新しい朝が来た
明るい陽射しに包まれた街を人びとが行きかう。
人々の顔には笑顔があふれ、建ち並ぶ家々は花と緑に彩られて華やいでいる。
幸せそうな姿を眺めながら、トオルはむすりと口を引き結ぶ。
「お兄ちゃん、好き嫌いはだめなんだよ!」
メッと幼い妹チエに言われて、トオルは食卓に顔を戻した。
ここはシルベに示された道の先にあった街のなか。宿屋の代わりに寝床としたのは『神のあずまや』と呼ばれる建物だ。
四本の柱に屋根をつけ、壁をそなえただけの簡素な建物が街のあちらこちらにぽつりぽつりと建っている。
流れてきた神が居つく場所でもあり、旅人が憩う場所でもあるという。「無人の場合は使いたい者が好きに使って良い」とほかのあずまやの住人に聞いて、一家とメーラはありがたく拝借した。
そうして目を覚まし、昨日はけっきょく食べそびれてしまったお弁当を朝食にしているのだけれど。
「どうしたの、トオルくん。もしかしてお弁当傷んでいた?」
食事そっちのけで再び窓の外に目をやるトオルに、キヨラが眉を寄せた。
慌ててトオルは首を振って否定する。
「いや、スーパーで買ったパンにその場で缶詰の中身はさんでるんだから、傷んでるわけない。そうじゃなくて俺、この街なんか、気持ち悪くて」
「気持ち悪い? お兄ちゃん、おかぜ?」
「あらあ、疲れが出たのかしら」
心配げに背伸びしたチエがトオルの額におでこをコツン、向かい側にすわるキヨラが労わるようにトオルの手をなでる。
「いや、そうじゃなくてっ」
「ふむ。トオルの感覚もわからなくはない」
そこで同意を示したのは、黙って朝食を食べていた十蔵だ。
パンをかけらもこぼさず食べ終え、リュックから取り出した簡易コンロと折り畳み鍋で沸かしたコーヒーを飲んだ十蔵は、眼鏡をきらりと光らせる。
「この街にあるのは人の住居と神の住まいのみ。店はひとつも見当たらず、道ばたで商売をする者もいない。しかし、人びとは暮らしに必要な糧を十分に得ている。神から与えられる、という形で」
「それが気に食わねえ。だって、あいつらもらうばっかりだろ。神さまは渡すばっかりで。それがなんか……むかつく」
父親の理解が得られてうれしいような悔しいような。
もやもやする気持ちを持て余しぶすり、むくれるトオルのとなりでメーラがコーヒーをすすって顔をしかめた。「なんと苦い飲み物だ。これは本当に人の身に無害なのか……?」険しい顔で黒い液体を見つめるメーラとトオルを見比べ、チエが笑う。
「お兄ちゃんとメーラおなじかお~」
「ふふふ。苦い顔っていうのよお」
にこにこ笑ったキヨラは、まだむくれたままのトオルに「もう」と苦笑した。
「トオルくんの気持ちもわかるけど、ここは別の世界なの。そうじゃなくても、その土地にはその土地の決まりやしきたりがあるものなのよう。それはそこに住むひとたちが作り上げてきたものなのだから、一時の旅人でしかない私たちがあれこれ言えるものじゃないわあ」
「…………」
キヨラの正論にトオルは何も答えないまま、パンをぱくり。
母の言うことを理解できないほど子どもではないが、納得のいかないことを丸呑みできるほど大人でもない。
不機嫌顔のままのトオルにメーラが首をかしげた。ようやく口内の苦みがひいたらしい。
「トオルはしばしば不満がっているが、何がそんなに気に障るんだ」
「なにがって!」
与えてばかりの神自身が気にしていないことが気に食わなくてトオルが声を荒らげたところで、あずまやの入り口から声がした。
「もうし、ここに新しい神が入られたと聞いたのですが」
***
たずねてきた男は街の住人だと話し、メーラが鍛冶の神だと聞くと表情を明るくした。
「いやいや、道具に携わる神はほかにもおりますがね。鍛冶の神であれば手を入れられる道具も多岐に及びますから、街の者がみな喜びます」
「そうか。喜ばれるのは俺もうれしい」
にこにこ笑う男とメーラは並んで歩いて行く。その頭には肩車してもらってごきげんなチエがしがみついている。
チエをのぞいた一家はふたりから少し離れてついていきながら、こそこそと会話を交わしていた。
「神と見たら神力をあてにしてやがる」
「この世界の人々にとってはそれが生活の糧なのだろう。とはいえ、あまりにも露骨である点は気にかかる」
「そうよねえ。メーラさんたち神さまは優しいから断れないのだろうけれど、力を使い過ぎたら命にかかわることを街の人たちは知っているのかしらあ」
有賀一家は初対面の相手に不信感をぶつけるようなタイプではない。
けれど懐に入れた者であるメーラを大切にしないようならば、黙ってはおけないと思うくらいの熱さは持っている。
「トオル、くれぐれも早まった行動や発言は」
「しない。メーラの不利になるかもしれないから、もうしない。それぐらいわかってる」
十蔵が言い含めようとすれば、トオルは不機嫌に視線を尖らせながらも頷いた。
そんなふたりの様子をキヨラはにこにこと眺めている。
そうしてしばらく進むと、いくつものあずまやが連なる場所についた。男はひとつのあずまやの前で足をとめる。
「さあさ、ここを使ってくだされ。表の板に鍛冶の神を表す印を刻んでくだされば、皆が立ち寄りましょう」
「滞在期間は記したほうが良いだろうか?」
男に言われるまま、メーラは小屋の入り口横にある板に指先でやっとこと槌の絵を刻んでいく。
この街へは神樹に向かう道の途上で寄っただけのメーラが問えば、男は「はは」と笑った。
「いやいや。あなたさまがおらねば他の神に頼むだけですから。とはいえ、こちらのあずまやの神は神力が枯渇して絶えてしまいましたから、あなたさまが主となっていただけばちょうど良いのですけれど。神はいくらいらしても良いものですから。ははは」
朗らかになにげなく語られた神の消失。
空いた穴を埋める要員としてちょうど良い、と告げる声にトオルは「はあ?」と苛立つ声を抑えられなかった。
そんな息子の肩を十蔵がぽんと叩いてゆるゆると首を横に振る。言われた当人であるメーラが不快感を表していない以上、声を荒らげるな、と伝えようとしたのだろう。
しかし、止めるべきはそちらではなかった。
「あらあ!」
不自然なまでに明るい声をあげたのはキヨラだ。
「あらあらあらあら! うちのメーラさんを便利な道具のようにおっしゃるのはいかがなものかしらねえ!」