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 たった一人だけ、僕を名前で呼んでくれる恋人がいた。いいや、いたという言い方はちょっとズレている。いるという言い方も間違っている。これからなるっていうのが正しいけれど、気持ちの上では随分と前から恋人になっている。それは間違いなくお互い様の感情だ。

 けれど、恋人いう名詞を使うのはなにかが間違っていると感じてもいる。眠りの世界での恋人と現実の恋人はがまるで違う存在だからだ。僕を名前で呼んでくれているたった一人の存在は、眠りの世界で聞いている恋人に近い。区別をつけるためにも僕は、僕の彼女と呼ぶようにしている。僕だけの彼女なんだ。

 僕には現役の恋人もいるから、彼女や眠りの世界の概念では浮気をしているってことになるらしい。残念だけれど、その概念はまだ現実世界でも僕個人にも形成されていない。これからきっと、変わっていくことだろう。彼女との出会いは、僕を随分と変えてしまった。これからも僕の人生は大きく変わっていくと思う。そのつもりで今は準備を進めている。

 三番目の恋人が言った軍人さん達っていう言葉に引っかかった。僕のことだけを言うなら分かるけれど、達って一括りにされることに違和感があった。

 この頃はまだ、僕も幼かったんだ。軍人であることを誇らしく感じていたし、自分は特別だとも信じていた。他の軍人達にとは違うってね。

 戦場では死なないことが特別なんだ。お偉いさん方は別のようだけれど、軍人は若く死ぬのが当たり前だ。最初に集まった千五百人で今でも生き残っているのは三十人程度だ。毎週のように新人は現れる。僕達もそろそろだっていう自覚はある。

 僕はすでに二十五度目の誕生日を迎えている。この歳まで生きている軍人は少ない。それがこの建物には三十人もいる。珍しいことだと言われているけれど、それだけだ。どうせいつかは死んでいくと、周りも本人も確信している。

 僕以外はだけれどね。

 達って呼ばれることへの違和感は今でも消えてはいない。けれど所詮は僕も同じなんだと気がついたのは、そのときだった。三番目の恋人だったけれど、過去の二人をよく以前の恋人達はああだったこうだったどうだったと話していたことを思い出したんだ。僕も恋人を達って言葉に一括りにしていたんだと思い知った。

 恋人達の顔はみんな違うけれど、どれも同じように感じることがある。それは僕と関係を持った恋人のことだけを言っているわけじゃない。他の軍人達の恋人には何度も会っているけれど、やっぱりどこかに同じ匂いを感じてしまう。

 恋人達が僕達をそういうふうに一括りにしていても、文句は言えない。僕と同じ思考ってだけだ。けれどやっぱり、いい気分はしないし、それがどういう意味なのかを知りたくなった。

 あなただって私が初めての恋人じゃないでしょ? 私だって同じことよ。あなたが初めての軍人さんじゃないってことよ。

 そんなことは分かっているし、嫉妬したことは一度もない。恋人なんて、洋服と同じだ。飽きれば捨てるし、流行りにも影響される。古くなれば捨てることもある。最低な思考だけれど、それが現実なんだから仕方がない。だから僕は、彼女を区別しているんだ。彼女に飽きることはないし、捨てるなんてこともない。

 僕が聞きたいのは、死んだように眠るのが僕だけじゃないのは何故なのかってことだ。そのときの恋人が言うように死んだときの練習なはずはない。まさか僕達は死ぬために生きてきたわけじゃあるまいし。とは思いつつ、人間は必ずいつか死ぬんだとも思ってしまう。

 僕達は基本的、眠っているときにも周りの気配を感じている。まるで猫だよねって言われたこともある。

 戦場には猫がいない。だから僕は猫を見たことがない。本の中でしか、この世界では見ていない。けれど、眠りの世界では何度も見ているし、遊んでもいる。猫はとにかく可愛い。

 僕ってそんなに可愛いかな?

 僕がそう言うと、そのときの恋人は笑う。そして少しの間を置いてこう続けた。

 猫ってね、熟睡しないのよ。眠っていても周りに気を配っているんだから。なにか少しでも物音がすれば目を覚ますの。少なくとも耳は動くのよね。だから私はあなたの寝顔を見たことがない。そこは猫とは違うわね。それでも猫はやっぱり眠るから、あなたは猫より臆病ってことかしら?

 確かにその通りだと思ったよ。僕達は臆病だ。だからこそ戦場で生きていけるんだ。

 死を恐れていない者は、必ずすぐに死ぬ。

 最後に生き残るのはいつだって臆病者と決まっている。

 だから僕達軍人の寝顔を見ることは基本出来ない筈なんだ。僕はそれまでに誰にも見られたことはなかった。それは僕だけじゃない。僕達軍人は、そういった訓練をしている。少なくとも十二歳になってからは、寝顔を見られるっていうことは、死顔を見られているのと同義語だった。

 三番目の恋人は、僕の寝顔を見た。しかも、僕以外の軍人の寝顔も見ている。その意味が分からない。恋人は暗殺者なのか? 僕はもうすぐ死ぬ。これまでにも恋人は幾人かの軍人を殺してきたのかもとの妄想をした。

 私はそんなんじゃないわよ。確かに恋人を装った暗殺者もいるけれどね。

 戦場にも暗殺者は現れる。もっとも、狙われるのはお偉いさん方かもしくは余程優秀な軍人くらいで、僕は当然そのどちらにも該当しない。少なとも当時の僕はそうだった。

 寝顔を見られたからっていう理由とは関係がなく、僕はその日に三番目の恋人と別れることになった。

 正直、少し後悔をした。僕達が気配に気が付かないなんて、その恋人は間違いなく普通じゃない。手放すには持ったなかった。関係を続けていれば、僕の人生はもっと早くに面白いことになっていたかも知れない。

 隣の部屋の新しい恋人が、その彼女だったんだ。彼はまだ生きている。そして、いまだに隣の部屋で暮らしている。

 けれど二人は、戦場のあるこの街から一度は消えたって噂が流れた。消されたんじゃなく、自らの意思で消えていったそうだ。戦場のない別の街で暮らしていたとの言葉には驚きしかなかった。そんな街があるのか? そもそも僕達には戦場のない世界があるだなんて想像が出来ない。したこともなかった。それは眠りの世界でも変わらない。二人の友達は軍人ではないけれど、眠りの世界でも戦争は続いていた。軍人になる人間も多く存在している。

 確かにその頃、彼の姿を見かけなくなった時期があった。同じ軍人でお隣同士とはいえ、それ程深い付き合いはしていない。顔を合わせなくなっても寂しくはないし、不思議にも思わない。ただ、死んだっていう噂はよく聞くけれど、消えたっていう噂を聞いたのは初めてだったから印象には残っている。噂を聞いた一ヶ月後に姿を見たときは驚いたけれど、個人的には嬉しかった。別れたとはいえ元恋人だ。生きていてくれてありがとうとさえ思ってしまった。


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