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隣の彼は、絵も描かないし文章が苦手だ。僕との共通点は、足が速いっていうことくらいだ。恋人の趣味が似ているっていう点も否定はしないけれど、そもそもこの世界で出会える恋人は誰もが似たり寄ったりだ。まぁ、その中でも彼の恋人は少し変わっているけれどね。
彼は音楽が好きだという。隣の部屋では毎日音楽を聞いていたそうだ。自ら歌ったり楽器を作って演奏したり、自作曲も数多い。
僕も音楽は大好きだけれど、僕とは違う感性の音楽は刺激的だった。
僕にとっての音楽は、自然そのものだった。空気の流れ、雨風の音、木々の騒めき、虫達の羽音、鳥の囀り、僕達の足音。世界は存在しているだけで音楽なんだ。
そもそも命は音楽だ。鼓動が鳴る。呼吸をする。風に揺れる。僕達は生まれながらにして楽器なんだと思う。
そして、産まれる前から音楽に包まれている。顔も見たことはないけれど、母親の胎内から産まれるのが僕達だ。母親の存在がなければ、人は生まれてこない。僕はそのことを眠りの世界で学んでいた。どういうわけかこの世界では一度もそういうことを学ばない。学ぶ必要がないからではあるけれど、やっぱり必要だと思うときがある。恋人に抱かれていると、何故か強く母親の存在を感じてしまうのは、そういうことなんだって思う。当然父親も必要だけれど、本当に必要なのは父親そのものではなくて、その種が必要なだけだ。
だから僕達には恋人が与えられている。
恋人の存在理由は、そこにある。僕達の種を搾取するのが最大の目的だ。僕達の心の安定を保ちおかしな行動を抑止することも大事ではあるけれど、一番は種なんだ。