誘拐事件編-3
今日一日は大変だった。
紗里子ちゃんが居なくなって町は大騒ぎだった。大人達が総出で探した。私や牧師さん、塚田まで駆り出して探したが、全く見つからず、夕方になってしまった。
こんな事になって春人くんは自分のせいだと青ざめていた。牧師さんにこの件は任せたが、私もあまり良い気分はしなかった。
朝比奈の奥様に殴られた右頬は、後になって腫れてきた。私は氷で冷やしながら、なんとか買い物を済ませ、夕飯作りに取り掛かった。
「ちょっと、塚田さん。夕飯作りはちょっと手伝ってくれませんか?」
「えー、嫌なんだけど。これから、超大作のすごい場面に取り掛かるところでさ」
「いいえ。今日はちょっと手伝って貰います」
「奥さん、意外とはっきり言うな」
塚田は渋々夕飯作りを手伝ってくれて、米を炊いたり、味噌汁作りを手伝ってくれた。意外と慣れた手つきだった。
「塚田さんは、お料理習った事あるの?」
「ないな。まあ、金持ちの未亡人のヒモやってた時に習得したとうか」
「ヒモ……」
あまりにも世界の違う言葉に私は絶句してしまった。確かに塚田は、よく見ると顔は整っている。だらしない男でがあるが、母性本能をくすぐるような何かはある。ヒモをやっていた事に納得してしまった。
「ところで、ほっぺた赤くない? なんで殴られたのに、仕返ししないの?」
「仕返ししたってしょうがないでしょ。それに本当に相手が悪かったら、神様が仕返ししてくれるからいいの」
「意味わからないなー」
塚田は呆れていたが、わざわざこの事を説明する気が失せてしまった。それよりも沙里子ちゃんの事の方が心配だった。
「ところで、塚田さんは本当に隆さんの弟子になるの?」
「うん、絶対なる! 僕は、幸村下先生のようになりたい!」
「借金はどうするつもり?」
「それは、おいおい……」
そんな会話をしながら、夕食の準備が完了した。
今日は、野菜の具沢山味噌汁と白米、秋刀魚の甘辛煮だ。どれもミッションスクールで習った料理で、栄養も偏っていないはずだった。
ちょうど夕飯の支度が完了した時に隆さんが帰ってきた。いつもよりほんの少し帰ってくれたようだった。
「あなた、おかえりなさい」
いつものように玄関で出迎える。隆さんは私のちょっと腫れた右頬を見て顔を顰めていた。
「ただいま。それは良いが、ほっぺたどうしたんだよ」
「それが……」
立ち話で説明しにくいので、夕食を食べながら話す事に決めた。隆さんは、私の頬にかなり気遣ってくれて、それだけでこの事については全く気にならなくなってしまった。一時期に比べれば腫れも引いたようで、明日には全く大丈夫になるだろう。
食前に祈りを捧げて、夕食を食べ始めた。
驚いた事に塚田も一緒に祈っていた。
「おいおい、塚田。どういう風の吹き回しだ?」
隆さんは、苦笑しながら言う。私も似たような表情を浮かべていたと思う。
「いや、願いを叶えてくれるなら耶蘇教の神様でも良いと思ってさ」
「おいおい、ご利益で拝むのはやめろよ」
「そうよ。肉的な願いを叶えるために神様がいるわけじゃないのよ。今朝も似たような事言ったと思うけど」
「でも、耶蘇教の神様には興味があるよ。今度教えてよ、雪下先生」
塚田の調子の良さに私達夫婦は、ため息が出てしまうが、こういう気の抜け方は羨ましいとも思ってしまった。牧師さんに聞くと、敬虔すぎる人は自分を追い込みすぎて帰って背教してしまう事もあると言う。たまには親に甘えるように健康やお金の事も祈っていいと言われていた。本当に必要なものだったら神様は与えてくれるから、安心して良いとも言われていた。
「まあ、そう言われれば教えてあげない事もないな。今夜から聖書について教えてあげよう」
「雪下先生、本当? よかった」
なぜかちょっと塚田は、ほっとしたような表情を見せた。
「塚田さんは、教会行ったりした事はある?」
ちょっと空気が重くなりそうなので、明るく聞いてみた。
「あったかなぁ。ああ、昔シスターにお菓子もらった事あるよ」
「そうなんだ。うちはプロテスタントだから、シスターは居ないけど」
「なんでいないの?」
「宗派が違うんだよ。神父がいて、マリア崇拝やってるのがカトリック。うちはああいった偶像はないね」
隆さんが代わりに説明してくれた。塚田は意外な事によく話を聞いて、雑記帳にもメモを取っていた。おそらく後で作品のネタにするのだろう。
そんな雑談をしながら、すっかりこの場は和やかなものになってしまった。食が進み、ちゃぶ台の上の料理もほとんど胃袋に消えていく。私は妊娠中という事もあり、食べる量が増えていた。医者からは妊婦がかかる糖尿病にならないよう注意を受けて居たが。
この空気のおかげで、今日あった事を隆さんに上手く説明することができた。
「何だって、子供が居なくなったのか!?」
想像以上に隆さんは驚いていた。
「それは、ヤバいな。生贄目的の誘拐かも知れない。1週間後、ハローウィンだしな」
「ハローウィンって何?」
はじめて聞いた言葉に私の目は丸くなっていた事だろう。