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食後のリラックスタイムは、意外と退屈だ。することがない。運動はもう十分だし、勉強をする気分でもない。暇なときにになにをすればいいのかの文化がこの部屋にはない。
そんなとき僕は、眠りの世界を思い出す。あそこはまさに暇潰しの世界だと感じる。そのときは夢中で、暇を潰している意識は感じていなかったけれど。
テレビという名前の箱は、不思議に満ちていた。箱の中に浮かぶ景色。動く絵を見ているようだった。窓枠の外の世界とも似ている。初めはその箱の中に小さな世界が存在していると本気で思っていた。
眠りの世界での友達は、じっとその箱を眺めていた。そして笑ったり喜んだり泣いたり怒ったりする。ボタンを捻ると音量が変わる。別の大きめのボタンをカチカチ捻ると、景色が変わる。そこに見えていた人物も消えてしまう。別の人物が突然現れることもある。
テレビの不思議は、その説明を聞いても理解が難しい。電波を使って遠く離れた場所から映像を送る。映像は写真の連続で、写真は一瞬の切り取りだと言われてもピンとこない。連続する絵を流すことをアニメーションと呼んでいた。少しずつ変化する絵を描いていると言われたけれど、絵が動くって、驚いたよ。正直言って意味が分からない。
ノートの端っこに絵を描く。ページを捲って同じ場所に殆どそっくりの絵をまた描く。ほんの少しずらして描く理由に後で驚いた。おおよそ三百ページもあるノートの端っこに絵を描き終えると、眠りの世界の友達はノートを閉じる。端っこに書かれた絵の部分だけが見えるように閉じて開いてを繰り返す。パラパラと音を立ててリズよく捲っていく。なかなかに技術がいるようで難しそうだ。友達は何度も繰り返してようやく納得したように笑顔を見せた。そして僕にその絵が見えるように差し出してページを捲る。これがアニメーションだよ。そう言われて少しその意味を理解したけれど、それよりもそこに浮かんだ物語に感動をした。初めに登場したのはお腹の大きな女の人で、そのお腹の中の赤ん坊が生まれて成長して恋人と出会って結婚をして妊娠するまでの物語。僕は無意識に涙を流しながらこの世界に引き戻されてしまった。現実世界に戻ると、その感動の大きさがよく分かる。現物がないのに、僕の頭の中ではその物語が何度を繰り返されていたんだ。今でもそのときの感動が甦り、物語が繰り返されることがある。