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10月1日-2 見つけた

病室を思い出した。

混じりけのない空気。

冷たさが鼻につく、限りなく人工的な空気。

私は病院にいるのか?

ベッドに横たわって……。

いや、この感覚は。

重力に逆らうことなく、体を支える地面もなく。

落下している。

頭が下を向いて、足が天を指している。

浮力を失った水中とはこんな感じだろうか。


というか、私はどこにいるんだ?

なんでこんなところにいるんだ?


目を閉じていたことに気づき、ゆっくりと瞼を開く。

閉じているときとほとんど変わらない暗闇に、ちらちらと星のような光が見える。

宇宙。

有重力の宇宙。

指が動き、手が動き、やがて腕が動く。

自分の体に触れて、服を纏っていないことに気づいた。

こんな恰好でなにやってるんだろう。

帰らなきゃ。

どこかへ。

どこへ……。



頭を持ち上げ、落下する先を見つめる。

すぐそこに、渦巻く無数の光の筋があった。

すべてが一様に、まぶしく白い。

認識した数秒後には、体はその螺旋に達した。

筋が頭を包み、肩、胸、腰を包み、やがて全身が光へ飲み込まれる。

海の中のような、魚や植物が漂うような光。

まだ覚醒しきっていない頭で眺めていると、光は単純な線ではなく、ところどころに隙間ができているようだ。

これは……文字だ。

アルファベットと数字が入り混じったような複雑な文字列。

そのうえ、文字の形自体が定まらず、とめどなく形を変えて蠢いている。


奇怪な文字列に、なぜだか一種の懐かしさを憶えた。

知っているのか、私はこの文字を。

……読める。

だが、読めない。

知っている文字だが、まるで文章を為していない。

錯乱状態。

言葉が無秩序に暴れているだけのようだ。

その中のひとつ、ある言葉を見つけ、はっと息を呑んだ。


長い落下の旅の末、地面が現れた。

体は羽のようにゆっくりと横たわった。

感覚を研ぎ澄ませれば、果てしない孤独がある。

宇宙の無音が聞こえてくるようだった。

目を穿つような強い光にも次第に慣れ、よろめきつつ立ち上がる。

固い地面だった。

土などの自然物とはほど遠い、どこまでも無機質な床。


「……カレン」


先ほど認識できた文字。

私の名前だ。

新妻カレン。

思い出した。


では、新妻カレンは何をしている?

迷子の焦慮。

帰るべき場所があり、会うべき人がいる。

その在処がわからない恐怖。

得体の知れない世界に放り投げられ、ひとりを強いられたこども。


誰に会いたいんだ。

私は誰に会いたい。

心拍の上昇を感じる。

薄い肌を内側から打つ。

私の鼓動に合わせて、謎の文字列は白い光を拍動させている。

次の瞬間、文字列は意志を持ったかのように、私の周囲を取り囲んだ。

蛇を思わせる動き。

足下からゆっくりと昇り、抵抗する力もない私の全身に巻きついていく。

文字の鎖が足、腰、手の動きを封じる。

鎖が首に達し、思わず呻いた。

息ができなくなる。

命を掴まれる戦慄。


しかし、不思議と焦りはなかった。

むしろ、羊水の中のような安堵感。

この文字列が抱くのは、異物への敵意なのかもしれない。

不安、混乱、恐怖かもしれない。

だとしても、その深奥から、心安らぐリズムが聞こえる。

聞き覚えのあるリズム。

母体の鼓動のようなものが。


文字はついに顔までをも浸食し始めた。

そのとき、何かに引き寄せられるように、視線が右へ動いた。

視界を塗りつぶす白色の中にただひとつ、青色の文字。


「……見つけた」


絞められた喉からちいさく言葉が漏れる。

縛られて不自由な右手に力を込めた。

精一杯に伸ばす人差し指は弱々しく震える。

ほんのすこし、わずかに動いた指先が、その表面に触れる。

青色の、【start-up】の文字。


瞬間、私を縛っていた文字列が一斉に放たれた。

音もなく宙を泳ぎ、私の目の前で収束を始める。

実際には起きていない風を感じるほどの迫力。

10秒にも満たない出来事だった。

光の竜巻が消えると、深い暗闇の中、私と同じ地面に立つひとりの影が浮かび上がった。

遠い上方の星明かりに照らされ、わずかに表情が見える。

しかし、光なんて必要ないほどに、私はその声を憶えていた。


「クレア」


大粒の涙を流して嗚咽する、少女の名前を呼んだ。


年始は休ませていただこうと思います。現代社会の潮流ということで。

しかし、まさかこんないいところで休むことになるとは。ごめんね。


それではみなさん、よいお年を。

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