小さな迫害編-5
翌日、私はいつものように早く起きて、朝ごはんの準備をすると、教会の子供達の分のご飯を作った。今は妊娠中なので、子供達もいっぱい手伝ってくれたので、最近はこの家事も苦にはなっていない。小さな子供達には、ご飯を食べさせて服を着替えさせると自分の家に戻った。
客間を覗くと、塚田は目を覚ましていた。机にかじりつき、原稿用紙に向かって書いている。その目は隆さんが原稿に向かっている時の顔にそっくりだ。
ただ、徹夜したのか顔は真っ青で不健康そうなのは否定できない。
「塚田さん、おはようございます」
「ああ、奥さん」
塚田は眠そうに腕を伸ばす。そして、気が抜けた欠伸をした。客間は教会の牧師館に近いので、子供達の笑い声が響き、確かに少し煩い部屋だと思うが。
「もしかして徹夜しましたか?」
「うーん、今の原稿が楽しくってさ。雪下先生にも見てもらいたい」
「それは良かったですね。朝ご飯は食べますか?」
「ええ。お腹すいたよ」
長い前髪をくしゃくしゃと掻きむしりながら、塚田はうなづく。
とりあえず、塚田をちゃぶ台のある茶の間の連れて行き、私は朝食の盛り付けに取り掛かった。
隆さんも起きてきたようで、配膳を手伝ってくれた。
「あなた、手伝ってくれてありがとう」
「いや、いいんだよ。今日は豆の煮物と鮭か。うまそうだな」
「ええ。ありがとう」
隆さんに手伝ってもらいながら、ちゃぶ台に朝ご飯を載せる。
豆の煮物、鮭の切り身を焼いたもの、ご飯、大根の味噌汁を並べる。
塚田は徹夜で疲れているのか、ちゃぶ台に頬杖をつきながら、うとうととしていた。
「おい、塚田。徹夜したのか?」
隆さんは、心配そうに尋ねていた。
「うん。筆がのってしまってね」
「徹夜はやめとけ。身体を壊したら元も子もないぞ」
言葉自体は厳しいが、隆さんの表情は優しげだったので、塚田は素直の頷いていた。
朝食の支度が終わり、食前の祈りをする時だった。
なぜか塚田は口のへの字に曲げて、睨みつけるように私を見ていた。少し機嫌悪いのかとも思ったが、なぜか怯えているようにも見えた。
「奥さん、この豆は66粒入っていますか?」
「は?」
私だけでなく、塚田の言葉に隆さんも目が点になっている。
「66は縁起のいい数字なんだ。その分だけ豆食いいたい。良い原稿を書く為の縁がつきをしたいんだ」
塚田は小さな声で説明する。
食卓に沈黙が流れた。私はこんな塚田にどう対応すれば良いのかわからない。縁がつぎと言っても、偶像崇拝のような食べ物の扱いはクリスチャンとしては、抵抗がある。
隆さんは塚田の要望には無視して祈り始めた。私も続けて祈るが、塚田は納得していない顔をしていた。
「あのさ、豆を66粒……」
「塚田。そんな事を言うなら出て行ってくれないかな。我々は、偶像崇拝のように食べ物を食べないんだよ」
隆さんは怒っていないようだった。どちらかといえば、呆れているようだった。
「え? 偶像崇拝って何?」
塚田は知らなくても当然の言葉だ。クリスチャン以外では滅多に使う言葉では無いだろう。
「偶像崇拝は、我々の神様以外のものを拝む行為だ。石や木、仏教や八百万の神などな。占いもそうだ。食べ物を拝んで縁起担ぎあうるのも偶像崇拝だし、自分の力を過信するのもそうだ」
「隆さんの言う通りよ。うちは、そう言った事はしないの」
口を挟んで良いか迷ったが、隆さんには同意を示したかった。
「え、じゃあ、雪下先生達は、イエス・キリスト以外は信じてないの? ビックリした……」
塚田は、その事にかなり驚いていた。無理も無いだろう。日本では八百万の神々がいて、何を拝んでも何でも良いという文化だ。
「まあ、ご飯食べながら話しましょう」
「そうだな、志乃」
私達がそう言い、ボソボソと塚田が箸をつけ始めた。豆も文句言わずに食べているところを見ると、縁起担ぎは諦めたようだ。不本意そうではあったが、塚田もここを追い出されるのは問題のようだ。
「ねえ、何で君達の神様は、他のものを拝んじゃいけないの?」
塚田は不本意そうではあるが、ちょっと興味を持ちながら聞いてきた。
「私たちを花嫁のように特別に愛している神様だからよ」
「へぇ。奥さん、そうなんだ。そんな事初めて聞いた」
「それに偶像崇拝の周りには、惑わしの悪霊が動いている。実はとても危険な行為だ」
「だから私の両親は神社に行っても何も叶わなかったのね」
「よくわからないけど、二人は神様に願って叶えてもらった事あるの? だったら僕も耶蘇教信者になろっかな」
塚田が言う。
比較的、さっきよりは機嫌が治ってきた隆さんだが、再び無言になってしまった。これではご利益宗教で信仰を持つようなものだ。私もちっと塚田には、イライラとしてきてしまった。
神様は願いを叶えるだけの存在ではなく、むしろ私達の命も一瞬で消せる権利がある創造主である昨日の話を説明したくなったが、塚田のこの様子だと聞く耳をもってくれるか疑問っだ。むしろ、ご利益宗教じゃない事を腹を立ててきそうな雰囲気すらする。
とりあえず、私達は無言で食事をすすめた。
「ところで、聖書って一番売れている本なんでしょ」
空気が読めない性格なのか、塚田はこんな質問もしてきた。
隆さんは無視して味噌汁を啜っていたが、ちょと可哀想になってしまった。
「そうよ。世界で一番売れている本で、本の中の本と言われているの。普通の人間が書いた本ではなく、神様が書いた本だから当然よね」
「そうだ。聖書は神様の霊で書かれている。きっと書き記したルカやヨハネは、天国から神様の思考や願いを降ってくるように受け取ったんじゃないか。英語で言うと、インスピレーションを受け取るという事だ」
私の説明で気を良くした隆さんは、上機嫌の語る。やっぱり神様の話となると、特別だ。
「ふーん。そうなんだ。だったら、僕も聖書みたいな本書きたいな」
「は?」
隆さんの眉間に皺がよる。
「うん。夢はでっかくだよ。僕は、自分の作品は聖書より売れたい!」
一瞬何を言っているのかわからない。塚田は宇宙人のように見えてしまったが、隆さんの表情の固まっていた。
結局、こんな塚田にペースを乱され、私達はろくに食事も取れず、隆さんは身支度を整えて、仕事に出かけてしまった。
「あなた、あんな事言う塚田さんはどうすれば……」
私はただオロオロと戸惑う事しかできなかった。
意外にも隆さんは、落ち着き払っていた。
「いや、これは迫害だ」
「迫害?」
確かクリスチャンは、迫害は受けやすいと聞く。実際、先の戦争の時は牧師さんも「非国民」と嫌がらせも受けていたらしいし、この国でキリスト教は受け入れれなかった過去の方が長い。私が住んでいた火因村という農村では、過去にキリスト教式の葬式をやった者がいて、逮捕されたものもいるらしい。
「迫害だったら喜ぼうではないか」
「うーん、でもあの様子だと単なる典型的なご利益宗教の人だと思うんですが」
塚田の態度は不愉快だが、意図的に迫害しているようには見えなかったのだが。
「いや、これは迫害だ」
「そうなの?」
「だって、アイツは反キリスト的な作品も書いていたからな」
「なるほど。確かにそうね」
「燃えてきたぞ。こうなったら創世記から黙示録までみっちり教えてやる!」
「あなた、頑張って!」
いつになくやる気を見せている隆さんはとてもカッコ良く見え、私は応援するように笑顔を見せた。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ。行ってらっしゃい。早く帰ってきてね」
玄関先ではあったが、隆さんは軽く唇を重ねて仕事に行ってしまった。