ありがとうってこういうこと
「祭りとは神仏、祖先に感謝や祈りをささげる儀式のことだ」
十蔵の言葉に、村人たちがざわめく。
「感謝……?」
「神はひとに頼られてこそだろう」
「祈りなんていつもささげてるよ。恵を授けてくださいって、毎朝毎晩ね」
「そうだよな、これ以上を求められても、なあ」
困惑顔のひとびとを前に、キヨラが頬に手をあて首をかしげた。
「あらあ。名前を呼ぶのはいいけれど、呼ぶだけじゃあねえ」
「祈りをささげてるって、あんたらそれお願いしてるだけ。それじゃだめだろ」
トオルが呆れて言うけれど、村人たちはきょとりと瞬くばかり。
メーラとミクマリまでも「だめなのか?」と言わんばかりに不思議そうな顔で瞬きを繰り返している。
「ありがとうとごめんなさいはねえ。心をこめなきゃ意味がないんだよ!」
幼いチエがキラッキラの笑顔で告げても、村人たちは戸惑うばかり。
いや、戸惑う村人のあいだを縫って、ひとりの少年が飛び出してきた。
「心をこめるってなんだよ! 意味わかんないだろ!」
怒っているのか声を荒らげる少年に、かわいい妹を全否定された兄が青筋を立て、かわいい娘を怒鳴られた父が眼鏡を光らせる。
過保護な身内がひとりは不敵な笑みを浮かべ、もうひとりは絶対零度の視線で少年を見据えた。けれど、そんな不穏はチエの無邪気な笑顔で瞬く間に消え失せる。
「こうするんだよ!」
ぎゅ、と少年の手を握ったチエは、同じくらいの高さにある相手の顔をのぞきこんだ。
「はじめまして、ありがチエだよ。会えてうれしいな!」
にっこにこの笑顔で伝えられて、少年の顔がぼっと赤くなる。
うれしい、という気持ちをまっすぐに届けるチエの心が、たしかに少年に届いていた。
「あなたが好きな村のいいところ、おしえてちょーだい?」
「えっ、あ、」
チエが続けると、赤面した少年は勢いに押されるように言葉を探す。
「えっと、村のいいとこ? えっと、湖がきれいで、それから、木がある! 木の神さまが植えた木だから、ぜんぶの家の庭に生えてて、家族分の木の実を与えてくれる木なんだ!」
「わあ、そんな木があるの? 見たい見たい!」
どこ、どこ? とあたりを見回すチエの目が期待にきらめくのがわかったのだろう。少年はつないだ手をぐっと引いて、駆け出した。
かと思えば、人の輪を抜けてすぐに立ち止まる。
「これだよ、イタテの木!」
少年がほこらしげに指さしたのは、民家の庭先に立つひょろりとした木だった。
子どもの体でも隠せてしまうほど細い幹から、不自然なほど四方八方に枝が伸びている。伸びた枝もまた細く、彩るはずの葉はまばらで色つやも良いとは思えなかった。
「なんか、枯れかけてないか?」
トオルは顔をあげ、ちょうど手を伸ばしたあたりにある葉を見て首をかしげる。
神の木というわりには、あまりにも弱々しい。木の実がなると言っていたのに、実はなく、花もない。
実の時期がちょうど終わったのだろうか、いやそれにしてもなんだか木が弱ってるような。
素人なりに目を凝らしているトオルに、というより有賀一家に向けてトゥルーリが言う。
「実はここ数日、生っていません。それどころか、村のどの木を見ても新たな実を結ぶ様子もなく……」
「数日? ということは、本来であれば今が結実の時期であると」
十蔵が「ふむ」とばかりにメガネを押し上げて問うのに、答えたのは木のそばに立つメーラだった。
「イタテの木に季節は関係ない。ひとつ実をもげば、翌朝にはひとつ実が生る。ふたつ実をもげば、ふたつ実が生る。そうして人の暮らしを支えられるようにと、木の神が国じゅうの人の集まりのそばに植えたものだ」
幹に触れ、そっと撫でたメーラの手元からポロポロとこぼれるものがある。乾き、砕けた樹皮が剥がれて落ちるのだ。
力を込めずともこぼれていく木の皮をメーラは悲しげに目で追う。
「本来であれば抱えきれぬほどの幹から枝葉が生き生きと広がり、たわわな実をつけるものなのだが……」
声を途切れさせたメーラのあとをトゥルーリが続けた。
「どれほど待っても、しおれていくばかりで。どうにかこうにか生っていたしなびた実も、とうとうつかなくなってしまいました」
しょんぼりとうつむく彼の後ろでは、村人たちが「もうこの村は終わりだ」「神は私たちを見捨てたのよ」とざわめきだす。
その姿に、トオルは言いようのない苛立ちを感じて戸惑った。
両親の言葉に反発したくなる理由はトオル自身、なんとなくわかっていた。正論ゆえに素直に従いたくないという、思春期の心の変化のせい。
けれどトオルの場合、その苛立ちは両親にしか向いていない。学校の先生や身近な大人にあれこれ言われても、苛立ちを感じるほどの反抗心は湧いたことがなかった。
ならば、この村人たちに対する苛立ちはなんなのか。
考えるトオルをよそに、チエは少年の手を離し木のそばへ。
乾いた幹にそうっと手をあて、触れるか触れないかのところでやさしくなでる。
「たくさん木の実をありがと!」
にっこり笑顔がはじけると同時、かさついた木がふわりとうす緑の光をまとう。
その光景を目にした村人たちは、神木の復活かとどよめいた。
「あら、じゃあ私も」
にっこりしたキヨラが娘と同じように幹に手を当て、おっとりなでなで。
「きっと長い間、たくさん働いたのでしょう? おつかれさまでした。すこしお休みしてくださいなぁ」
ねぎらいの言葉とともに、あわい光が木を包む。
けれど。
「木さん、元気ないねえ」
「ふむ。幹の状態に変化はなし。花芽がついたようにも見えず、わずかに葉色が緑みを強くした、か?」
光がおさまっても木に明確な変化はなく、チエはしょんぼり。
十蔵は顔を近づけしげしげと眺めて、メガネを光らせる。心なしか、その光はにぶい。
「大元となるイタテが弱りすぎているんだろう。力を分け与える木が多すぎるために、一本一本への影響が微々たるものになってしまったのだろうな。だが、お前たちのもたらした感謝が力を与えていないわけでない」