9月27日-2 逃げる
「メンバーのひとりが消えてるの、気づいてた?」
最小限に声を抑えて、レミはいった。
私がちいさく頷くと、レミは箸を置き、訥々と語った。
「私、所長に訊いたんだよ。そしたら別場所での作業だっていうの。所長、表情にも挙動にも感情が出ないからわかりづらいけど、確実に嘘をついてた」
所長に訊いたということが事実なら、相当な肝っ玉の持ち主だと思った。
上司に刃向かう程度のことは私でもするが、身の危険を感じることであれば当然ながら躊躇する。
彼女の挙動には、普通の人間にはない大胆さを感じる。
「研究所内を注意深く見渡せば、あっちにもこっちにもおかしなものばかり。『他人に干渉するな』っていうこのチームの方針は、研究所の中にある誰にも知られたくない秘密を守るためにある」
私だってそれくらいのことは考えていた。ここにいる人間であれば誰でもそうだろう。
しかし、恐ろしくて誰にも話せなかった。
彼女の明け透けな態度は勇敢さからくるものなのか、それとも考えなしなのか。
「でも、肝心なところは何もわかってないんでしょ? この不穏な空気の、正体……みたいなものは」
「うん、でもわかってることもある。ここにいたら危ないってこと。いつか自分の身にも危険が降りかかるってこと」
いかにも自信ありげな風だった。
「根拠はあるの?」
「不快にさせたらごめん。あんた、身寄りいる?」
その質問を聞いて、思わずはっとした。
「やっぱり」
私の反応を見てレミは眉をひそめた。
「私も他のメンバーも、みんないないの」
「……私もすこしだけ感づいてた。そのこと」
「じゃあほとんど確定だね。みんながそう思ってるなら」
私は額を抑えた。
「……この可能性だけは信じたくなかったな。勘違いであってほしかった」
「たとえ勘違いだったとしても、平和的に納得する理由は他に見つからない。事情はわからないけど、この研究所では、人が殺される」
私と彼女、二人の思考を通ずるひとつの答えを、レミが結論として言い放った。
沈黙が訪れた。
周りを見渡しても、普段と変わらない雰囲気。
考えてみれば、人が消えている不自然さには全員が気づいているだろうに、反応をおくびにも出さない態度は不自然そのものだ。
「でも、どうするの? その事実がわかったところで、やるべき仕事は変わらないんじゃ……」
私のその言葉を待っていたかのように、レミは厳然としていった。
「ここから逃げる」
一瞬、冗談かと思ってしまったほど大胆な布告。
「逃げる?」
「そう。文字通り、逃げる」
「この研究所から?」
「うん」
彼女の自信はどこから来るのだろう。
私がおかしいのか?
「勝算は?」
「もちろんあるよ。いまはまだ話せないけど」
顔を手で覆って、しばらく考えこんだ。
彼女を信用していいのか。
彼女が何を思っているのか。
自分が信用すべき人物は誰か。
昨晩、イシオがいっていた言葉が脳裏をよぎる。
『誰が敵で誰が味方か、見極めろって話だ』。
「イシオはあなたの仲間?」
そう訊ねると、レミは目を丸くして驚いた。
「イシオのやつ、勝手に接触しやがったな……」
ぶつぶつとつぶやいた後、こう続けた。
「仲間といっていいのかわからないけど、手は組んでる。同じ作戦に協力してるってだけ」
なんとも歯切れの悪い返し。
あまり話題にしたくないことらしい。
それなら反撃だと、次は私の方から切り出した。
「いままで半年、アンドロイドがここにいなかった準備期間の半年間、お互いほとんど話さなかったでしょ。なのに急に話を持ちかけてくるなんて、どういう意図なの?」
するとレミはあきらかに動揺しだした。
「そ、それは、ほら……前は話しかけづらかったっていうか……」
「話しかけづらかった?」
「あんた最近明るくなったから、話しかけやすくなった」
彼女の言葉に、私を取り込もうなどという打算的な響きは感じられなかった。
私が、新妻カレンが明るい。
もちろん相対的に昔より、という意味にちがいないが、その意味でさえ、いままで一度も指摘されたことのない言葉だ。
たとえ本当にそうだったとしても、自分で気づくことはなかっただろう。
きっかけがあるとすれば、やはり彼女の存在。
クレアという、この世でひとりの友達。
「心強い唯一の女性仲間ってのもあるけど、話してたらわかる。あんたいいやつだ。私の良心があんたを放っておくなっていってる」
「人のこと疑うのに?」
「うん」
「すぐ嘘つくのに?」
「そうだ」
歯に衣着せぬ物言い。
明け透けな態度。
そのうえで、こちらを信頼してくれる彼女。
だというのに。
心中に巣くう疑念の質量が一グラムとして減らないことに、我が事ながら驚いた。