村の少年の勇気
神、メーラの言葉に村人たちは、落胆からふたたび期待の表情へと変わる。
「では、あなたがたが村に居ついて日々、感謝を伝えてくだされば!」
「少しずつでも回復するならば、いつかは……!」
「おおお! これで村が助かるぞ!」
歓喜に湧く村人の言葉で、トオルは苛立ちの理由を理解した。
「あんたらが感謝を伝えろよ! あんたたちの村だろ、あんたたちを育ててくれた神さまだろっ」
たまらず、叫ぶ。
他力本願。
与えられること、助けてもらえることを当然とする村人の言動が、トオルを苛立たせていたのだ。
けれど、叫んだトオルはたじろいだ。
しんと静まり返り、すがるような目を向けてくる村人たちの視線に、背筋が震えた。
「あなたがたにはあなたがたの事情があるように、我々には我々の事情がある、異なる世界へ渡る術を知る神を探すため、立ち止まってはいられない」
「そうねえ。木の実がとれないのは困るでしょうけど、私たちだって腕は二本しかないもの。今は家族を守るので精いっぱいなのよぅ」
十蔵とキヨラが、トオルを援護するように左右に立つ。
チエもまた、兄のズボンを掴んでうんうんと頷く。
「ありがとうって、みんな言えるでしょ?」
たじろぐ村人たちは、幼いチエに言われて互いに顔を見合わせる。
ざわざわと無用なざわめきばかりがその場を支配するなか、ずいと一歩踏み出したのは小柄な影。
チエと手をつないだ少年だった。
少年は、湖の神ミクマリの前に立って大きく息を吸い込む。
「いっ、いつも! きれいな水と魚をあ、ありがとうっ!」
ぎゅうっと拳を握りしめ、ほとんど叫ぶように言った。
つっかえつっかえで裏返った声をぶつけられたミクマリは、今までになく大きく目を見開く。
その身を包んだ青い光が溶けていき、消えてしまう瞬間。
ミクマリの目からほろりと雫がこぼれる。
「ああ、ああ……うれしい、うれしい!」
ほろりほろりこぼれる涙を止めようとしているのか、両手で顔をおさえるミクマリは、泣きながら笑っていた。
そっと近づいたキヨラは、こぼれる雫におろおろする少年を安心させるように微笑んで、ミクマリを抱きしめる。
「そうよねえ。うれしいわよねえ。ずっとずっと大切に育ててきた子が、見守ってきた子が思いを返してくれたんだもの」
「ああ……キヨラ……わたくし、わたくしは」
くしゃりと顔を歪ませたミクマリに、キヨラは「ふふふ」とやさしく笑い返す。
「あなたはこの村に居たいのでしょう? いいのよう。私には家族がいるもの。それに、あなたのくれた加護もあるわあ」
キヨラは「加護はここに」と自身の胸に手を当てた。
村に留まるということは、加護を与えたキヨラと旅には出られないということ。
村を選んでしまった自分に気づいたミクマリが泣くのを、キヨラはおっとりとなだめる。
「良かったわねえ。これからは村のひとたちがあなたへ感謝を伝えるわあ。そうしてあなたは力をもらって、また村のひとたちのために湖を豊かにできるのねえ」
キヨラが言うと、村人たちはざわめいた。
「かん、しゃ……俺たちがする、のか?」
「どうしてそんなこと……」
「わざわざ言わなくたって、ねえ」
ざわつく人びとにキヨラが「あらあ」とひときわ大きな声をあげる。
「いい大人が、ありがとうのひとつも言えないのかしらあ。こんな小さな子でも言えることでしょう?」
ぴしり、空気が凍ったように感じたのはトオルだけではないだろう。
有賀一家の母はおっとりしているが、やさしいだけではないのだ。むしろ、怒らせたなら十蔵より怖い。
「おっ、俺がみんなに教えるよ! 祭りってやつも、まだよくわかってないけど、やってみるし。ミクマリさまにありがとうを伝えるからっ」
村の仲間を守るためか、あるいはキヨラの笑顔に恐れをなしてか。少年が震えながらも声をあげた。
五歳のチエとそう背丈の変わらない少年に庇われて、さすがにこのままではいけないと気づいたのだろう。ためらう大人たちの間からトゥルーリがおずおずと足を踏み出した。
「わ、わしらにもできるだろうか。その、どうしたら良いのか、さっぱりわからんのだけれども」
「俺、みんながうまくできるようになるまで精いっぱい頑張るから!」
トゥルーリに続けて少年が言えば、ミクマリがゆったりと頷く。
「わたくしの力はキヨラたちによって取り戻されつつあるのです。瞬く間に枯渇するということは無いでしょうから、待ちましょう。ひとの想いが力となって巡る時が来るまで、待ちましょう」
湖の女神の言葉で、残る村人たちも恐る恐る前へと出る。
神が待っているというのならば、自分たちもできることをしてみよう。そんな意識がようやく、村人たちのなかに芽生えはじめたようだった。
「ありがとうで神さまの力が回復して食べ物を与えられるなんて、めちゃくちゃすげえ永久機関ができるんじゃないか?」
「ああ、素晴らしいな。原初の神々がひとを慈しむと決めた世界が、お前たちのおかげでまだ続いていきそうだ」
一件落着、と穏やかな表情でつぶやいたトオルと、うれしそうにうなずくメーラの背後で、キヨラが凄みのある笑みを見せる。
「あらあらあらあ、だったら悪いのははじめに『ありがとう』を教えなかった神さまねえ」
「穴のある計画をそのまま実働に持ち込み、とん挫しかけた悪例のようだ」
十蔵は妻の言葉に同意を示し、メーラに問う。
「原初の神々のうち、今もまだ会える相手はいるだろうか」
「うーん、火、水、木、金、土……かつては、良い道具を打ち終えると、気まぐれに火の神が姿を現したものだが」
首をかしげるメーラに代わり、答えたのはミクマリだった。
「会えるとなると、木の神でありましょう。どの神も国じゅうを守ってはおりますけれど、ひとところに留まらない神、あまりに遠いところにおわす神がほとんどですから」
「木って、そこに生えてるイタテの木の大元の?」
トオルに問われたミクマリは「ええ」と同意する。
「国中に木を植えた後、イタテは国の真ん中に身を据えたそうですわ。そうして幹を大きく伸ばし、神樹と呼ばれるほどの巨木へと姿を変え、世界の天井を支えていると水の噂に聞いております。古より多くのことを見聞きしておりましょうから、知識を請うには良い相手かと」
いよいよ神話めいてきた話にトオルがわくわくする横で、チエがうれしそうに空を見あげた。
「じゃあ、次は大きな木さんに会いに行くんだね!」
「木って動かないけど、そんなに物知りなのか?」
「あらあ。国じゅうのお家に自分の分身みたいな木を置いてるんでしょう? だったらきっと色んなことを知ってるわよう」
「いずれにせよ、正解などわからない道行だ。少しでも可能性の高い選択肢をとって進んで行くほかないだろう」
そんなわけで、一家の次の目的地が決定したのだった。