許さない罪-6
花畑令嬢が働く邸宅から少し歩いたところに、こじんまりとした甘味処があった。
ただ、客でいっぱいだったので、しばらく待ってかたようやく入店する事ができた。
全部席が埋まっていて、客達の話し声で落ち着きは無いが、立ち話よりはマシだろう。
花畑令嬢は、すっかり甘味に喜び、メニューを見ながらニコニコしていた。
「アイスクリームもいいわねぇ。奥さんは何食べる?」
「私は妊娠中なので、冷たいものはちょっと」
「あら、あなた妊娠中だったの?元々太った人かと思ったわ」
そう言って花畑令嬢は、ケラケラと笑っていた。どうも一言多い性格のようだ。それに妊娠中の様子も詳しく聞いて、雑記帳に走り書きまでしている。餡蜜が届くまで熱心のそんな事をしていた。あとで作品のネタにするらしい。こんな行動は、隆さんもよくやって居たので驚く事ではないが、他の客はチラチラと花畑令嬢を見ていた。確かに甘味処に来て、勉強するように何か書いているのは奇妙ではあった。
餡蜜が届くと花畑令嬢は、それもよく観察しながら雑記帳に走り書きをしていた。その目はかなり真剣で、やっぱり作家なのだろうと思った。
「それで、雪下先生の奥さん。今日は私に何の用かな?まあ、想像はつくわね。元婚約者が気になって思わず来ちゃったって感じ?」
「凄い、当たってますね……」
「こちらは人の心理を見抜くのもプロよ。じゃないと読者が喜ぶ作品なんて書けないでしょ」
花畑令嬢は、作家仲間のうちで隆さんの事は話題になっていると告白した。妻も美人で信じられないというので話題になったらしい。そんな話を聞くと嬉しさよりも恥ずかしさで身がすくんでしまう。
「あーあ、残念だったなぁ。私も雪下先生と結婚していればよかったかも」
「え……」
「冗談よ。いやよ、あんな堅物。それに耶蘇教は、私は信じたく無いわね」
「え、何でですか?」
「古臭くて堅苦しいもの。女はもっと自由になるべきよ。なに、女は教会では黙って居なさいって。男尊女卑もいいところ。本当に信じられない価値観ね」
確かに聖書では女は教会で黙って居なさいと書いている。ただ、それは逆に女性を守る意味での言葉だ。牧師や預言の賜物がある人は自ずと悪魔からの攻撃が激しくなる。そう言った攻撃から女性を守る意味で大人しくしている事や男性に従えと書いてあるのだが、花畑に言っても通じなそうだ。
釘は打つ事はした。
「そうですか。だったら仕方ないですね」
「あれ、あなたも耶蘇教の人でしょうに、意外とあっさりと引き下がるのね?面白いわ」
そう言って再び雑記帳に何か書き付けていた。どうやら花畑令嬢の目からすると、この世にあるものは全て作品のネタという感じなのだろう。
「その代わり、もう隆さんのことを悪く言ったりしないで欲しいんです」
「悪く言ってた無いわよ。実際、あの人の作品は固くてつまんないんだもーん」
「それは好みの問題ですね」
「そうだけど」
「そう言った事はお辞め下さい」
「あら、あなた意外と強いのね?笑っちゃうわ」
なぜか花畑令嬢は、気が抜けたように薄ら笑いをし、ガツガツと餡蜜を食べていた。
私も釣られて餡蜜を食べるが、あまり味は感じられなかった。
「そうね。まあ、いいわ。よっぽど雪下先生が好きなのね、あなた」
「何か問題ですか?」
「問題じゃないけど、よくあんな真面目で話が詰まらない男性と結婚できたわね」
言葉とは裏腹に、馬鹿にするような意図はあまりない様だった。私を奇妙な動物の様な視線で見ると、再び雑記帳に鉛筆を走らせた。カリカリとしたその音を聞いていると、だんだんとこの状況も馬鹿らしくなってきた。こんl女性の強い悪意は無いのは、確かだ。
ただ、隆さんとは限りなく相性が悪いだけの様に感じる。たぶん、それだけの事だ。恨んだりする事では無い。この事は帰ったら、隆さんに伝えたいと思った。もし彼女を許せないのなら、この事は何かの手助けのなるかもしれない。こんな風の突然お仕掛けた事は少し後悔していたが、その点だけはわかって良かったかもしれない。
「本当にあなたってどこで雪下先生と知り合ったの?それは気になるわね。何かの参考になるかも知れないから、詳しく教えてくれない?」
少し目を輝かせながら、こんな事まで聞いてきた。
あまり話したい内容でも無かったが、花畑令嬢の押しの負けてしまった。親戚の家での不遇から、インキュバスの事、教会に保護された経緯を説明した。
なぜか花畑令嬢はワナワナと震えていた。一旦緑茶を口に含み、少し落ち着いてきたら再び口を開く。
「ちょっと、あなたの身の上、少女小説みたいじゃない。感動したわ。このまま小説にしたいぐらいよ。是非、継続的に取材させて下さいよ」
「え?」
その提案は、思っても無い事だった。隆さんとの馴れ染めを話すと、大抵は引かれる事が多いのに。実際、あの事件の時の夏実さんは「洗脳されているんじゃない?」とまで言ってきた。
「っていうか、キリストの花嫁ってどういう事なの?それがきっかけで聖書の話もするようになったの?」
「別にそういうわけでは無いんですが……」
花畑令嬢は、なぜか「キリストの花嫁」という言葉に食いついてきた。目もキラキラさせながら、どういう意味かと聞いてくる。ちゃんと聞いてくれるかわからなかったが、私はその言葉の意味を丁寧に説明した。
「へぇー、イエス・キリストって信者の事を花嫁みたいに大事に思っていたの?これは初耳ね」
意外と好感触だった。
私は、さらに旧約聖書の雅歌の一節を口のして説明する。雅歌は特にイエス様からの情熱的なラブレターのような箇所だった。私も好きで暗唱するほど覚えてしまっていた。
「へぇ、聖書って意外とロマンチックな書物だったのね」
花畑令嬢はこの話には意外と食いつき、雑記帳にもさっきよりも慌てた様子で書き留めていた。
「聖書は本の中の本とも言われています。この世の中にある書物はたいてい聖書が網羅しているんじゃないかと思いますね。もちろん、恋愛小説みたいな所もありますね」
「へぇ、聖書って意外と凄いのねぇ。そうだ、これからもっと取材させて。詳しく知りたくなってしまったわ」
最初はこの提案は断った。やっぱり花畑令嬢は苦手だと思ってしまったからだが、結局彼女の情熱に押されて断れなくなってしまった。
「私とあなたが永遠の友達よ。さ、これからも取材に協力して」
「いつから友達になったんでしょう……」
「最初からよ!」
私は深いため息をつく。
この女性に良い印象はやっぱり持てないが、最初よりは悪く思えなくなってきた。それどころか友達になっても良いような気もしていた。




