9月27日-1 ピーちゃん
午前9時。
ドウズは所長室で一人、椅子に座って、ある人物を待っていた。
「PT49。記憶がなくなるのが恐いか」
カプセルの中で眠る少女--新妻カレンに『クレア』と名づけられたその少女--に語りかける。
「大丈夫だ。お前が覚えていないだけで、記憶は普段から整理され一部消去されている。お前が苦しまないよう、痛みや恐怖に関する記憶についてはすべて消している。我々の配慮だ」
少女の返答はない。
「いままでの調教で身体の免疫系もかなり発達している。身体が壊れるようなことは起きない。この実験の記憶も一切残らない、安心しろ。それより私が気になるのは、どの記憶が消えることがお前にとっての恐怖なのか、ということだ……」
それ以降は一言もしゃべらず、コンピューターの画面と見つめていた。
白、金、青の文字が躍るアンドロイドの意識空間を眺めながら、人物の到着を待った。
約束の時間を30分ほど過ぎて、四人の黒服の男が入ってくる。
そのうちの一人が前に出ると、残りはドアを塞ぐように入り口へ並んだ。
「ドウズくん。首尾はどうだ」
前に立つ黒服がそういうと、ドウズはかしこまって頭を下げた。
「会長。準備は万全です」
「だったら始めるぞ。いますぐに」
ドウズは頷いて、コンピューターを操作した。
【start-up】の起動音とともに、カプセルの中の少女が目を覚ました。
会長と呼ばれた男は、護衛の黒服からケースを受け取ると、中身を確認し始めた。
少女は、その中身を視界の端に捉えると、ちいさく悲鳴を漏らした。
「いつものことですが、少々暴れて抵抗します。どうかお気をつけて」
ドウズは会長に耳打ちし、深々と礼をした。
*
自分が食堂で昼食をとっていることに、いまこの瞬間まで気づかなかった。
意識が戻ると、食堂の椅子に座って味噌汁を飲んでいた。
ここまでの記憶がない。
クレアと別れてから一晩、そして昼食まで、時間が潰れたように失われている。
そして意識が戻ってからも、味がまったくしない。
「元気がないようだね」
そういって、向かいの席に座る人影。
レミだった。
「いつも元気があるわけじゃないけど、今日は一段とだね」
「……うん」
「実験のこと?」
肩がびくりと跳ねて、味噌汁がこぼれた。
図星かい、と彼女は笑った。
「私は連休になってラッキーって思ってるよ。まぁ、あの子のこともちょっとは心配だけど」
いつも通りの強気な声色だが、どことなく普段より優しげだった。
「一ヶ月近くお世話してりゃ、愛着もわくってもんだよね。あんたほどじゃないだろうけど。いつまでも道具みたいに扱うあいつらの方が異常だよ」
「……うん」
「気にすんなっていっても無理があるか」
レミはいいながら、がつがつと大盛りのごはんをかきこむ。
「……実験のこと、何か知ってる?」
「知るわけないじゃん。私だって下っ端だよ」
さらりと否定される。
「でもね、他に気づいたことはある」
そういうと彼女は、口元を押さえ前屈みになった。
つられて私も顔を近づけた。
「ピーちゃんがここに来たときの最初の説明覚えてる? 来年の四月には小学校に通わせるっていってた」
「ピーちゃん?」
「あの子のこと。私はピーちゃんって呼んでるの」
そういえば、あの子は所長にPT49と呼ばれていた。製造番号なのかなんなのかわからないが、レミはそこからとってあだ名をつけたようだ。
冷静に考えれば、私のように本気の名前をつける方がおかしいのかもしれない。
「覚えてるよ」
レミに合わせて小声で答えた。
恥ずかしながら、クレアがランドセルを背負って走る姿を妄想したこともある。
誰にも明かすつもりはないけど。
「まさか、信じてる?」
その言葉を聞いて、はっと息を呑んだ。
「嘘なの?」
「60%、クロ」
「……つまり、どっちともいえないと」
「どっちともいえない、よりもすこしだけ疑ってる」
じゃあ、私と同じくらいだろうか。
「根拠は?」
「あるよ」
レミはキョロキョロとあたりを見回した後、箸の先で私の方を差し、言い放った。
「この研究所から、メンバーがひとり、忽然と消えたこと」
作者の個人的な都合により、今回から一日おきの投稿となります。
ご迷惑をおかけします。
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