先祖編-3
土屋先生の自宅は、墓地から近い閑静な住宅街にあった。墓が近いと嫌がる住民がいる為か、かえって静かな住宅街なのだという。
あれから私達夫婦は、偶然会えたのも何かの縁だと言う事で土屋先生の自宅に招待された。
土屋先生は父の同業者で我が家とも親しい人物だった。父が亡くなり疎遠になって居たが、夏実さんの一件はきっかけで、連絡を取り合うようになった。隆さんの作品にも理解があり、時々指導までしてくれていたようだった。文壇でも顔がきく人物で、今隆さんが作っている文芸雑誌にも多大なり支援をして貰っていた。
私は隆さんの仕事には口を出さないと決めているのdr詳細は知らないが、夏頃に一回だけ土屋先生が我が家に遊びに来てくれた事もあった。今日は、それ以来初めて土屋先生とあった。
土屋先生の自宅は広い日本家屋で庭も趣きがある。鯉が泳ぐ大きな池もあり、私は思わず緊張してしまったが、小さめな客間の通されると少しホッとした。
土屋先生は一人暮らしのようで、お手伝いの女性がお茶やお菓子を客間のテーブルに持ってきた。テーブルと椅子という洋風の部屋だったが、私と違って隆さんは全く緊張せず、堂々と土屋先生と話していた。
多くは仕事の話で全くついていけなかったが、熱っぽく文学について語る隆さんは、我が夫ながらとてもカッコよく思えてしまった。
「ところで、志乃ちゃんは妊娠中なんだってね」
話がつきたころ、土屋先生が私に話題をふった。土屋先生は掛けている丸くて大きなメガネがズレているので、直していた。
土屋先生の中では、私はまだ幼い子供のようで、「志乃ちゃん」と呼んでいる。今となっては「奥さん」「奥様」と呼ばれた方が慣れているので、ちょっと不思議な気分だった。
「ええ。もうすぐ6ヶ月ぐらいになりますよ」
私は穏やかに笑いながら頷いた。
「あの小さかった志乃ちゃんがお母さんだとは信じられん。今でも飴玉をあげたくなるね」
「そんな」
子供扱いされた事に顔が真っ赤になってしまうが、そんな私を見て隆さんは大笑いしていた。そういえば隆さんは、私の子供時代は知らないのだ。
子供時代を想像するとちょっと笑ってしまう気分になるのは、わかる気がした。私も牧師さんから隆さんの子供時代の話を聞くとちょっと笑ってしまう。意外と元気な子供だったらしい。近所のいじめっ子も、めげずに喧嘩していたようだ。小さな子供がいじめられていて、しょっちゅう庇っていたという話を聞くと、大人になっても本質はあまり変わって居ないのかも知れないと思えた。
「ところで、鶏のジロウはどうなった?」
土屋先生が、突然思い出したように聞いてきた。鶏のジロウは、かつて家で飼っていたものだ。文鳥のハナコを亡くして泣いて居た私に父がお祭りでヒヨコを買ってきた。ヒヨコは最初はかわいかったが、あっという間成長し、家では毎日大騒ぎだった。残念ながら、あまり身体は強くなかったようでお腹の病気で亡くなってしまったが。
「そうか。ジロウも死んだか」
土屋先生はぽそりと小さく呟く。
「土屋先生、なんかちょっと悲しそうですね」
隆さんは、お茶を飲みつつ指摘していた。
「うん。佐竹先生、志乃ちゃんのお父さんはさ。志乃ちゃんに喜んで欲しくて、ヒヨコの事も色々僕に聞いてきたからね。大きくなったら、卵産むのかとか」
「そうだったんですか……」
初耳だった。ある日突然、ヒヨコが我が家になってきたとばかり思っていた。こんな風に人に聞いて調べていたとは、全く知らない事実だった。
「志乃、お前はけっこう親に愛されて居たと思うぞ。うちの親父が忙しくてそんな事は、子供にした事なかった」
「う、うん……」
隆さんの言葉の私は下を向いてしまった。また少し泣きそうだった。両親が亡くなり、親戚の家でいじめられていた私は、世界で一番不幸のように思っていた。悲劇の主人公になりきり、」両親や環境、それに神様も責めていた。
でも、それは間違って居た事がはっきり分かった。やっぱり自分は罪深くてどうしようもない人間だと自覚する。なのに、同時に愛とか幸せとか、とても良いものを受けて居た事を自覚する。これが悔い改めてというものだ。背けていた現実を直視して神様から色んなものを受け取っていたと自覚する事。一見とても辛い事ではあるが、同時に神様の愛も自覚できる。これからどうやって生きていけば良いのかもわかった。
「そうだよ。志乃ちゃんは、とてもご両親に愛されていましたよ。奥さんも、『この子には絶対いい男の嫁がせる』ってよく言ってたんですから」
「え?母がそんな事言っていたんですか? 初耳ですよ……」
その事も知らなかった。
やっぱり自分は知らない事ばかりのようだった。
「でも、母の願い通りになったわね。ねえ、あなた?」
私は隣に座っている隆さんを見上げて言う。
すると、隆さんは珍しく顔を真っ赤にさせて戸惑っていた。いつもだったら、隆さんが甘い言葉を吐いて私を戸惑わせるので、ちょっと面白い気分になってしまった。土屋先生も大笑いしていて、目に涙まで浮かべている。確かにいつも真面目そうな男性が、戸惑っている姿を見ては少し面白い。
今日は特に外出用のスーツ姿で、いつもより見かけも良い事も相まって、私も笑ってしまった。
「母は妾の娘だったんです。そのせいでいじめられたり、経済的にも苦労があったみたいで。やっぱり、結婚は一人だけの相手とするのが幸せですね」
私はしみじみと呟いてしまった。結婚してみて、神様がなぜ「結婚」というものを創ったのかわかる。結婚相手と同じように唯一無二の相手として人間も神様を愛しなさいと言っていると思う。
そう思うと、聖書は神様と人間の「結婚」の書物とも言える。なぜ「キリストの花嫁」という言葉もあるのか、結婚前より深くわかる気がした。聖書では姦淫と偶像崇拝を同列にみなしている理由もわかる。結婚相手すら一人も愛せない人は、神様を愛するのは不可能だろう。クリスチャンで妾のいる人は、私は見た事がない。
「そうですか。そう思うと私も結婚そてもよかった気もするな。まあ、そう言った話は今まであまり縁がなくて」
「意外ですね、土屋先生」
話題が変わった事で隆さんは、ちょっとホッとして見せていた。
「まあ、聖書では男性は我慢出来なくなったら結婚しなさいとありますし、独身の使命が与えられている人もいます」
「隆さんの言う通りです。聖書は実はあんまり結婚するべきだとは書いてなくて、神様を愛するように言っています」
私達夫婦は、若干押し気味に聖書について話すと、土屋先生は再び大笑いしていた。この二人は、本当に似たもの同士だな、と。




