表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/40

9月26日 本質

エグ注意。

約束の日。

その瞬間は突然に訪れた。

「新妻カレン。時間だ」

特別実験室の扉が開き、所長がのしのしと足を踏み入れる。

まだ夜の七時だった。

思っていたよりずっと早く迎えが来た。

「もうすこしだけ待ってください。詰めの作業です」

そう答えると、所長のため息が聞こえた。

私は続けて質問した。

「所長、今回の実験はどういう目的なんですか」

「教えることはできない」

予想通りの回答。

まったく手応えがない。

私も彼も、それ以上話そうとはしなかった。


詰めの作業というのはただの名分で、実際は彼女の意識コードを眺めていただけだ。

隣に立つアンドロイドといっしょに、ざわつく胸を抑えようとしていただけだ。

画面越しに、色鮮やかな文字列に触れる。

このひとつひとつが彼女の生きてきた時間で、魂なんだ。

冷静になれるまで、感情がおさまるまで、もうすこしだけ時間がほしい。





所長室に向かう廊下。

いつもより幅が数段狭く、天井が数段低く感じた。

所長の横を歩くクレアの背中も、別人かと錯覚するほどに小さく見える。

チップの眠る首筋を後ろから見つめ、信じてもいない神に祈った。


所長室に入る瞬間、クレアはわずかにこちらを振り向いた。

隠しきれない恐怖の色が、その瞳に灯っていた。

言葉が出ない。

身体が動かない。

一歩、また一歩と離れゆく彼女の姿を、ただ呆然と見過ごすことしかできない。


ごめんね、と、唇を動かした。

そのときにはもう、彼女はむこうを向いていた。



重々しい音を立てて、扉が閉まる。





「見るべきは本質……」

抜け殻のような足取りで自室まで戻ると、扉の前にイシオが腕組みをして立っていた。

「本質?」

なぜここにいるのかはあえて訊ねない。

「そう。たとえば俺が男同士の濃厚な絡み動画を観ていたとして、俺がそういう趣味を持っていることが真実とは……」

「いや、ほんとに気にしてないから」

ほんとのほんとに興味がない。

いつの話だよ。

「冗談はさておき」

イシオはわざとらしく咳払いをした。

「誰が敵で誰が味方か、見極めろって話だ」

「敵と味方?」

「いま現在、自分が信頼している人間、信頼していない人間がいるとして、その認識を改める日が来るかもしれない」

「さっきからなんの話?」

「その日が来れば教えてやる。何日後か何ヶ月後かわかんねぇが……ちなみに俺は、お前を信用したいと思っている」

ずっと一方的なキャッチボール、というかピッチングをしたかと思うと、イシオはそのまま去って行った。





所長のドウズは椅子に腰掛け、所在なげに立つアンドロイドの顔をじろりと見据えた。

「では、明日に備えてひとまず保管するか」

「はい」

隣に控えるチームリーダーのイツキが答える。

アンドロイドはうつむいて何もしゃべらない。


「すこし、待ってください」


もうひとりの若い男はそういって、すたすたとアンドロイドに近づいた。

彼女の肩がびくりと跳ねた。


「ルエ。明日、政府の人間が来るまで、彼女に接触することは許されんぞ」

「早急に対処すべき問題があるなら別です」


イツキの制止にもまったく取り合わない。

脅える彼女の前に立ち止まると、細い腕を強く掴んだ。

アンドロイドが慌てて振り解こうとする中、ルエは突然、彼女の顔をまさぐり始めた。

「何をしているっ」

戸惑うドウズを尻目に、ルエはなおも止めようとしない。

「離してください、離して!」

少女は首をぶんぶんと振り回し、髪が激しく宙を暴れる。

ルエの表情はしかし、ぴくりとも変わらない。

機械を触るのと同じ表情、同じ所作。


ぶん、と少女の右腕が空を切った。

ルエの目がはっと見開かれる。

鈍い音がした。

男の眼窩に、少女の拳が打ち当たる音だった。

よろめいた隙に少女は身体を翻す。


しかし、腕をつかむ男の指はさらに深く食い込んだ。

呻く声がかすかに漏れる。


直後、男の手が首筋に触れた。

はっと息を呑む音。


両者は同時に、見開かれた互いの瞳孔を捉えた。


「--あいつの考えはわかりやすい」


男は怒りの滲む声とともに。

少女の薄い首筋に爪を深く食い込ませ、

『中に埋まっていたもの』を、皮膚ごと引き摺り出した。





叫喚。

喉が裂けるような悲鳴が部屋を揺るがす。

うずくまった少女の首、頬、目頭を、赤い筋が波となって汚していく。

白い無機質な床に、みるみる血の海が出来上がっていった。



ルエはゆっくりと振り返り、赤黒くぬめるチップを二人の前へ差し出した。

「これは……」

「記憶を一時的に保存する装置でしょう。今回の実験で、彼女の記憶が消えることを防止するための」

「……あの娘か」

ドウズの広い額に、太い青筋が現れた。

「思っていた以上にこいつに入れ込んでいるようだな」

「注意はしていますが、やはりそう簡単に屈しないようです」

「--しかしルエ、この世に二体といないアンドロイドをああも乱暴に扱うものではないぞ」

イツキの苦言に、ルエはおとなしく頭を下げた。

「申し訳ありません。自分に腹が立ってしまったのです。あいつに、新妻カレンに、好きなよう動かれてしまった自分に……」

「今後は十分気をつけろ。だがしかし、そうだな。あの女……場合によっては」

イツキが拳を固く握ると、持っていたボールペンが音を立てて砕けた。

おおきく息を吐き出した後、厳然としていった。

「彼女の存在も、いずれ消えることになるかもしれんな」

怒りに震える声。


その傍らで響く--。


「ウウ、ウウウゥッ!」


こらえるような少女の叫びは、長く止まなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ