番外編短編・口紅
大掃除も終わり、年明けも徐々に近づいていた。
お餅だけは準備した。お餅は古代イスラエルの種無しパンとよく似ているという説もありようだったが、実際のところはよくわかっていない。
隆さんも小説の仕事や家庭教師の仕事も段落したようだったが、今日は朝からどこかに出掛けていた。
向井に用事がありとか言っていたが、まだ仕事が残っているのかもしれない。私は特に追求せず、隆さんを送りだした。
正月は祝わず、いつも通り過ごすわけだが、商店街はほとんど閉まってしまって利用できない。
日持ちのする小魚の佃煮を作ったり、年末年始の食事の準備に終われた。
ちなみにおせち料理は、意外と願掛けの意味合わいが強いので作らない。こう言った偶像崇拝的な食べ物は、抵抗があった。
ちょうど煮物を作り終えた時、高井さんが帰ってきた。
「おかえりなさい」
外は寒かったのか、隆さんの頬は少し赤くなっていた。
「実は、志乃にお土産があるんだよ」
「え?お土産?」
ついつい嬉しい声を出してしまう。
さっそく茶の間でお土産を見せてもらう事になった。
それは私が想像していた物と少し違った。
綺麗な箱に入ったコンパクトとスティック状の口紅だった。携帯用にもなるこの口紅は、筆を使わずに塗れるとちょっと前から婦人雑誌で話題になっていた。小さな箱には「棒紅」と書かれてオシャレだ。コンパクトも丸型でバラの絵が彫られている。見ているだけで華やかな気分になった。
「まあ、素敵」
思わず嬉しい声を出してしまった。
「今日は志乃の誕生日だろう」
「あら、すっかり忘れてた」
「だろうと思ったよ。去年みたいのどっかに行くわけにも行かないしな」
隆さんは、苦笑していたが、私が素直に喜んでいる姿を見て、目尻を下げていた。
三上さんの子供達によるととても厳しい家庭教師の先生という評判が耳に入ってきたが、今はとてもそんな風には見えず、ちょっと笑ってしまった。
「ありがとう。とても大事にするわ」
「ああ、気に入ってくれて良かったよ。ちょっと口紅塗ってみたらどうだ?」
「え?今?」
「この色で合っているかどうか、ちょっと疑問でさ」
「確かに。口紅の色ってちょっと悩むわよね」
私はさっそく包みを開けて、コンパクトの鏡を見ながら口紅を塗ってみた。
普段化粧はしないが、出かける時はしている。久々に口紅を塗り、少し顔も華やかになったようだ。
「どう? 似合っ……」
そう言いかけたが、続きを言うことは出来なかった。隆さんに唇を塞がれ、唇を重ねていた。
この口紅は自分には似合っている事は間違い無いだろう。
唇を齧られて、嫌というほどその事を自覚した。




