神が慈しむのはひとだけではない
イタテは笑った。
けれどその笑顔に何かを感じ、メーラはわずかに後ずさる。
一家を守るように背にかばう姿に、イタテが問いかけた。
「メーラはさ、ひとが好きかい?」
「ああ、好きだ」
唐突な問いに迷いなく答えるメーラを見て、イタテが浮かべたのはうらやましげな顔。
手には入らないものを眺めて、さみしさを漂わせる子どものような表情でイタテは笑った。
「僕はもう、つかれてしまったよ」
「つかれた、とは? 見たところ、お前の神力はまだ枯渇するようには思えないが」
「神力をね、ひとのために使うことにさ。疲れてしまったんだよ」
ため息をついて、イタテがふわりと宙に舞う。
軽やかに腰を下ろしたのは太い木の枝。上空でさえずっていた小鳥がイタテの指先に舞い降りて「チチチ」とさえずる。
「この国にはいろんな命があるんだよ」
小鳥に続いて、どこからか現れたリスがイタテの身体をちょろちょろと這う。
蝶がひらひらと寄り添うように樹の神のまわりを舞い、太い幹の向こうから顔を出した鹿がイタテを見上げる。
鹿だけではない。たぬきや狐、野兎に鴉に雉もやってきた。雉などはちいさなひなも連れて、家族総出でイタテのいる樹の幹を取り囲んでいる。
「樹のしたに息づく命だけでもこれだけいるんだ。それなら、どうしてひとだけに神力を与え続けなくちゃならないんだろう。そう、思ってしまったんだ」
「イタテ……」
メーラはひとのそばで暮らす神として、かける言葉がみつからなかった。
ひとを愛し、ひとに寄り添って生きることこそがメーラの在りようだ。
他の多くの神々も距離感の違いこそあれどひとを慈しみ、ひとの幸せを願ってきた。
そのなかでひとの在り方に疑問を抱き、接し方を変えると決めるまでにイタテはどんなことを思い考えてきたのか。
思い描くだけでメーラは胸が苦しくなる。
神と神とが眉を寄せ黙り込んだ静けさのなか、声をあげたのは十蔵だった。
「あなたの疑問はもっともだ。神の側にもそういった意識を持つ方がいらっしゃるとは、安心しました」
これまでたずねた街や村は、神はひとのために神力を使うことを当然としていた。
また神の側でもそれが当然として乞われるままに神力を与える姿に、トオルをはじめとした有賀一家は何度も憤りを感じていたのだ。
それがここに来て自分たちと同じように現状に疑問を持つ神に出会えて、喜ばないはずがない。
一斉に笑顔を浮かべた一家を見て、イタテはかすかに眉を寄せた。
「君たちは何をしにここへ来たんだい?」
「俺たち、別の世界から落っこちたんだ。あんた、国じゅうに木を生やすくらい力が強いらしいから、元の世界への戻り方を知ってるんじゃないか、って思って」
トオルの素直な答えにイタテが笑う。
「はっ! 次は知識を寄こせというつもりか!」
突然の怒声に蝶が飛び立ち、小鳥は肩のあたりで右往左往。子リスは素早く木の枝を登って身を隠した。
「君たちひとは本当に、欲深いな! 日々の糧がほしいと木の実をねだり、乾いた喉を潤すための水が欲しいとねだる。暮らしに必要な道具がないとあれこれ注文をつけ、旅路の安全まで神にすがる! どうして君たち人間は、与えてもらうことばかり!」
激情のままに言葉を降らせるイタテは、怒りで神気を燃やしているのか。
おだやかな色合いに似合わない激しい光の煌めきをまとう。
「この国のなかで、たくさんの命が暮らすこの国のなかでどうして自分たちだけが神に愛されていると思い込めるのか!」
カッと燃え上がるような緑の光に触発されて、神樹の葉が一斉にざわめいた。
風もないのにざんざと音をたてる木の葉は波のように揺れ、大小さまざまな枝が不埒ものどもを打ち据えてやろうと手招きする。
敵対してはいけない相手ににらまれた、とメーラが身を固くし、一家を守るためにはどうすべきかと頭のなかで必死に考えていた、そのとき。
「わかる!」
トオルの声が風に負けずにあたりに響いた。
ようやく言える、とばかりにトオルは続ける。
「この国の連中はやばい。なにもかも神さま任せで生きてるとか、見ててめちゃくちゃむかついた」
「え?」
ぽかんとするイタテを前に、キヨラがうんうんと何度もうなずく。
「そうよねえ、わたしもわかるわあ。湖の神さま、ミクマリさんがきれいな水を用意してくれてるのに、食べるための魚が足りないだなんて。自分で釣るなり養殖するなり、やりようはいくらでもあるはずなのに」
「チィちゃん、おさかな釣りしたかったなあ。おやさいもね、ちゃんとお水あげて育てられるよ!」
チエは手をあげてご報告。
通っている園ではみんなで野菜を育てているのだ。
当番制で水やりをし草むしりに精をだしているものだから、何でもやりたくてたまらないお年頃のチエにはちょっぴり物足りない。
そんなやる気に満ちあふれたチエの頭をなでて、十蔵が眼鏡を押し上げる。
「ひとりでも現状の歪さに気づいている方がいてなにより。我々は帰還の方法も知りたいが、メーラどのが永く暮らしていける国にしたいという思いも抱いている」
「それは、どういう……いや!」
ふらり、よろめいたイタテだが、騙されないとばかりに有賀一家をにらみつけた。
「そうやってわかったようなことを言って、知識と神力とをねだってきたんだろう! 神に助けられることを当然のような顔をしてっ」
言われて、一家は顔を見合わせる。
「まあ、助けられたな。メーラがいなけりゃ俺たち、落ちてぺしゃんこだったし」
「そうねえ。その次はシルベちゃんよね。急に道が消え始めたときはどうなっちゃうのかと思ったけど、あの子のおかげでミクマリさんとも会えたのよねえ」
「湖の神さま、きれえだった! でもね、ユウナお姉ちゃんもとってもきれえだったよ」
「ネノ国ではたくさんの神々に助けられたな。ユウナどのをはじめ、ソニどのにはチエを助けていただき、フタヤどのには危ないところを導いてもらった。そしてメーラどのがいなければ、こうして家族がそろって顔を合わせることもできなくなっていたかもしれない」
振り返れば、助けられた記憶ばかり。
聞いていたイタテは、それ見たことかと笑った。