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教官は僕達と同じ格好をしている。驚いたよ。あまり格好いいとは言えない灰色を基調とした迷彩柄の戦闘服だったんだ。僕達はこんなにもダサい服装で戦わなければならないと思い知らされた。けれど戦闘服は丈夫な素材で出来ていて、ナイフで切り裂くのも難しい。雨は弾くし汚れも弾く。表側にはポケットが少なくスッキリして見える。上着の胸に一つとズボンの右横に一つだけだ。その代わりなのか、裏側には数多くのポケットが存在している。書き出すのも面倒なほどだ。胸の内ポケットは大小五つは確認出来る。袖の裏にも合計で六つある。背中にも幾つかあるけれど、今のところは用途が分からない。両袖には全部で八箇所あり、お腹の辺りには大きめが一つと両手サイズが二つある。裾と襟の裏には幾つもある。ズボンについても同じだ。あらゆる場所に大小様々のポケットが確認出来る限りで二十はあった。
使い道は意外とある。銃弾や爆弾などを隠し持つには便利だし、食料の確保にも利用する。完全防水のため、液体も保存出来る。僕は紙とペンをあちこちに忍ばせている。僕は書くことが好きなんだ。文字だけではなく、絵を描くことも多い。書き記した紙は、その場に置いていくようにしている。記録のために書いているわけじゃない。単純にそのときの感情をそこに置いてきているだけだ。
僕が紙を置くようになったのはそれほど前じゃない。文字や絵自体は訓練中から描いていたけれど、置いて行くようになったのにはちゃんとしたきっかけがある。
それ以前からも書く習慣はあった。けれど置き去りにする発想はなく、全て家に持ち帰っていたんだ。
二十歳の誕生日に、彼女に出会った。彼女は街の外れにある飲み屋を経営している。居酒屋は、生身の女性と出会える数少ない場所だ。しかも普通では彼女のように若い女性はあり得ないそうだ。なにか危険な香りがすると言って近づかない軍人も多くいるそうだとは、後になって知ったよ。まぁ、だからなんだよと、僕は笑い飛ばしている。
僕達は基本自由で、建物の外を彷徨い歩くことも禁止はされていない。けれど、十五歳になるまではその気になったことなんて一度もなかった。それは僕だけじゃないようだ。中には一人や二人はいたのかも知れないけれど、そんな噂すら聞いたことはない。きっと、そんな連中は抹殺されているんだと思う。現実世界からも、僕達の記憶からも。よくあることだ。
恋人が出来れば外に出たくなる。当然の感情だ。恋人達もずっと部屋でじっとなんて退屈になる。自然と外で遊ぶようになるけれど、行動範囲はまだまだ限定的だった。この建物を中心として訓練場までの距離を半径とした範囲から出ることは決してなかった。けれど、半径三百メートルは意外と広い。いまだに行ったことのないお店も多いくらいだ。
僕達が行くのは洋服屋に本屋に喫茶店、飲み屋に通うようになったのは十八歳の誕生日が過ぎてからだった。法律があるわけじゃないけれど、興味を持つ年頃だからというのとは別に、身体がそう反応をするんだ。それまでは興味のなかったアルコールの匂いに惹かれるようになる。何故だろうかなんて考える余裕もなく店に立ち寄って一杯を戴いたが最後だ。僕はそに日から毎晩アルコールを浴びている。
一人で飲み屋に行くのは彼女のお店が初めてだった。半径三百メートルから遠く離れている戦場近くの飲み屋には、まともな客なんて来やしない。そこに飲み屋があることすら気が付いていない軍人は多い。戦闘に疲れた軍人が無意識のうちに立ち寄ることが多いんだ。極限状態からまだ覚めていない軍人達は、ときに常識を逸した行動をとってしまう。僕がそうならずに済んだのは、彼女がいたからではない。絵や文章を描き続けていると、戦場でも不思議と理性が保てるんだよ。まぁ、彼女の店に立ち寄って時点で常識を逸していたとは言えるけれどね。
その日の彼女の店には先客が大勢いた。そりゃあそうだ。誕生日には美味しいアルコールを飲みたくなる。家で飲むのも悪くはないけれど、外で飲む方が楽しい。自然と身体が反応した結果だよ。
誕生日には恋人と過ごしたい。そう思う軍人は意外と少ない。理由は簡単だ。誕生日にも戦争は止まらないからだ。特に激しい戦いの後には一人になりたいものなんだよ。
僕はカウンター席のど真ん中の席に腰を降ろした。好きなアルコールはまだ決まっていなかった。なんとなくそこにあるものを飲んでいる程度だったんだ。その日までは。
出されたアルコールは、ウィスキーだった。ピートの効いたシングルモルト。常温の水と一対一の割合で混ぜて飲む。
こんなに美味しくて刺激のあるアルコールは初めてだよ。誰にともなく僕はそう言い、ポケットからお金を取り出してテーブルに置いた。そのつもりだった。
あら、上手な絵を描くのね。
カウンターにいる彼女のことが僕の目には映っていなかった。僕は基本、見たいものしか目に映さない。飲み屋では、アルコール以外は見たくない。当然その日まではだけれど。
どこの世界も同じなんだ。飲み屋に来る客は酔っている。飲み屋の店員はお金が好き。
僕はアルコールには酔わない。気分が良くなることはある。疲れが吹き飛ぶこともある。つまりは自分自身には酔わないってことだ。
店員から話しかけてくることはよくある。この街では、僕達はお金持ちだ。多くのお金を持っているわけじゃないけれど、生活にお金がかからない。余計なお金を多く持っているってわけだ。
軍人になってからは、毎日給料をもらっている。一日じゃあ到底使いきれない額だ。貯金をするのも悪くはないけれど、どうせ軍人は若くに死んでしまう。僕はアルコールと洋服と本屋に画材に使っている。余れば貯金をするけれど、銀行には預けない。家のテーブルに置きっ放しだ。そこが一番安全なんだよ。銀行には入れると取り出すのに許可と手数料が必要となる。引き出しにしまえば大抵はいつの間にか消えている。常に見える位置に置いておくのが結果として最善だった。
これが今日のお代ってわけかしら?
彼女のその言葉を聞いてようやく自分が少し前に書いた紙切れを出していたことに気がついた。
ごめんなさい。間違えただけだよ。
僕は慌ててお金を取り出した。
あら、お金なんかよりこっちの方が価値があるわよ。
彼女はそう言って僕が出したお金を突き返した。
他にもあるなら見てみたいわ。
僕はポケットにあるだけの紙切れを取り出した。そして全てあげるよ言い残し、店を出ようとした。
ガシャンッ! バッタンッ!
飲み屋での騒ぎには慣れていた。
痛っ・・・・
なにかの欠片が飛んできた。僕は紙一重で交わした。まさかその欠片が壁に当たって跳ね返るとはイメージが出来なかった。ましてやその後に彼女の頬を傷つけるなんて。
僕はすぐに彼女の頬に手を当てて血を拭った。そして騒ぎを起こした連中を処分した。二十歳まで生き延びていたんだ。僕はそこそこ腕が立つ。
翌日から僕はその店の常連になった。騒ぎを鎮めるボディーガード役も兼任していた。勝手にそのつもりでいたっていうのが真実だけれどね。