹の枝葉は完全に鎮まり、おだやかな木漏れ日が戻ってくる。
「思えばいろんな神さまに助けられたわねえ」
「帰る前にもう一回、みんなにお礼が言えたらいいんだけどな」
「チィちゃんもいいたーい!」
「お前たちの感謝は効果がありすぎる。じゅうぶん以上に伝わっているだろう」
「ふむ。こちらの世界に文字はあるのだろうか。叶うならば、礼状だけでも出したいものだが」
あたたかな日差しを浴びてのほほんと笑い合う一家とメーラを前に、樹の神はひとりおろおろしはじめた。
「なんだよ、それは。どうしてそんなにたくさんの加護をもらってるんだよ!」
神力でもって生み出した物を与えるのとは違い、加護は神が自身の力を直接分け与えるもの。
ぽんぽんと与えられるものでは決してないはずなのに、イタテの目の前には加護を受けたひとばかり。
「はははは! 驚くだろう。この一家はな、普通じゃないんだ」
出会ってからこちら、有賀一家に驚かされてばかりのメーラの言葉には実感がこもっていた。