偶像崇拝編-1
岡本春美は、隆さんの従兄弟にあたる人物だった。
歳は、私と同じぐらいだった。洋装好みなのか、髪を短く切り、薄いピンク色のワンピースがコスモスの花みたいでよく似合っている。どう見ても美人だ。
華族に嫁いでいたが、夫を早くの亡くした未亡人だった。子供もいないので、自由気ままに暮らしているらしい。
こんな風に時々やって来ては、姑の愚痴や生活に不満を語って帰っていく事が多い。正直、生産性の無い愚痴に疲れてしまう。私には姑も小姑もいないわけだが、春美さんと接していると夫の身内に接する奥様方の苦労がよくわかった。
「今日は、客間じゃないの?」
家に上がると春美さんは、客間に案内されないことに不満を述べた。事情を説明するが、半ば無理矢理客間の入って塚田を驚かせていた。
塚田も私も困ってしまったが、なぜか春美は客間が良いと主張し、結局三人でお茶でも飲むことになった。私としてはちょっと苦手な春美さんと二人きりでいりより良いと思った。意外にも塚田は、春美のやさしく話しかけていたりした。行き詰まっている時に良い気分転換になったのかも知れない。
塚田の原稿用紙を片付け、お茶やお菓子を出す。さっき子供達と一緒の和菓子屋に行った時、多目に豆大福を買って置いて助かった。もっとも後で隆さんと一緒に食べる予定で買ったものなので、少し微妙な気持ちにはなってしまったが。
「そうだ、志乃さんにお祝いがあるのよ」
春美さんは、紙袋から箱に入った鯛の切り身を見せた。
「おぉ、鯛じゃん! 美味しそう」
塚田は嬉しそうな声を上げる。
「めでたいって事ね。いい縁起物でしょう」
「え、ええ。ありがとう…」
私は一応礼を言いつつ、鯛を台所の冷蔵庫に入れていく。誰もいない台所で、少し微妙な気持ちだ。春美さんの好意はありがたいが、縁起物として食べ物を食べる事は、あまり良い気分はしない。
この鯛については、後で隆さんから指示を仰ぐのが良さそうだ。春美は隆さんの親戚であるが、キリスト教には全く興味の無い女性だった。結婚式には来てくれて「耶蘇教の結婚式は素敵!」と大興奮していたが、偶像崇拝が禁止などと聞くと、「堅苦しい!」と嫌がっていた。牧師さんによると春美さんへの伝導がことごとく失敗いるそうだ。その気持ちは何となくわかる気がする。
台所から客間に戻ると、意外な事に春美さんと塚田が話をして盛り上がっていた。流行歌やあんぱんやコロッケという平和な話題で、珍しく春美の口から愚痴が溢れていなかった。ただ、それだけの事でちょっとホッとしてしまう。塚田が金持ちの女性のヒモをやっていたのは、事実かも知れないと思う。
「へぇ、春美さんって華族の家の人なんだ」
「そうなのよ。毎日退屈で嫌になっちゃうわ」
塚田は、春美さんが金持ちの家の未亡人と聞くと、妙に慣れ慣れしくしはじめた。客間に妙な雰囲気が漂い、私は話題を変えた。一応隣に座る塚田に小声で「春美さんの色仕掛けみたいな事はしないでください」と釘を刺す。塚田のこの雰囲気だとやりかねない感じだった。実際、釘を刺すと叱られた子供のような表情を見せた。
「しかし、志乃さんは隆兄ちゃんのどこが良かったの?どう見ても二枚目では無いわね」
春美さんは豆大福を食べ終えると、私に尋ねてきた。この質問はよくされる。みんな不思議がるが、どう見ても隆さんは美男子だと思う。素直にそう言うと、春美さんも塚田も驚いて大笑いしていた。
「まあ、長生きしてくれる夫が一番よ。私の主人みたいに死んじゃったら、元も子もない」
笑っていい話題なのか微妙だったが、塚田は大笑いしていた。
「私の死んだ夫は、病気だったんだけどね。死ぬ直前の神社行ったら、医者の予想よりはちょっと長く生きたわよ。そうだ、志乃さんにも安産の御守り買ってきたのよ」
「え?」
春美さんは、カバンから安産のお守りと木でできた馬の小物を取り出して見せた。馬の小物は、生殖器が強調されていて見ているだけで、ちょっと嫌な気持ちになるが、塚田は手を叩いて大笑いしていた。何が面白いのかさっぱりわからないが、春美さんも下品極まりない言葉を使いながら、笑っていた。
「あ、あの気持ちは嬉しいし、ありがとう。でも私達夫婦は、クリスチャンだから、こういった御守りは受け取れないの」
「えー?頭硬くない? さすが、隆兄ちゃんのお嫁さんねぇ」
春美さんは明らかのムッとしていた。この場の空気が、凍りつく。
「まあ、いいじゃないの。俺が代わりに貰っておくよ」
「塚田さんっていい人ねぇ」
春美さんは、こんな事をいう塚田をキラキラとした目で見ていた。何か嫌な予感がするが、塚田と春美さんはだけでお菓子やパンや舞台女優の話で盛り上がっていた。すっかり話題についていけず、客間のテーブルの上にある安産の御守りや馬の小物を見る。
見れば見るほど、ご利益宗教の偶像崇拝だと思った。ここに神様が居るようには待った感じない。それどころかちょっと気分も悪くなってくる。ああいった御守りは、悪霊を呼ぶ依代にもなりらしく、霊障が起きる事もあると隆さんから聞いた事がある。
私はすっかり話題に置いてきぼりになった事をいい事に心の中で祈っていた。本当は声の出したかったが、二人が目の前のいるので難しかった。祈っていると気分の割さもだんだん消えていった。
「ところで塚田さんって本当に作家なの?」
舞台女優の話題が尽きると、春美さんはこんな話題を出した。
「そうだよ。でも僕の作品は、文壇の頭硬いオッチャンに好かれないんだよなー。困ったよ」
塚田は、わざとらしく頭を抱えた素振りを見せた。
「だったら私と一緒に榊原珠子先生に相談してみない?」
春美さんは子供のようにはしゃいだ声を上げる。榊原珠子という名前はどこかで聞いた事があった。確か、この町にいる霊媒師である事を思い出す。
「願いが叶うの?」
塚田は春美さんの提案に目を輝かせていた。
「そうよ。病気やお金、成功。何でも叶えてくれるんすって!」
「なんだって!? それは素晴らしいじゃないか。春美さん、その霊媒師のところに連れて行ってくれよ」
「ちょっと、霊媒師なんて危険よ。悪霊を使ってそんな事やってるのよ」
私はついつい口を挟むが、二人とも全く聞いてくれなかった。
「奥さんはうるさい!」
「そうよ。全くクリスチャンだなんて堅苦しくて嫌になっちゃうわ」
それどころか二人に大きな声で文句までつけられてしまい、思わず身を縮めてしまう。恐怖でこれ以上、何も言えなくなってしまった。
「よし! 春美さん、今から霊媒に行こう!」
「ええ、いきましょう!」
「ちょっと、待って。危険よ」
一応そう言ったが、二人ともまった聞いてくれなかった。
「奥さん、うるさい!」
ツバが飛んでくるほど、再び塚田に怒鳴られた。私が固まっていると、二人は満面の笑みで出かけてしまった。
「どうしよう……」
霊媒師のところに行く事は、決して良い事では無い。客間に一人残された私は、どうすれば良いのか全くわからなくなってしまった。




