進むべき道は
懐中電灯はじゅうぶんな明るさで照らしているはずなのに、トオルにはひどく暗く感じられた。
それはネノ国を満たす陰鬱な気配のせいか、あるいは冷え切った無音の空気のせいなのか。
「……チエちゃん、荷物も置いていってしまったから今頃寒い思いをしていないかしら」
肌寒さを感じた一家が足をとめ、各々の荷物から羽織るものを取りだすなか、キヨラはチエのリュックを見つめてため息をつく。
十蔵の肩に乗るちいさなリュックサックのなかには、チエのちいさな上着も入っていた。
「はやく届けに行こう。チエもきっと待ってる。メーラ、どの道に行けばいいか、わかる?」
トオルは暗がりの先を見つめて傍らの神に問う。
入ってすぐは一本道だった洞窟は、すこし進むといく筋にも枝分かれしていた。
そのうえ、振り返れば来た道すらも何本にも分かれている。
定まった形を持たない死者の国は、道すらも定まらないようだった。
「……チィに渡した針が、この国にあることは確かなんだが」
片方だけの目を閉じ、自身の神力を探っていたメーラがまぶたを持ち上げて首をゆるく横にふる。
凛々しいはずの眉は申し訳なさそうに下げられていた。
「遠すぎて俺にはつかめそうもない」
「遠いということは、奥深くということ。地下の国の奥深くということは、低いほうへ進めばチエに会えるのではないだろうか」
落胆するでもなく、十蔵が眼鏡を光らせる。
そのいつもと変わらない姿に、キヨラは励まされたのだろう。「そうよねえ」と両手を合わせて、笑顔を見せた。
「地球だって、ずうっと同じ方向に進んで行けば一周歩けるんだもの。だったらここがどこだって、立ち止まらずに同じ方向へ向かい続ければチエちゃんに会えるわあ」
キヨラの顔にはやや疲れがにじんではいるが、笑顔は笑顔だ。
その笑顔に添えるように、十蔵が自らのリュックから方位磁石を取りだした。方角を見失いがちな森や洞窟の探検にぴったりの手のひらサイズの一品である。
「こんなこともあろうかと、荷物に入れておいた」
「さすがねえ、十蔵さん」
「ふうん、やたらデカいリュックだと思ったら、無駄に余計なもの詰めてきたわけじゃないんだ」
にっこりと称えるキヨラに、ツンツンしながらもちょっぴり褒めをにじませるトオル。「ほおい磁石? なんだ、呼ぶのか?」と不思議そうなメーラがそろって十蔵の手のひらの上を覗き込むけれど。
ぐるぐるぐるぐる。
肝心の磁石は、丸いケースのなかで回り続けるばかり。
十蔵が静かに手のひらを傾けてみたり、持ち上げて置き直してみるも、ぐるぐるとひたすら回ってどこをも示さない。
「おお、なんだこれは。念じると回るのか? 対象を見つけると止まるのか?」
「「「…………」」」
無邪気なメーラの声には返さず、十蔵はそっと磁石をリュックにしまいこむ。
代わりにリュックをさぐり、取りだしたのは細いロープだ。
ハッとしたようにトオルがそれを手に取る。
「ああ! こういうの見たことあるぞ。出発地点に片方を結び付けておいて、ロープを持って歩く。行き止まりだったらロープをたどって戻れば、通った道と通ってない道がわかるっていう……」
トオルの声が尻すぼみになって途切れたのは、引っ張ったロープもまたすぐに途切れたせい。
十蔵が無言でちらりと見せたのは、折りたたまれた撥水性のシート。『日除け・雨避け万能タープ』というシールが貼られている。
どうやらトオルが手にしたロープはタープを張るためのものだったらしく、つまり、それほど長くはなかった。
そっとタープとロープをしまった十蔵が次に取りだしたのは、バナナひと房。小ぶりなバナナが五本連なっている。
「そうよね、栄養補給は大切だわあ!」
「……まあ、腹が減っては、っていうし。うん」
「死者の国のものを飲み食いすれば、この国の者となってしまうからな。大切なことだ」
キヨラとトオル、そしてメーラまでもが気をつかってバナナをもぐもぐ。
メーラが何気なく口にした異世界情報に「誰か親切な死者がチエにそのことを教えてくれますように」と一家は祈り、「チエが水筒だけでも持って行っていて良かった」と一家は安堵する。
もぐもぐもぐ。
おいしく食べて、皮はまとめてゴミ袋へ。
みんなのぶんのゴミをまとめた袋をトオルがさりげなく自身のリュックに詰める横で、キヨラは手を拭くべく湿らせたおしぼりを取りだした。
「そうだわあ!」
きれいになった手を打ち鳴らす彼女に視線が集まる。
「ミクマリさんがくれた加護、さっそく役に立つんじゃないかしらあ」
言って、キヨラは両手でお椀の形を作る。「お水さんすこし分けてくださいなあ」と願えば、空っぽだった手のひらのなかに清らかな水がとくとくと湧きだした。
ぽたり、ぽたり。手のひらの器からこぼれた雫は、足下の岩にぶつかりつるりと滑る。
「なにこれ、地面にはじかれてる?」
吸い込まれることなく流れていく水の不可思議に、トオルは瞬く。
そのとなりに膝をつき、零れてくる雫の一滴に触れたメーラが「これは」とうなった。
「湖の神の加護もって生み出した水は、生命の力に満ちている。ゆえに死者の国自体にとって異物と認識されるのだろうな。受け入れられず、弾かれるせいで流れ落ちている」
「ということは、この水の流れる先がこの国の深部」
十蔵が眼鏡をきらりと光らせる。
「あらあ、良かったわあ! 川みたいに流れるくらい水を出さなくっても大丈夫そうねえ」
うれしそうに笑うキヨラは、合わせていた手を離して水の流出を止めた。
濁流を生み出すつもりだったのか、とトオルが己の母親にぞっとしたとき。
「やだやだやだ、ネノ国のハハ、こわい、こわい!」
叫び声といっしょに暗がりから飛び出したのは、見覚えのある羽根をはやした人物。
「トトリ!」
名を呼び、メーラが片目に怒りの炎を燃やす。
その手に巨大化した槌とやっとこが握られたのは、瞬く間。
飛び散る火花のごとき素早さでトトリに肉薄したメーラが神器を振りかぶる。
「ピエェ! トトリ、危機! トトリ危機~!」