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9月29日 は?

「首尾よく、とはいかないか」


ソファにもたれながらドウズは訊ねた。


「はい。予期しないエラーが何度も発生します。深層に潜りこむまではいいものの、さらに深くまで行こうとすると弾かれます。アンドロイド自身の意思なのか、得体の知れないものにブロックされている感触です」


コンピューターの画面を見つめながらルエは答えた。


「他のプログラムに影響はあるか」


「衝撃が加わる度、コードの順列がやや乱れます。人間の免疫系と同じく、安全なコードにまで影響が出るようです。言動に変化が起こる可能性はありますが、その他の身体機能は問題ありません」


「彼女自身の意思でブロックしているとしたら、調教過程で意識の力を高めすぎたか」


「新妻カレンの影響でしょうね」


苦虫を噛み潰すような顔でルエはいった。


「君たちの関係に干渉するつもりはないが、作業に支障をきたすようであれば、ある程度の介入はさせてもらうぞ」


「それには及びません。私ひとりで解決できることです」





今日は一日中雲が出ていた。

星が眠る夜。

立ったり座ったりをくり返し、クレアの到着を待っていた。

クレアを乗せたストレッチャーが特別実験室の扉をくぐる。

そのときを待ちわびていた私は、扉の開く音と同時に勢いよく椅子から立ち上がった。

クレアのもとに駆け寄り、静かに眠る顔を認めた。


「実験は終了した」


ストレッチャーを運んできたチームリーダーのイツキが静かに告げる。


「成功したんですか」


訊ねると、イツキはわざとらしくため息をついた。


「お前も科学者の端くれならわかるだろう。実験が最初から成功するなどあり得ない。数え切れない失敗の上に成功は生まれる。今回のような最先端の実験なら尚更だ」


イツキの言葉に私はどきりとした。

科学に携わるものとして冷静に考えれば、彼のいったことは初歩中の初歩。

あらためていわれるまでもないこと。

しかし、いまやひとりの人間に過ぎない私にとっては、数ある失敗のひとつでさえ受け入れがたい。

どれだけ軽度な失敗だろうと、彼女にとっての苦痛は私にも重くのしかかる。


「意識系統に影響が出たようだ。おそらくいままでの記憶はほとんど消え去っている。言語や運動に関する基本的なデータはかろうじて残っているようだが、まぁいままでとは別人と思った方がいいだろう。だがお前の任務は引き続き、意識コードの整理だけだ。変わりはない」


私は聞きながら、意識が呆然としていくのを感じた。

私が講じたのは、記憶を保存できるチップを彼女の中に埋め込むという、あまりにか細い策。

あまりにか弱い火。

チップに保存しただけのちっぽけなデータで、彼女を救えるとは思えない。

いまとなっては当然の結論だ。

その場しのぎの思いつきでどうにかなるほど、現実は甘くない。

作戦の可否を確かめてすらいないというのに、ほとんど負けを悟っていた。


「最後に忠告だ。くれぐれも、余計なことはするなよ」


彼は怪物のようにおおきな手で私の肩を叩き、実験室を後にした。

その挙動だけで、私を威圧するには十分だった。

ストレッチャーに横たわるクレアに顔を近づける。

もう二度と開かないのではないかというほど、瞼は重く閉じられている。


祈るような想いでうなじに手を潜りこませた。

万に一つの可能性。

希望とはそういうものだ。

確かめることすら放棄して勝利はあり得ない。

チップが埋まっているはずの位置に手が触れる。

数日前に何度も触れて確かめた感触、皮膚越しに伝わるチップの固い感触は……どこにもなかった。


全身の力が抜け、床に崩れ落ちる。

完膚なきまでの敗北。

チップの存在すら、彼らにはお見通しだったのだ。


「……くそ」


火は完全に消えた。

いや、消された。

甘かった。

彼らの用心深さをもっと警戒するべきだった。

警戒していれば予測できた。

予測できていれば防げた。

もっと有効な策を講じることができた。

しかし、思考はどこまでも仮定。

現実は敗北の一色のみ。


……奇跡。

奇跡とは、起こり得ない現象。

理に適わない事象。

本体に記憶が残っているかもしれない。

記憶が消えたと、イツキがいっていただけだ。

確かめずに受け入れるわけにはいかない。

ゼロに等しい確率に縋るほど、追い詰められていた。


震える指でコンピューターを操作する。

【start-up】の起動音。聞き慣れた音。

カプセルの中で目を覚ます少女。


どうか。

どうか……。

クレア……。



「いぇーい! パンダコパンダネコパンダ!」



「………………………………は?」



は?



「おはようございます! それでは寝起き一発豆知識!」


え?


「パンダの目のまわりの黒いのはね、あれはね、レンコンなんです! へぇー!」


「………………………………」


??????



は?



「--えー、っと」


「ふわぁ。寝起きで眠いので寝ます。おやすミリオネア」


「……クレア」


「ぐぅ」


「クレア!」


大声を出すと、彼女は驚いてこちらを振り向いた。


「私のこと、わかる?」


この質問はしたくないと思っていた。

憶えていないといわれる恐怖と向き合える自信がなかった。

しかし、そんな臆病などどうでもよくなり、ほとんど夢中で訊ねた。

私の目をじっと見つめ、長い沈黙の後、答えた。


「サンダーボルト夫人」


誰だそれは……。


なんだろう。

泣きたいはずなのに。


泣くに泣けない。



彼女の電源を落とした後、どういう感情になっていいのかわからず、ただぼんやりとして一時間が経っていた。


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