2話
ルプラがカーテンの陰に隠れて待っていると、トランドが姿を現した。トランドは二週間前に死にかけていたのが嘘のように、元気に歩いていた。
「ぬぁー(さすが私が異能で起こした奇跡)」
ルプラの鳴き声に反応してトランドが小さく首を傾げたように思えたが、きっとルプラの気のせいだ。トランドはルプラの両親に勧められるままに、ソファに腰かけた。
応接室のテーブルを囲むのは、トランドとルプラの両親の三人だった。伯爵家から侯爵家に正式に婚約解消を願い出る前に、トランドを通じて話を通しておくため、今回の席は設けられた。挨拶もそこそこに、本題に入るのかと思いきや。
「ルプラはどうしているのですか?」
そんなことを訊きながらも、この場にルプラの姿がないことに、トランドはそこまで驚いていないようだった。
「今あの子は、君に会えない状態なんだよ」
「ぬぁー(確かに嘘は言っていないわね)」
平然と答えた父の声を聞きながら、うんうんとルプラが頷くと、再びルプラの鳴き声にトランドが反応していた。先ほどと違い、今度は確信を持っているらしい。
「ちょっと失礼します」
立ち上がったトランドが左右を見まわした。トランドは迷うことなく、ルプラが潜んだカーテンの近くまで来ると、屈んでカーテンに手を触れた。
このままではトランドに見つかってしまうが、今のルプラに逃げ場はない。どうせトランドに見つかっても、今のルプラはただの白猫でしかないのだ。なるようになると、ルプラは短い時間で腹を括った。
カーテンを捲ってルプラを見つけたトランドは、ルプラをひょいと持ち上げた。されるがままに大人しくしているルプラを、トランドはやたらと凝視してくる。
「ぬぁー(お元気になられて何よりです)」
伝わることはないとしても、ルプラはトランドに自分の思いを伝えたかった。今なら普段面と向かって言えないことも、難なく言えそうだ。
「ぬぁー! ぬぁー(トランド様大好き! なんて言っちゃった)」
トランドに聞こえていないと思っているルプラは、完全に調子に乗っていた。一度咳払いをしてから、トランドはルプラを抱えなおした。微かに頬が赤いトランドは、座っていた場所に戻りルプラを膝の上に乗せた。
「この子は一体?」
「最近うちで飼い始めた猫でね。ルプラが拾ってきたんだよ」
ルプラの父は平然と嘘を言った。ルプラだったら思いっきり顔に出ていたはずなので、ポーカーフェイスうまいなとルプラは感心しながら見ていた。
「そう、ですか」
何か思う所があるらしいトランドは、再びルプラをじっと見つめ始めた。トランドに優しい手つきで背中を撫でられて、ルプラは目を細めて骨抜き状態だ。トランドはとてつもなく撫でるのが上手だった。
「この子を僕に譲ってもらえないでしょうか?」
「だがしかし……」
口ごもるルプラの父の反応は当たり前だ。猫になってしまったとはいえ、大事な娘を物のようにそんな簡単に譲れるはずがない。
「お願いします。必ず幸せにすると約束します」
懇願するトランドの声音は、長い付き合いのルプラが珍しいと感じる程に真剣だ。続けてトランドはルプラの両親に深々と頭を下げた。
ルプラはたとえペットとしか見られていなくても、トランドの傍にいたかった。トランドに抱えられたままのルプラは、ふさふさの尻尾を振り回して、両親に自分の気持ちを伝えようとしていた。
無言の長い時間が過ぎた。
「……必ず大切にしてあげてほしい」
ルプラの父が声を絞り出した。それが苦渋の決断だったのは明らかだった。ルプラの母はずっと目を伏せたままでいる。
「ぬぁ~(ごめんなさい、お父様、お母様)」
自分の身を案じてくれている両親を悲しませたことで、ルプラの胸はずきりと痛んだ。
その後ようやく口を開いたルプラの母の希望で、ときどき伯爵家にルプラを連れてくることが、トランドがルプラを引き取る条件に付け加えられた。トランドは何も言わずに、その条件を受け入れた。
こうして当初の目的であったはずの婚約解消の話は、猫を引き取りたい話で流されて、ほぼなあなあのうちに終わった。これはなあなあの内というか、にゃあにゃあの内ねとルプラは思ったが、別にうまくも何ともなかった。
誰かに預けられたり、何かに入れられたりすることも無く、ルプラはトランドの腕に抱えられたままで、その日のうちに実家から侯爵家の屋敷に連れて来られた。
ルプラは侯爵家の屋敷には何度も来たことがある。人の姿だと見慣れた光景も、猫目線だと新鮮に思えた。屋敷の中へと入ると、玄関でトランドを出迎える人物がいた。トランドの弟だ。
「ただいま」
「兄さん、お帰りなさい。その猫飼うの?」
「ああ、新しい家族だ」
トランドに断言されて、ルプラのテンションが上がった。ルプラが思っていた家族ではなくとも、家族は家族だ。
「へー、ルプラさんみたいな猫だね」
「ぬぁー(みたいというか本人ですけど)」
トランドの弟はルプラを撫でようと手を伸ばした。が、その手はトランドによって阻止された。
「触られるのが苦手な子だから、また今度だ」
「はーい」
トランドがなぜ触られるのが苦手と言ったのか、ルプラは不思議だった。ルプラはトランドに見つかって以降、ずっと大人しくしている。ルプラは誰に触られても全然気にしないのだが、まあいいか。
トランドはルプラを抱えたままで、自分の部屋へと向かった。ルプラがトランドの部屋に入ったことは、今まで一度だけしかない。トランドに抱えられたルプラの尻尾は、くねくねと忙しなく動いていた。
自室の前に着いたトランドが扉を開ける。目の前に広がる二度目の光景に、ルプラは瞳を輝かせた。トランドらしくシンプルで品の良い内装、微かに漂う良い匂いは、ルプラの理性に多大な影響を与えた。
そっと床に下ろされたルプラは鳴き声を上げる。
「ぬぁー!(トランド様のお部屋だ!)」
ルプラははしゃいで部屋の中を駆け回った。思いっきりはしたない行いだが、今は許される。だって今ルプラは猫だから。
トランドがルプラの様子を見て必死で笑いを堪えていることに、走るのに夢中なルプラは全く気付いていなかった。
「おいで」
トランドに呼ばれたルプラは、全力でトランドに駆け寄った。手が届く距離まで来ると、ルプラはトランドにひょいと持ち上げられた、
「これから君のことは、ルーと呼ぼう」
「ぬぁー(はい、トランド様)」
どうしてそんな名前を付けられたのか、ルプラは全く不思議に思っていなかった。
こうしてルプラが思い描いていた形とは全く違うが、トランドと一緒の暮らしが始まった。婚約者同士だったのが、今や飼い主とペットとはいえ、ルプラはトランドと一緒に居られるはずだったのだが……。
ルプラにとって、ちょっと想定外の出来事が起きていた。
何かと外に出たい派のルプラと違って、トランドはインドア派だったはずだ。ところがトランドは毎日朝からどこかに出掛けてしまい、帰ってくるのはいつも夕方だった。
外から帰ってきたトランドの元に、ルプラは毎日一目散に突撃した。寂しかったと猛烈にアピールするのを忘れない。トランドはそんなルプラを、一人にした時間の埋め合わせをするかのように、沢山可愛がってくれた。
トランドが何をしに毎日出かけているのかなんて、ルプラは考えもしなかった。




