第9話 「剣と魔法の世界」
気が付くと草原の中に立っていた。
青い空に澄んだ空気。
草原を渡って来る風が心地良い。
自分の格好を見ると、腰に立派な剣が挿してあり、ちょっとした防具の様な物を纏っている。
布で出来たリュックを背負い、肩に妖精が乗っている。
まるで冒険者のいで立ちだ。
これだ! 剣と魔法の世界に冒険者として転生する。
やはり異世界転生はこうじゃないと。
「リディア無事かい?」
「ええ、問題ないわ。知らないけど」
「ここはその……剣と魔法の世界的な感じなの?」
「そうね。あなたが言っているのが、マナを使った魔法や剣を使って戦う様な世界を指しているのなら、その通りよ。知らないけど」
「これだ! これだよ。こんな世界に来てみたかったんだ!」
「それは良かったわね。でも、ひとつだけ言っておくけれど、マナを使った攻撃を受けた場合は、完全には守り切れないから、行動には十分注意してね。死んでも知らないわよ。うふふ」
安全な状態でこの世界を楽しめると思っていた矢先に衝撃の事実を知らされたが、この世界へのワクワク感は止まらなかった。
でも、気になる事がひとつあった。
マスタープログラムが望んでいた様な動物は近くには見当たらない。
黒くしなやかで強靭な肢体を持った動物は居なかった。
残念ながら、マスタープログラムの祈りは通じなかったようだ……。
しかし、先程から自分の足に掴まっている動物がいる。
黒くてずんぐりとした動物が、不安そうに立ち上がって、何故かズボンの膝あたりに掴まっていた。
リディアも気が付いた様で、肩から降りてその生物を覗き込んでいる。
「……リディア、もしかしてこれってあれかなぁ」
思わず小声でリディアに話しかけた。
「うーん。どうかしらね。聞いてみたら。知らないけど」
「分かった。あのさ、もしかして君はマスタープログラムかい?」
黒い動物がハッとしたかの様にこちらを見上げ、黄色い丸い目が俺を見つめていた。
「にゃーにゃーよー」
何かが鳴いた気がする。
「君はマスタープログラムの転生した姿なの?」
「そうにゃーにゃーよー!」
その可愛らしい動物が話し始めた。
「そうにゃーにゃーよ! 自分にゃーにゃーよ!」
黒いもふもふの太った黒猫が2本足で立ち上がり、こちらに話しかけている。
「お、お前がマスタープログラム! うひゃひゃひゃ!」
余りの可笑しさに笑い転げてしまった。
リディアも笑いが止まらないようで、お腹を押さえて苦しそうにしている。
「酷いにゃーにゃーよー。そんなに笑うなんて、酷いにゃーにゃーよ!」
「ごめんごめん。だって黒豹になりたがっていた人類の英知が詰まったプログラムが、まん丸のモフモフの黒猫って……。うぷー」
少しいじけている黒猫に悪いとは思ったが、笑いを止める事が出来なかった。
「でも、無事に転生できたから良かったじゃないか」
笑いを噛み殺しながらそう伝えると、やっとその事実に気が付いた様子で、嬉しそうに周りを駆け始めた。
「嬉しいにゃーにゃーよ! 嬉しいにゃーにゃーよ!」
格好の良い黒豹では無かったが、二足歩行のずんぐりむっくりでモフモフの黒猫。
短い足で駆け回る姿が可愛らしくて抱え上げた。
「おっ! お前オスか? 大きなモフモフのニャン玉が付いてるぞ!」
「そうなのきゃ? オスにゃーにゃーか?」
体をかがめながら触って確認している様だ。
「あれ? 何にも入って無いにゃーにゃーよ?」
「ええ? 入って無いって、どうなっているの?」
ゴソゴソと触って確かめている様だ。
「えーとにゃ、空っぽで……」
「空っぽで?」
「……ポケットになってるにゃーにゃーよ」
「うくっ!」
また笑いがぶり返し、黒猫を取り落として笑い転げてしまった。
「ポケットって、お前、そこがポケットってー!」
悪いとは思ったが、涙が出る程笑ってしまった。
「もういいにゃーにゃーよ。とりあえず転生できて良かったにゃーにゃーよ」
黒猫は拗ねて座り込んでしまった。
ちょっと申し訳なくなり、頭を撫でて謝った。
「そうだ! マスタープログラムって言うのも変だから名前を付けよう!」
「名前にゃーにゃーよ! 名前にゃーにゃーよ!」
まん丸の黒猫は嬉しそうに飛び上がった。短い足で跳ねる姿がこれまた可愛い。
「何が良いかなぁ」
「パンサーが良いにゃーにゃーよ!」
「うーん。何が良いかなぁ」
「パンサーにゃーにゃーよ! パンサーにゃーにゃーよ!」
飛び跳ねて主張しているが、丸々としてコミカルな姿は、とてもパンサーという感じではない。
「分かった、皆で名前を出し合おう。それが良い!」
「パンサーにゃーにゃーよ!」
片手をあげ短い足でぴょんぴょん跳ねながら、元マスタープログラムが鳴いている。
「にゃーにゃーよ」
リディアが答える。
「俺もにゃーにゃーよ。多数決で『にゃーにゃーよ』に決定!」
「ええ~、酷いにゃーにゃーよ! 酷いにゃーにゃーよ!」
黒猫は転げまわりながら不平を漏らしていたが、その姿が可愛らしくて暫く放置していた。
「その名前、可愛いから良いじゃないの。うふふふ」
リディアが黒猫の周りを楽しそうに飛んでいる。
「分かったにゃーにゃーよー」
にゃーにゃーよは、黄色い目を更に丸くして抗議していたが、自分でも思う所があったのか、やっと納得してくれた様だ。
「連れて来てくれて、ありがとうにゃーにゃーよー。これから宜しくにゃーにゃーよー」
「うふふ、宜しくねー。知らないけど」
「宜しく。マスタープログラム改め、にゃーにゃーよ」
俺の言葉を聞いて、にゃーにゃーよはきょとんとした顔をしている。
「マスタープログラムって何のことにゃ?」
「おっと切替が早いな」
「何のことにゃーにゃーよ」
「え? 君をさっきまでそう呼んでいたじゃないか」
「……おお、そうだったにゃーにゃーよ。何だか色々忘れてきたにゃーにゃーよ」
元マスタープログラムは、肉体を持ってから急激に以前の記憶を忘れて行っているようだった。
「そうか! 肉体を持ったから、チップにアクセスする様な記憶の読み込みはもう出来ないからかも知れないね」
「そうなのきゃ? まあ、どうでも良いにゃーにゃーよ。生きてるにゃーよ。生きてるにゃーにゃーよー」
にゃーにゃーよは、見つけた蝶々を嬉しそうに追いかけている。
全ての記憶を忘れてしまう事はないだろうが、賢いマスタープログラムの姿はそこには無かった。
これから、にゃーにゃーよがどんな成長をしていくのか分からないけれど、無事に楽しい旅の仲間が出来た事は嬉しかった。
リディアがじたばた駆けているにゃーにゃーよを楽しそうに追いかけている。
「ねえ、ポケットの中はどうなっているの?」
「何も入って無いにゃーにゃーよ」
にゃーにゃーよが立ち止まり、股間のポケットを引っ張って見せた。
「あら、もしかして中に入れるかも。知らないけど」
「入ってみるきゃ?」
リディアは頭からポケットにするりと入ると、中で回転したのか、顔をひょいと覗かせた。
「中もモフモフで気持ち良いわ」
「そうきゃ? 気に入ってくれたなら良かったにゃーにゃーよ」
「でも、やっぱり場所が最悪ねー。うふふ」
「にゃーにゃーよー!」
「でも、危ない時はここに隠れると良いかも。この中はマナで溢れてるわ。うふふふ」
「任せろにゃーにゃーよ。にゃーにゃーよがリディアを守るにゃーにゃーよ!」
「うふふふ」
二人の仲睦まじいやり取りを見ていると、また不意に涙がこぼれて来た。
理由は分からないが、とても懐かしく幸せな気持ちになっていた。




