讃美歌編-6
霊媒師の事件から一か月たった。そろそろクリスマスが近いので、教会は騒がしかった。
今年は、手作りクッキーを配る事になった。その準備もあるし、子供達の世話も忙しく動いていた。沙里子ちゃんの父親は、やっぱり子供の面倒を見るつもりが無いようで、教会で暮らしていた。
すっかり教会の子供達とも仲良くなり、今はちょっとした女の子達の親分みたいになっていた。あの子は将来大物になるそうだ。
町の中はすっかり平和だった。霊媒師の事件があった事などは、嘘のようだった。事件に関わったご主人のいる八百屋は潰れてしまったが、代わりに新しくお店もいくつか出来たので、買い物に困る事もなかった。私が妊娠中と知ると、色々おまけしてくれた。お腹もかなり目立ち始めていたが、身体は変わりない。
そんな中、ついに隆さんの創った雑誌が完成し、書店に並び始めた。雑誌の名前は「世の光」という。聖書から取られた題名だった。主に女性向けの文芸誌で、隆さん意外にも土屋先生の作品や女性作家の作品が掲載されていた。
清美さんが寄稿した短編小説も載っていた。あに事件以来作家業は辞めてしまったものと思い込んでいたが、今回は特別に書き下ろしてくれたのだという。隆さんから話を聞くと、清盛さんは結婚し、身体の調子も良いという。この事も私をとても安心させた。
雑誌は教会の皆んなや町内の人達に配り歩いた。
すっかり私は、夫の事が大好きな妻だと近所で有名になってしまったが、仕方ない。中でも三上さんの家で好評で、隆さんの評判も上がってしまった。そのおかげで、隆さんの家庭教師の仕事も決まり、専業作家になってもしばらく経済的には問題なかった。土屋先生が紹介文などを書いてくれたりもして、既刊の重版も決まった。
そんな中、あの花畑令嬢が家に訪ねてきた。
日曜日の礼拝が終わり、家でゆっくりと隆さんと二人で昼ご飯を食べている時だった。
塚田に教えてもらった天ぷらで丼物を作った。意外と簡単に出来て二人で昼食を楽しんでいるところであったが。
「突然、押しかけちゃってごめんなさいね」
特に悪いと思ってないようだった。
客間に通すと、花畑令嬢がふんずり返るように座った。突然押しかけて来られて迷惑ではあったが、自分も似たような事をしたので文句も言えない。隆さんも花畑令嬢をすっかり許しているのか、笑顔で迎えていた。仕事も順調だし、花畑令嬢を気にする理由も無いだろう。
花畑令嬢のためにお茶と豆大福を出した。豆大福は後で隆さんと一緒に食べる為に買ったものだが、仕方ない。こんな事はよくあり、隆さんと一緒にお茶とお菓子を食べる機会を逸していた。
「花畑さん、今日はどんな御用な?」
隆さんは、笑顔で花畑令嬢に尋ねていた。この笑顔を見ていると全く気にして居ない事が伝わってくる。
「でも、よく来てくれましたよ。花畑さんとはもう一度よく話してみたかったの」
その言葉は嘘じゃなかった。確かに花畑令嬢の印象はよく無いが、前会った時はなぜか友達みたいな感じのなってしまっていた。あれ以来、一度も会って居ないが、悪い人では無い事はわかって居たので、また話しても良いと思っていた。
しかし、なぜか花畑令嬢は顔を歪ませて泣き始めてしまった。
「あらあら、どうしましょう」
「志乃、手拭い持ってこい」
「はい」
私は洗面所に行き、手拭いを持ってきて花畑令嬢に手渡した。隆さんに貰ったハンカチーフを貸してもよかったが、なんとなく元婚約者に貸すのは良い気分ではなかった。
花畑令嬢は、涙を拭き取ると悔しそうの下唇を噛んだ。たぶん世間一般的には美人の部類に入ると思うのだが、その表情で台無しになっていた。
「悔しいわ。あなたがこんな良い小説を書くなんて!」
再び涙をこぼしながらも、新しくできた雑誌に載った隆さんの小説がいかに素晴らしいか語った。
その小説の題は「この世の光」という。金持ちの御曹子が、田舎やスラム街に入り徐々に成長していく冒険譚。途中で主人公は神様を信じ、貧しい人々と讃美歌を歌う場面は、思わず涙を誘った。
花畑令嬢は、私以上にこの小説の良さがわかっていたようだ。この場面が素敵、あの台詞がグッときたなど語っていた。悔しそうではあったが、素直に同業者に功績を認めては居たらしい。
「あーあ、あなたをフって後悔したわ。なんで、婚約破棄なんてしちゃったんだろう」
そんな事まで呟く始末だった。
「ちょっと、花畑さん? やめて」
私は熱っぽく隆さんを見つめる花畑を見ながら、慌ててくちばしる。
「どう? 今から私と恋愛しない?今流行りの自由恋愛よ」
私の顔は真っ青になっていた事だろう。
「私はクリスチャンだ。神様を信じる者として不倫は言語道断だ」
「あはは。本当にあなたは真面目ね。嘘よ。冗談よ。そんな顔を青くしないで、奥様」
花畑令嬢の言動は冗談だと気付き、私はホッとして胸を撫で下ろした。明らかに揶揄われたようで、顔は逆に赤くなって居た事だろう。花畑令嬢は、こんなやり取りも作品の参考になると言って、雑記帳にカリカリと音をたてて書きつけていた。
「でも、面白いわ。この雑誌。意外と色んな作家が書いてるし、挿絵も多いわね」
ふと、花畑令嬢は真顔になってつぶやいた。
「図々しいお願いなんですが」
「花畑令嬢も自分が図々しい自覚はあったのか」
隆さんは、呆れながら豆大福を齧り付いた。
「ええ。私はとても図々しいんです」
その自覚は一応あったようで、私は驚いてしまう。
「ですが、この雑誌には感動しました。私が書くことは可能?」
今日、なぜ花畑令嬢が家にやってきたか理由がわかった。彼女も作家だ。自分を売り込む目的で来たのだろう。
「実は、志乃さんをモデルにした小説を書こうと思っていて」
「え?私?」
突然、私に話題が向い再び驚いてしまった。
「ええ。今はあらすじを考えている段階ではなのだけど」
花畑令嬢は自分のカバンから別の雑記帳を取り出し、私達に見せた。そこには小説の構想が書かれていたが、明らかに主人公は私だった。孤児の少女が神様に救われて、幸せな結婚をする少女小説だった。
私は恥ずかしくて居た堪れなくなってしまったが、隆さんはむしろ大賛成していた。
「いいんじゃないか?実は私も志乃をモデルに作品を書こうと思ってたんだが」
「え?」
それは初耳だった。さすがの恥ずかしくてこの場から去りたくなったが、意外と隆さんも花畑令嬢も冷静だった。もぐもぐと豆大福を頬張り、しばらく小説の構想で盛り上がっていた。
「なんで奥様がモデルの小説書くの辞めちゃったの?」
花畑令嬢は疑問を口にする。
「いや、ちょっと書いてみたんだが『うちの妻は可愛い』って文で埋まってしまってな」
「あはは。馬鹿じゃないの」
隆さんは、花畑令嬢に大笑いされていたが、全く気にしていないようで平然としていた。
私は恥ずかしく下を向く事しか出来ず、美味しそうな豆大福も食べられなかった。
しかし、二人とも私をモデルにした小説を作る事には乗り気で、結局花畑令嬢も新しい雑誌の執筆陣に加わり、しばらく私に結婚前の事情などを聞いて帰っていった。恥ずかしいが、決まった事は仕方がない。それにこれで、隆さんと花畑令嬢の仲は完全に回復したようでホッとした。もうこれで悪魔が付け入る隙もなくなっただろう。
花畑令嬢が買えると、やっぱり家の中は静かに感じるほどだった。向井ちはまた違った方向に騒がしい人のようだった。
夫婦で見送った後、玄関から再び茶の間の方に戻る。食べかけの昼ごはんはまだ余っていたが、それを食べる気分にはなれなかった。
「しかし、恥ずかしいわぁ。私がモデルになるなんて」
「まあ、いいじゃないか。これも神様を賛美する事になると思うよ」
「そうね。そうだといいわね」
まだ熱っている私の頬に隆さんは、優しく触る。温かな手の感触を感じながら、この手に返ってきた穏やかな時間を噛み締めていた。




