用事は分担して済ませる一家
やる気に満ち溢れる夫婦の姿に、メーラはあごをさする。
「出発を急ぐのであれば、ここでの滞在はなしにするが」
「いーえ、メーラさんはこの世界の神さまなのでしょう? 私たちのことばかり構っていちゃだめよう」
キヨラが「だめだめ」と指をふる横で十蔵が深く頷く。
「我々は元の暮らしへの帰還を目標としている。であれば、あなたはこの世界の住人である方々の間で居場所を作っておかなければ。我々ばかりがあなたの恩恵を受けることになってしまうのは、望ましくない」
すちゃ、と眼鏡を押し上げる十蔵にメーラは笑った。
「そもそも俺は終わりを迎えるところをお前たち一家に助けられてここにいる。ならば、お前たちの望みを叶えることこそ俺の成すべきことだ」
男くさい笑みがかっこよく決まったのは一瞬。
「えええー! やだよう、メーラさんおしまい、いやあ!」
肩車されたままのチエが頭に抱き着く。
「俺もいやだ。でも町の連中の望むままに力を使ってやったって、メーラが空っぽになるだけだろ。それもむかつくからいやだ」
トオルもむっすりと不機嫌顔をしつつ、メーラのそばに寄る。
仲の良い兄妹がそろって鍛冶の神に懐く姿に、キヨラはにこにこ満足気だ。
「そうよねえ。今のままの街のひとたちに、メーラさんはあげられないわあ」
「ああ。だからメーラさんが街の方々を相手にする間、トオルとチエが手本を見せてやりなさい。私と母さんで物資を調達してくるから、その間だけでも」
***
十蔵とキヨラは連れ立って買い出しにでかけた。
メーラは「欲しい物があるならば街の者に頼んで届けさせれば良い」と言ったけれど。
キヨラは「だめだめ」と手でバツ印を作って見せたのだ。
「お兄ちゃん、つぶつぶこうかんってなあに?」
「つぶつぶ……? ああ、物々交換か。母さんが言ってたやつな。物と物を交換こするってことだ」
そう、キヨラは無償で生きる糧を得られる世界で、物と物を交換しようと言ったのである。
「たとえば、チエも俺も飴とガムをひとつずつ持ってるとするだろ」
「チエちゃんあめ、すき!」
「そう。同じだけ持ってるけど、チエは飴がもっとほしい。じゃあどうする?」
問われて、チエはぱちぱち瞬きを繰り返す。
そうして期待に満ちた目で兄を見上げ。
「お兄ちゃん、あめちょーだい?」
「ほら、ひとつだけな」
ほい、とトオルはポケットから出した飴をひとつチエに渡した。ついでのようにメーラにもひと粒プレゼントしてから「それじゃだめだ」と首を横に振る。
「今のやり方じゃ、チエばっかりお菓子をたくさん持つことになるだろう」
「でもお兄ちゃんのリュックにいっぱいあめはいってるよ」
事実、トオルのリュックのなかには個包装のお菓子があれこれと入っていた。
そこからいくつかをポケットに移していることをチエは知っている。
「これはチエ用だからな。じゃあ、そうだな。チエの友だちだったらどうだ。ガムが好きな子はいないか?」
問題が良くない、と質問を変えるトオル。チエに甘すぎる自分が悪いのだとは思いもしない。
「いるよー。えっとね、リンくんはからいガムが好きなんだって。あまいのいやなんだって」
「男か……そのリンくんとやらとチエだったらどうだ? チエが飴欲しいと思ったらどうする。持ってるガムはからいやつだとして」
「えっと、あめちょうだい。かわりに、ガムあげるから」
「そう」
よくできました、とばかりにトオルが胸ポケットから小袋を取りだしチエに渡す。
中身は乾燥した小魚とアーモンド。甘い物ばかりあげてはだめよう、とキヨラに釘を刺されているのだ。
魚がちいさく苦みがすくない、かつ不足しがちな栄養が補強できる厳選されたおやつをチエは喜んでぽりぽりと食べる。
「なるほど。お前たちの世界はそうやって回っているのか」
感心するメーラはチエにもらった小魚をぽりぽり。
アーモンドだけひとりじめしようとするチエの袋に小魚を足したトオルは、メーラにアーモンドの残った袋を渡して補足する。
「昔はそうだったらしいけど、今はお金っていう物に代わる価値を持ったものを使ってるよ。欲しい物と交換できるだけの物を持って歩かなきゃいけないのは大変だろ」
今回は、その大変なことを十蔵がしていたわけである。
大きなリュックサックいっぱいに詰められた「もしかしたら必要になるかもしれない」あれやこれやは、キヨラの手で「必要かもしれないもの」と「今回は必要ないもの」にすぱりと分けられた。
そして「今回は必要ないもの」に振り分けられた大部分の荷物が、十蔵とキヨラの手でいままさに異世界の物資と物々交換されているはずなのだ。
あずまやを発つときの活き活きとした母キヨラの笑顔と十蔵の姿を思い出し、トオルは遠い目をする。十蔵の眼鏡はどこか曇って見えたが、無力な息子には何もできやしない。
そんなトオルをよそにメーラはアーモンドをぱくり。
「ふむ、なるほど。これはうまいな」
なるほどと言いつつ、現地の神は他人事だ。
良いように使われてるのは自分のくせに、と言いたい気持ちをぐっと飲み込んでトオルはチエの頭をなでる。
「物々交換がわかったところで、チエと俺はメーラのお手伝いだ」
「おてつだい? チィちゃんできるよ~」
やる気満々に手をあげるチエ。
その隣で、手伝いを頼んだ覚えもないメーラは首をかしげた。
「何を手伝ってくれるのだ?」
そのとき、ちょうどあずまやの入り口に街の人がやってきた。手には柄の外れた刃物を持っているから、メーラに修理を頼みに来たのだろう。
一歩、あずまやに踏み込む街の人の姿を見てトオルが笑う。
「ふつうのことをふつうにできるように、教えてやるんだ」