讃美歌編-1
夢を見ていた。
夢の中には、大きな蛇がいた。蛇はなぜか、親しげに私に話しかけてきた。
「志乃ちゃん!」
とっくに結婚して、もう子供が生まれるというのに子供のように呼ばれて、とても不愉快だった。土屋先生のように昔からの知り合いなら別だが。
この夢も悪霊が見せているものだとピンときた。
蛇は、悪魔の象徴だった。旧約聖書の創世記では、エバは蛇に誘惑されていた。誘惑の内容も嘘だらけ。新約聖書では、悪魔の本性は嘘つきで人殺しとされている。
「ねー、志乃ちゃん。俺と契約しない?」
蛇は、舌を見せながら語ってきた。
「契約?」
「実は、俺は霊媒師の榊原珠子と契約しているんだけど」
そんな気がした。生贄を要求してくるなんて悪霊以外何者でも無いだろう。
あのインキュバスの仲間だ。もうアレは祈りで反撃したし、もう夢に出てくる事も肉体に影響がある事もなかったが、今度はこの蛇が目の前に現れた。
「だったらずっと榊原と契約していればいいじゃない?」
「うん、それも良いんだけどさ。もうそろそろ、あの女は破滅に向かってるし」
「あなたが破滅に向かわせたんじゃ無いの?」
蛇は、ここで言葉を詰まらせた。しかし、何食わぬ顔顔で言葉を続ける。
「俺と契約したら、必ず君の成功を約束してあげるよ。ほら、君の夫は作家だろう?夫も成功させてあげるよ?」
蛇は、舌を出してきた。とても気持ち悪かったが、なぜか声はだんだんと少年のように可愛らしくなってきた。
「君の旦那さん、新しい雑誌作りも大変みたいだね。資金や人も集まらなくて」
心が揺れ始めた。
「正直なところ、文壇での評価もイマイチだし、このままだと危ないかの知れないね?」
明らかに誘惑されているとわかった。私は、隆さんの仕事の口出ししないと決めている。新しい雑誌を作っている事は知っていたが、進捗はほとんど知らされていなかった。夏実さんの時のような事があったら困るし、それで良いとも思っていた。
「どうだろう?俺と契約したら、望み通りの結果をあげるよ」
だんだん思考に靄がかかっていくのを感じていた。悪霊と思考は密接に関係があると隆さんが言っていた。悪い事をしてしまうのも、こう言った悪霊が送り込んだ思考に同意してしまうから。だからこそ、正気を保ち神様に頼る事が重要だった。
「インキュバスと似たような事言うのね。これは誘惑?」
再び、蛇は押し黙るが、平然とした顔でペラペラと言葉を重ねる。
「インキュバスを知ってるのか。アレは低級な霊差。奴と契約しても、せいぜい物質的に満たされるぐらいだ。俺は、世の中の成功も持ってこれるぜ?どうだ?契約しないか?」
気づくと蛇は、その姿を変えていた。綺麗な着物をきた美しい男性に姿を変えた。
濡れたように艶やかな黒髪。腰までの長髪だが、不思議とよく似合ってうみる。黒い瞳や高い鼻、彫刻のように綺麗な口元は、どこからどう見ても整った顔の美男子だった。
人間は外見に騙されやすい。
ハッキリと聖書にそう書いているわけでは無いが、聖書には悪魔が天使のフリをするとある。この蛇も人間が見かけに騙されやすい事をよく知っているのだろう。そう思うと、この美しい外見も全く魅力的の見えなくなってしまった。どこからどう見ても詐欺師にしか見えない。
「主イエス様」
私がその御名を発すると、蛇は苦痛な表情を浮かべた。この言葉で表情を歪めているにだから、やっぱりこの蛇は悪霊だ。悪霊は神様の御名前がとても苦手だった。
私はそんな蛇を無視して、祈りの言葉を続けて発した。
天のお父様
イエス様
私はイエス様の身体の一部である事を宣言し、神様と共に悪霊に攻撃する事を宣告します。
全ての霊媒の霊、魔術の霊、大蛇の霊、蛇の霊よ、イエス・キリストの御名で出て行け。
悪霊の陣地で、全ての悪霊達を同士討ちさせてください。
イエス様の血潮で覆われた神の矢を放ち、悪霊どもに突き刺す。
天のお父様、どうかこの蛇の悪霊を踏みつけ、檻に閉じ込め、二度と出てこないようにしてください。
黙示録20章1:3節の御言葉を信じ、悪霊どもの敗北を、今ここで宣言します。
どうか、イエス様この蛇の悪霊が二度と近づいてこないようにお守りください。
イエス様の御名前でお祈りします。アーメン。
以前、隆さんに教えてもらった悪霊を縛る祈りをしてみた。細かい部分は、間違っているかもしれないが、どうにか祈りの言葉を言えた。
こんな蛇に攻撃されてるのに、私の気持ちはむしろ落ち着き、澄んでいた。
蛇は最初は、狼狽えているだけだったが、だんだん戦意を喪失し、悲鳴を上げながら消えて行った。
これで大丈夫そうだ。
思わずお腹を見る。子供も大丈夫そうで、安堵のため息がこぼれる。
夢の中に入って来た悪霊は、これで消えたようだ。
同時に眩しい光が、あたりを満たし蛇などが入る隙は完全に消えたようだ。
「ありがとう、イエス様……」
胸には神様への感謝の気持ちがいっぱいになって満たされた。やっぱり人間は、神様に感謝すると幸せになるように出来ている。
そんな事を思いながら目を閉じた。




