一家は迷わず旅に出る
「キミたちのことけっこう好きだからこそ聞くけど。ほんとに行くの?」
じい、と見つめてくるシルベの顔は仮面に隠れて見えない。
けれどその視線がまっすぐに自分たちを見つめているのだと知って、有賀一家はそろって頷いた。
「行くよ。だって、チエが待ってる」
「チエちゃん泣いてたもの。放ってはおけないわあ」
「安全な場所があるならば、トオルと妻には待っていてもらいたいが。そんな場所が無いのならば、家族で迎えに行くしかないだろう。チエも我が家の大切な家族なのだから」
迷いのない返答を受けて、シルベは「はいはい。わかってたよ」と手をひらり。
「じゃあ、十蔵。来て」
「なんだろうか」
ちょいちょい、と指先で呼ばれるままに近づいた十蔵の胸に、シルベが指を突きつけた。
「道の神。旅人の神。その身にあげるよ、ボクの加護。たとえ道に迷ったとしても、キミは道を失わない。うろたえるな。心を乱すな。危機に見舞われたときこそ落ち着いて。闇雲に走らず、周囲に目を向けて。ボクが照らす道を見つけられるように」
ぼうと湧いた光は十蔵の胸に吸い込まれて消えた。
「ふうぅ……ネノ国でどれだけ加護が働くかわからないけど、ありったけの力を込めておいたから。中途半端な悪霊に惑わされたりしないはずさ」
軽く言ってみせるシルベだが、口にする以上の力を込めて加護を与えたのだろう。
細い肩が呼吸のたびに上下している。
「道の神の加護、ありがたく頂戴する。我々に危険を伝えようと来てくれたうえ、チエの行き先まで教えてくれて、本当にありがとう」
「本当に、シルベちゃんには助けられているわあ」
「旅人の神さまってのも納得だな。サンキュ」
ぶわぶわと湧き上がる光がシルベを包む。
身の内に戻ってくる神力を感じているのか、自身の両手を見下ろしていたシルベは、がっくりと肩を落とし。
「キミたちさあぁぁ! ほんとそういうとこ、そういうところだぞ!」
唐突な叫びに、一同きょとり。
「いーまーのはぁ! キミたちに恩義を感じたボクが、ありったけの力で加護を与えて見送るところなの! 消滅寸前限界ギリギリまで力を注いだボクが、最後の力を振り絞ってキミたちをネノ国に送るところなの! それを、こうも気軽に神力を回復してくれちゃって……!」
両手で顔を覆い天をあおいでいたシルベは「はあ……」と疲れたようにため息をひとつ。
「ま、いーや。おかげさまで力が有り余ってるからあ、ネノ国の入り口まで道を繋げてあげるよ。ほんとは管轄外なんだけどね」
ほい、とシルベが踵を踏み鳴らせば、ちいさな丘の向こうに道が生まれた。
道は乾いた土と岩で構成されたひどく殺風景な道で、ほんの数メートル先には抉れた岩のすき間に暗い穴がぽっかりと口を開けている。
「あの穴が、いまネノ国に繋がってるトコロ。不安定なものだから、数刻もすれば塞がるかもしれない。いいや、キミたちが入った直後に閉じてしまうかもしれない。それでも、行く?」
シルベが問いかけたときには、一家はすでに身支度を整えていた。
トオルはチエの分もレジャーシートをしまい、自分のものとまとめてリュックに詰める。
キヨラは残されたチエの靴と水筒のコップをそっと持ち上げて、大切そうに胸に抱える。
十蔵は、チエが置いて行ってしまったちいさなリュックを腕に抱き、立ち上がる。
「道をつなげてくれてありがとう。とても助かった」
「ありがとうねえ。私たちだけじゃ、入り口を探すのにもとっても時間がかかっていたわあ」
「ほんといいやつだな、シルベ。ありがとう」
行くのか、という問いに感謝を返して一家は歩き出す。なだらかな丘の先に続く道の陰鬱さにひるんだ様子は、かけらもない。
「俺も行こう。どのみち、お前たちと会わなければ消えていた身だ」
続くメーラの背を見送って、シルベはひとり丘のうえ。
「……まったく、死者の国へ向かうってのに振り向きもせず行くだなんて、どうかしてるぜ。そのうえ、最後までボクを旅に誘わないとはね。旅の神にすがれば道中の苦難のひとつやふたつ、ボクが肩代わりしてあげられるかもしれないってのに、おバカな奴らだな」
呆れたように悪態をつくシルベだが、その口元は楽しそうに緩んでいる。
「おバカすぎて、帰り道のことなんか考えていないんだろうからなあ。十蔵の加護に上乗せしてやる、えいっ」
軽い掛け声とともに指先から放たれた神の力は、去っていた彼らを追って消えた。
四人を飲み込んだ穴はそう時間を置かず、つぷりと閉じる。抗えないものか、とシルベが神力を注いでみるが、岩がころりと転がるばかり。その下に続く道はもはや閉ざされ、消えていた。
ふう、とひと息ついてシルベは伸びをする。
「さあて。暇だなあ。暇すぎて暇すぎるから、ひっさしぶりにオトモダチのとこでも行きましょかね。サイちゃん、どこにいるのかな、っと」
気まぐれにしてお人好しな道の神は、ひとりごとを言って姿を消した。
***
岩場から、穴をくぐった途端にあたりは暗闇に包まれた。
驚いたトオルが立ち止まり、振り返ると入ってきたばかりの穴が無い。
互いの顔さえ見えない暗さのなか、一行はぬくもりを頼りに実を寄せ合った。
「父さん、道が」
「ああ。全員が無事に通り抜ける間だけでも、閉じなくて良かった。シルベどのには本当に感謝をせねば」
慌てることもなくそう言った十蔵は「火を熾すか」というメーラを引き留め、自身の荷物を手探り。懐中電灯
を取りだした。日のあるうちに下山する予定ではあったが、備えあれば憂いなしとばかりに十蔵の荷物のなかにはあれこれと物資が詰め込まれている。
かちり、ちいさな音とともにまばゆい光があたりを照らす。
岩場を這っていた黒い虫が慌てたように光の輪から逃げだし、岩のすき間に姿を消した。
「ずいぶん、静かなところねえ」
「生者がいないからな。いるのは死者の霊魂と、死者にまつわる神のみだと聞く」
キヨラのつぶやきにメーラが答え、十蔵がうなずく。
「であるならば、生者は珍しいはず。早々にチエを探し出そう」
「ああ」
「ええ」
「おう」
一行は暗く重苦しい空気の満ちる洞窟を歩き始めた。