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9月20日-3 私がやってみようかなって

先生と別れたころ、雨が降り出した。

安くないビニール傘を構内で買い、晴れない気持ちのままキャンパスを出た。


協力をしてもらえると答えてもらったのに、心に引っ掛かるものは取れない。

対策を打ったとはいえ、うまくいくイメージがわかないのだ。

失敗する予感、うまくいかない予感。

虫の知らせとはこのことをいうのだろうか。





駅から徒歩五分ほど、表通りからすこしはずれた細い道に、ちいさな花屋がある。

この人通りのない道でよくつぶれないなと感心するほどひっそりと佇む。

駅から大学に向かう最短のルートを進むと、必ずこの花屋の横を通り過ぎる。


あの子に、花でも買っていってあげようかな。

ちいさくて、世話が簡単なやつ。

この土地といっさい関係のないお土産だが、こういうのは気持ちの方が大事だ。

しょっちゅう前を通っていたのに、入るのは今日がはじめて。

おかしな緊張をともない、足を踏み入れる。




行きとは違う中身のレジ袋を、行きと同じ右手にぶら下げ電車に揺られる。

先生に会えば沈んだ気持ちもすこしは元通りになるかと思ったが、現実はそんなに簡単ではなかった。

希望の量が増えても、不安の質量が変わらなければ心の重たさは変わらないらしい。





花屋で買ったのは、観葉植物のポトスだった。

あそこにある植物の中で最も世話が簡単らしい。

実験室の棚にかざると、一気に空気が明るくなった。

冷たく無機質だった部屋に生気が灯った。

「ねぇ。クレア」

「なんでしょう」

「一週間後、なにか予定入ってる?」

「実験があります。三日間メンテナンスが行えないようなので、カレンとは会えません」

やっぱり知っていたか。

当然のことなのに、予想していたのに、すこし落胆してしまった。

「怖かったり、する?」

すこし言葉に詰まり、彼女は答えた。「いいえ」

そう、と私はつぶやいた。

怖くないわけがない。しかたない。

彼女だって、メンテナンスが行われない危険性を理解しているはずだ。

逆らえない無力感、虚脱感は私だけなのだろうか。

「ねぇ。小説とか、読んだことある?」

唐突な質問に彼女はすこし驚いた様子で答えた。

「ありません。学術書なら勉強の時間に読みますが」

「……私ね」

話そうとすると、顔が変に熱くなり、慌ただしくパネルを操作しながらいった。

「私、小説の翻訳してみようと思うの。ものすごくお気に入りの小説で、まだ誰も翻訳してないから、私がやってみようかなって」

「できるのですか?」

「がんばってやってみる。それでね……」

言葉に詰まっていると、クレアはいった。

「読みます。読んでくれる人がいないなら」

それを聞いて、ふっと笑みがこぼれた。

「読みたくないならいいんだよ」

「読みます」

「ありがとう」

彼女が小説とか、感情とかを理解できるのかはわからないが、それでもすこし元気が出た。

今日から書き始めよう。

すこしずつ書き進めて。

一週間後の実験まで、せめてもの楽しみにしてもらおう。





「消えた?」

その話を聞いたのはメンテナンスを終え、自室に戻るときだった。

「なにが?」

「人が」

廊下の壁にもたれ、ルエはきつく腕を組んでいる。

「トーリ、物流係の。昨日から姿がまったく見えないし連絡もとれない」

感情を抑えつけるように、声を低くしている。

「なんでそんなことに……」

「なぜだと思う」

その一言で、私の疑念は確信に変わった。

思わず額に手を当てた。

この研究所は、私の想像以上に毒牙におかされている。

「この話はお前にしかしていない。他の奴らが気づいているのかどうかは知らないが」

「……先手を打っておこうというわけ?」

「よくわかってるな。お前がこの事態にひとりで気づいたとき、何をしでかすかわからない。余計な動きをするなと忠告しにきただけだ」

「ははっ。あんたが私の心配してくれてるの」

冗談を吐いたつもりが、彼はまだ険しく眉をひそめている。

「お互いに、おとなしくしていよう。何も知らないように、知ってしまっても知らないふりをするように」

「消えた理由、わかってるのね」

私はルエの目をきっと見据えた。

眼球がふらりと揺らぐ。

震える手を握りしめ、私はいった。


「トーリは何かを知ってしまった。知ったから消された。ーー話して、彼が何を知ってしまったのか」


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