それぞれの選ぶ幸せ
真っ暗な穴を落ちて落ちて、落ちて。
青白い光に満ちた空間へ出たと思ったら、ぼふんと落下がとまった。
不思議とやわらかな何かに着地した一行が驚くなか。
「はあ~、やぁっと捕まえた。これでお母さんに褒めてもらえる」
響いたのはサノの太い声。
どうやら一行が着地したのは、サノのたっぷりとした腹の上だったらしい。
ソニがフタヤを抱えて飛び降り、続いたキヨラがチエを抱き下ろす。
トオルと十蔵は協力して意識の戻らないメーラを連れて降りた。
嫌な記憶と結びつく相手にチエが母の背に隠れていると。
「サノくんおつかれ~!」
場違いに明るい声をともなって、ユウナがひらりと現れた。
青白い光に包まれた室内がぱっと明るさを増す。
「ユウナお姉さん!」
「やほ、チィちゃん。鳥ちゃんも、おかえり!」
チエとソニに笑顔を見せてから、ユウナはサノの頭をなでなで。
「サノくん、ちゃんとお仕事できてえらかったね! 疲れちゃったんじゃない? あとはお母さんやっとくから、お休みしてきなよ」
「へへへ。じゃあちょっとお昼寝してくるよ」
「うんうん。寝る子は育つもんね。お腹冷やさないように、ちゃんとお布団かけるんだよ」
「はあい」
どすんどすんと地響きをたててサノが暗がりへと消えていく。
怪獣のような図体をしたサノの幼児のような振る舞いにあっけにとられ、一行は無言でその背を見送った。
「さてと」
愛おし気に目を細めて我が子の姿を見つめていたユウナは、サノが見えなくなってからくるりとチエたちに向き合う。
「鳥ちゃんは会いたかった相手に会えたんだね。良かった良かった!」
「はい。死者の目から隠してくださった女神のおかげです」
「わたくしからもお礼を」
ソニとフタヤがそろって頭をさげる。
それを見て、チエは両親の手を引っ張った。
「お父さん、お母さん。ユウナお姉さんがね、チィちゃんたちを助けてくれたの。みんなを探しに行くって言ったら、怖いのに見つからない魔法をかけてくれたんだよ」
「あらあら。うちの子がお世話になりました。ユウナさん、ありがとうございます」
キヨラの感謝が光となってユウナを包み込む。
「わお」
「私からも感謝を。あなたに出会えなければ、私たち家族が再び生きて会えなかった可能性もあります。本当に、チエを助けてくださってありがとうございました」
十蔵の感謝が光を生む。
「わあ」
「チエ、泣いてなかったですか。暗いところ苦手だし、ひとりで出かけたことないからあなたに会えなかったらずっとひとりで泣いてたかもしれない。その、本当にありがとうございます」
メーラの上半身を支えるためしゃがんでいたトオルはユウナに頭を下げる。
生まれた光はいよいよ部屋じゅうを埋め尽くす勢いで、ユウナだけではなくその場にいた神々を包み込んだ。
「ほえー……なにこれぇ、すっごい……!」
ユウナが溢れる神力で煌めいている。
そればかりでなく、一家の感謝は小鳥と小花の神にも向けられていた。
「すごいな、こんな力は地上でも手にしたことが無い」
「ああ、神力が……絶えたはずの命が満たされるなんて……!」
驚きに羽根を広げるソニのとなりで、フタヤがほたほたと涙を流す。
淡く消えかけていた彼女の色味が、ふたたび鮮やかな紫色を取り戻していた。
消えてしまったはずの命の灯が、再び灯ったのだ。
驚き、手を取り合ったソニとフタヤは互いの手のひらが温もりを分け合えることに気づいて震え、涙する。
神に力を与える光はもちろんメーラをも包み込んでいた。
「う……」
「メーラ!」
トオルがのぞきこむと、メーラのまぶたが持ち上がる。
メーラは自身の手を見て呆れた。
獣の姿で無茶をした代償に、手足が千切れるくらいのことは起きていると思っていたのだが。そこにあったのは怪我ひとつない手。いいや、記憶にあるよりもよほど力に満ちた己の手だった。
「これはやりすぎだろう。お前たちは加減を知らないな」
尽きていたはずの神力を満たすほどの感謝は、空っぽになりかけたメーラの身を力で溢れかえらせる。
メーラは「まったく」とため息をひとつ。
身体を起こしてトオルの頭をぽん、となでた。
「大きな神力って、これのことだったんだ。すっごい……創世のころ並じゃない?」
ユウナもまた、遠い記憶を揺り起こすほどの力に感動の声をあげる。
そして、良いことを思いついた、と言わんばかりに目を輝かせて有賀一家に迫った。
「ね、ね。家族みんなでここで暮らしちゃえば? 暮らしはうちが保証するし。地上はほとんど無に帰っちゃったんでしょ? 残ってる土地もそんなに長く持たないだろうけど、ここなら死者の素直な気持ちが残されるから地上の国より長持ちするしさ!」
誘う声は明るい。けれど一家は互いに視線を交わしあい、答えない。十蔵とメーラが家族や子どもたちを守るように立ちふさがる。
ユウナは反応の悪さを見てとって「あ、死者もね。ここの住人になれば怖くないから!」と指を振った。
とろん、と近くの闇がひとの形を取る。
それはちいさな子どもの姿をしていた。あるいは赤ん坊の形の影となり、とことこと這って一家の前へ。
「ほら! かわいいでしょ。死んじゃってるけど、赤ん坊だよ。あなたたちがここで暮らすなら、家族がもっと大きくなって幸せもいっぱい!」
ユウナの言葉がわかるのだろうか。赤ん坊の影はぱかりと口をあける。
だぁっこ!
ぼやけた声とともに影の腕が、抱っこをねだるように伸ばされた。
そのとなりでは子どもの影がじっと見つめてくる。
「っ!」
死者とはいえ、赤ん坊を振り払うことはできなくて、けれど幼いうったえを無視することもできず十蔵とメーラがひるんだ。
そこへ。
キヨラがそっと膝を折る。
抱きしめてもらえる、そう思ったのだろうか。赤ん坊の影がきゃあとはしゃいだ声をあげてますます腕を伸ばした。子どもの影もじわりと距離をつめる。
「お、おい!」
メーラが止めようと声をかける、けれどキヨラの手は赤ん坊にも子どもにも触れなかった。
「ごめんなさいねえ」
自身の胸の前で両手を握りしめ、キヨラは謝罪を口にする。
「ごめんなさい。私の手はふたりの子どもでいっぱいなの。あの子たちを生かさなきゃいけない。あなたたちを抱えてあげられる余裕がないのよ」
ごめんなさいねえ、とキヨラが涙をこらえて言う横を通り過ぎ、赤ん坊を抱き上げる腕があった。
「でしたら、わたくしたちがこの子たちの家族になりましょう」
フタヤが赤ん坊を抱えて微笑む。
「この子たちだけではなく、死者の国にいるすべてのひとが自分たちの家族です」
赤ん坊のそばでたたずむ子どもの影を抱き上げたのは、ソニだ。
年若いふたりの神は、死者を胸にユウナを振り向いた。
ユウナは彼らの言葉にぱちぱちも瞬く。
「いいの? 花ちゃん、生き返ってるのに。鳥ちゃんも神力戻ってるから、ふたりで飛び出せばまた地上でやってけるんじゃない?」
「構いません」
「自分たちの守るべきひとは去ったのだと思っていました。けれど、救いを求めるひとはここにいた」
フタヤとソニは顔を見合わせ、頷きあう。
「自分は小鳥の神ソニ。死者の国、ネノ国の女神よ、自分たちに死者の国の食べ物をください」
「わたくしは小花の神フタヤ。女神さま、わたくしたちが死者の国に住まうこと、お許しくださいませ」
死を望む者は何人も見てきたユウナだが、これほどに希望を抱いた目で請われるのは初めてだった。
驚いた顔のまま、ユウナは手のひらのうえにぽんと果物を生み出す。赤くて丸い果実は、ひとつきり。
受け取ったソニはためらうことなくひと口かじり、フタヤもまた彼から受け取ってぱくり。
ふたりのまとう神気が闇色を帯びる。
「はー、ほんとに食べちゃった。ま、いいや。うちとしては死者の国がにぎやかになればそれでいいし! うちも神力たっぷりもらったから、嫌がる子たちを住ませるのも悪いしね」
そう言うと、ユウナはそばに居た十蔵の頬にキスをした。
「!?」
「あらあっ」
「わあっ!」
「ん」
続けてキヨラの頬、トオルのこめかみ、チエの額に唇で触れ、最後に背伸びをしてメーラのあごにもキスをおくる。
「……女神よ。加護をくれるのはありがたいが、俺にまで寄越さずともいいのでは」
「ふふっ。おまけ! これであなたたちは死者の国に自由に遊びに来れる。もちろん、生きたままでね!」
楽しそうに笑ったユウナに続いて、フタヤが一歩前へ出た。
「では、わたくしからはトオルさまに加護を。ささやかですけれど、小虫に好かれるようになるものでございます」
「ならば自分はチィに加護を。君がいなければ自分は再会を諦めていただろうから。小鳥たちは君を友と思うだろう」
トオルとチエは加護を与えられて「ありがとう」と口々に告げる。
与えたそばから帰ってきた神力にふたりの神は戸惑うけれど、トオルもチエも加護をくれた気持ちがうれしかったのだ。うれしいにうれしいを返すことは、有賀家にとっては当たり前のこと。
「さあ、さあ! 生きてる子たちは地上に帰っちゃって、お迎えもきてるしさ。でも、さみしくなったらいつでも遊びに来ていいんだからね」
ふふ、と笑ったユウナが一家の背後を指し示す。
振り向けば、暗がりのなかに細い人影がたたずんでいた。