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混乱する僕を他所に、彼女はまるで別の話を始めた。
結婚したらこことは違う世界に行きたいな。なんてことを彼女は急な笑顔を見せて言う。
それが無理なら別の国でもいいけれどね。とにかくもうこの世界は飽きたのよ。
彼女の表情がまた変わる。何故だろうか? 彼女を観察しているときだけは混乱が消えていく。
その後も彼女の話は続いた。というか今でも続いている。それでね、なんて言葉が聞こえてくる。
やっと着いたわよ。
彼女の言葉を遮りながらそう言ったのは彼の恋人だった。
彼女は一般市民の街を知らない。彼の恋人は地下空間だけではあるけれど、この街を把握している。
彼女はその住所だけは警察官から聞いていた。あなたはいつかここへ行くべきだと紙切れを渡され、そこでまた会えるといいねと言われたそうだ。
僕はまた、嫉妬する。
地下空間から地上に上がる手段はいくつかある。軍人は狭い道を下っていくけれど、彼女はそんなことをしない。ここに来るときと同じで、エレベーターを使うだけだ。
彼の恋人が立ち止まった場所で、彼女が壁に埋め込まれているパネルに手をかざす。その後は開いたドアの中に入って移動するだけだ。
眠りの世界のエレベーターと違って、行き先を決めるボタンがない。僕は疑問に思っていた。病院では行き先の番号をパネルに書いていたような気がしたけれど、彼女は地下へ降りるときもなにもしなかった。直通なのかとも思っていたけれど、それは少し都合が良過ぎる。
私がこの手をかざせばそれだけでじゅうぶんなのよ。だって、私の意思が通じるんだから。特別なIDは埋め込まれてないけれど、ロボットなんだから当然のことよ。
そんな風に彼女は笑うけれど、現実は少し違うようだ。彼の恋人が捕捉する。
このエレベーターはね人工知能付きなのよ。かざされた手の平から行き先を察知するの。彼女だけじゃなくって、私にだって出来るわよ。この人工知能の凄いところは、人間でもロボットでも、動物にでも反応するところよ。生きていれば、誰だって行きたい場所に連れて行ってくれるのよ。そのエレベーターの移動範囲内ならだけれど。
ここはどこかしらね?
エレベーターの速度が弱まる。全員が初めて来る場所だ。彼の恋人は当然として、彼女だって正確な行き先は分かっていない。
取り敢えず降りましょうか?
彼女がそう言ったのと同時にドアが開いた。