チエと小鳥の神
飛び込んできた青い羽根の少年は、ソニと名乗った。
彼のしっとりと濡れた黒い瞳を見つめてユウナが首をかしげる。
「ん~、あなた生きてる子ね? なになに、このごろは生きてる子も自由に死者の国に出入りできるようになっちゃったの? どうゆうこと??」
「いえ、自分はもうすぐ消えるので、最後に会いたい相手を探しにネノの国に来たんです。自分の守るべき民はもうなくなりましたから」
守るべき村、と聞いてチエが顔をあげた。
「お兄さん、神さまのひと?」
「ああ。小鳥の神だから、大した力はないけれどね」
ソニはぱたり、青い羽根を広げて見せる。
「ねえねえ、会いたい相手ってもしかして、恋人? 好きな相手? 鳥の子なら、もう番っちゃってたりして!」
「恋人です。自分は番いたかったんですが、彼女は小さな花の神で土地を離れられず。自分は空を行く者ですから、ひとところに長くは留まれず。一緒になっても不幸にしてしまうから約束で縛るわけにはいかないと、彼女が折れてくれなくて」
心が彼女に結び付いてしまっているから、手遅れなんですけどね。
そう続けたソニに、ユウナが身を乗り出した。
「わかる~!」
目をきらっきらに輝かせた死者の国の王の母は、小鳥の神を指先にぐんと迫る。
「もうね! 好きって魂が言ってるのよね! 他のあれこれなんてぜーんぶどうでもよくなっちゃって、ただずっと一緒に居たいって気持ちがね! 胸の真ん中に居座っちゃうっていうの?」
「そうですね。彼女のそばに居たいがために、新天地を探したいという人の願いを叶えてあげられなかったこともあって。神としては失格なのでしょうけど」
「ううん、ううん! そんなことないよ~。神だって心があるんだもの。大好きはかんたんに捨てられないの、当然だよ!」
盛り上がる恋の話を見上げていたチエがふと口を開く。
「お兄さんのさがしてるひとって、どんなひと? ユウナちゃんのとこにいないの?」
「そうそう! どんな子~? 最近会った子なら、うちどのあたりにいるかわかるかもしんないよ」
「本当ですか! フタヤは、彼女は紫の髪をした少女です。小花の神らしく、控えめに笑う姿がとても愛らしい子なのですが」
愛しい相手に会える、と聞いて勢い込むソニとは裏腹に、ユウナは「うう~ん?」と首を傾げている。尖らせた唇に細い指を添えて、思案顔だ。
「そういう子は、ちょっと見てないかなあ。もしかして、消えちゃったのってすごく最近?」
「たぶん、そうだと思います。自分が最後の力を使って彼女の村へ向かったらもう人は誰も残っておらず、村の土地もほとんど消えてしまっていて」
「だとするとー、ちょうどネノ国の道を歩いて下ってるところかもしれないね。死者はみんな降りてくるのに、うち見てないもん。鳥の子は羽根があるから、飛びこしてきちゃったのかもだね」
軽く言うユウナに、ソニは愕然とした。
「そんな。彼女をひとりにさせたくなくて飛んできたのに……!」
愛しい相手の消失を知り、いまだ猶予のある命をなげうって追いかけてきたというのに。その行動が仇となったようだ。
「どーする? ここで待ってればそのうち辿り着くとは思うけど」
ユウナの問いにソニは迷った。
広いネノ国のどこを彼女が進んでいるか、わからない。
探しに飛び回っているうちにまたすれ違ってしまうかもしれない。
ユウナの元へ辿りついたとして、自分が追いかけてきたことを知った彼女はどうするだろうか。あれほど魅力的な彼女のこと、あるいはすでに自分のことなど忘れて、死者の国で新しい相手を見つけていはしないだろうか……。
考えはじめればきりがない。
尽きない迷いに翼はだらりと垂れさがり、湧き上がる不安で重くなった頭はうなだれるばかり。
けれど、そんなソニの手を取るちいさなぬくもりがあった。
「探しに行こうよ」
「ひとの子……」
「あのね、チィちゃんお父さんお母さんとお兄ちゃんを残してここに来ちゃったの。だからがんばってみんなのところに帰らなきゃいけないの。だから、鳥のお兄さんもいっしょに行こ!」
冷たい水を飲んだチエは、元気を取り戻してソニを誘う。
チエは本来、好奇心旺盛で元気いっぱいな子。
迷子になった悲しみは消えていないけれど、ひとりぼっちの寂しさはユウナに抱きしめられて薄らいだ。
暗くて知らない場所であるネノ国は怖いけれど、大切な相手を探している仲間がいれば怖いのだってへっちゃらだ。
「えー? うちの子にあなたの家族を連れてくるよう言ったから、待っていればいいのに」
ユウナが言うけれど、チエは「ううん」と首を振った。
「急にバラバラになっちゃったから、きっとみんな心配してるの。それに王さまのお使いは乱暴だから、びっくりたらいけないし」
「うーん。否定できなーい!」
死者の国の王がちょっぴりいい加減なのは、母であるユウナも認めるところである。
チエの家族を連れてくるようにとは言ったけれど、どんな方法をとるのか。生者がおとなしく従えるような状態であるとは、約束できるわけもない。
お手上げ状態のユウナを前にチエは続ける。
「それに、それにね。ひとりぼっちはさみしいもん。お兄さんの大好きなひとも、さみしくて泣いてるかもしれない」
「……それは、いけないな」
幼い声に言われてソニは思い出す。大切な彼女はひとりで静かに涙を流す子だった。
記憶にある姿を再び見たくはないという思いが、ソニの羽根に再び力を与えてくれる。
「行き違ったなら何度でも飛び回って探せばいい」
「そう!」
自分に言い聞かせるようなソニの言葉をチエが後押しする。
「チィちゃん羽根はないけど、走れるし、狭いところもとくいだよ」
「自分は羽根を持っているが、低く狭い場所を見通すのが苦手だ」
一方の苦手がもう一方の得意。
互いに補い合えると気づいて、ふたりは頷き合う。
「会えるまでチィちゃん諦めない」
「自分も死ぬまで、いや。死んでも彼女を諦められはしない」
ちいさな人間の子と力を無くしかけた小鳥の神とが、互いの手を取った。
「行こう」
「ああ、行こう」
迷いはない。
進む先にきっと希望があると信じるその姿に、かつての創世の女神は目をうるませた。
「良い! 生きてるってやっぱり良い! とってもキラキラしてるもの。希望に満ち溢れてるもの!」
叫んで、彼女はチエとソニの頭を抱き込んだ。
驚くふたりの額にそれぞれ口づけを送る。
ふわり、かすかにそよいだ風とともに感じた神力に、ソニが目を見開いた。
「うちとーっても感動しちゃったから、ふたりにお守りを授けちゃう!」
「これは……この、守りは?」
ソニは神の身にすら守りを授けるユウナに驚きつつ、与えられたものを読み取ろうと意識をこらす。
よくわかっていないチエは「わあ、なんかふわってした~」と楽し気だ。
「死者に食べられちゃわないよう、魂に薄衣をかけて命の光を隠しちゃった!」
にこっと笑ったユウナは、ふたりの背中に手のひらをあてる。
「さあ! 行ってきなよ、かわいい子たち。命ある限りきらめいておいで!」