9月1日 はじめまして
世界標準でいうと、9月は新しい年度の始まりということになる。
世界に追いつけ追い越せという意思の表れなのか知らないが、プロジェクトの開始は今日9月1日になった。
ここは日本なのだから、報告書や予算の関係から見ても4月スタートの方が都合がよさそうなものだが、お偉いさんの考えなどわかったものじゃない。
今日は歴史的な日になる。
たいした権限も力もない私にいえるのはそれくらいのことだ。
いつもは和やかな雰囲気の食堂だが、今日は特別な緊張感があった。
プロジェクトの準備に追われていた8月でさえ、食堂にだけはその疲労を持ち込まないよう、メンバー全員が仕事のことを忘れ雑談にふけっていた。
それだけに、今日の緊迫した空気は、このプロジェクトにかかる期待と不安の質量を克明に物語っている。
むろん私も動揺しており、沈黙に耐えられずどうでもいい会話を持ちかけてきた同僚のレミの目にもおなじく焦りの色が浮かんでいた。
それを笑い合い、すこしだけ日常を取り戻した。
午後一時。
疑似生命体アンドロイド、お披露目会の時間。
お話の世界ではめずらしくないその存在も、目の当たりにするのはずっと未来のことだと思っていた。
いや、世間の感覚からすればまだまだ未来のことに違いない。
私たちは特別、未来に生きている。
未来を生きることを許されている。
国から用意されたこの「素体」に、これから私たちは命を吹き込む。
プロジェクトの成否への関心をはるかにしのぎ、「禁忌」への挑戦は、私の心を震わせていた。
私の属するこの機関は国と提携し、他言無用、極秘のプロジェクトを遂行する。
研究員はこれに関する秘密を守り、職務に従する。この二つの決まりを守るだけで、研究員はその後の生涯を国に保証してもらうことができる。
幸か不幸か、浮き世を離れたわずか十名の研究員は、誰も彼も未知と夢への憧れだけでここにいる。
しかし、人間とはちっぽけな動機ひとつで何をしでかすかわからない。
寄せ集めにすぎない私たちに、友情とかそういった感情は表面上でしか芽生えず、根っこには常に欺瞞が渦巻いている。
誰が裏切り、誰が滅ぼすかわからない。
そんな状況の中、どれだけ優しげな人間にも完全に心を許すというわけにはいかなかった。
アンドロイドが収納されたカプセルは厳重に、縦横二メートルのジュラルミンケースに保護され輸送されてきた。黒ずくめの服を着た役人が所長とチームリーダーに何か説明をしていたが、何を話しているのかは聞こえなかった。
ケースより一回り小さいカプセルが研究所の東側、大実験室Aに運び込まれた。
研究所長がケースへコードを繋ぎ、コンピューターを通して初期設定を施している最中、私たちはそわそわと首を揺らして待つのみだった。
ねぇ、どんな見た目だと思う。
かわいいのがいいな。
いかにもメカって感じが俺は好きだぜ。
ちっこい恐竜とかもいいと思うぞ。
なんの生産性もない会話だということは百も承知だが、沈黙に心を握り潰されそうな私たちは無意味に喋り続ける他なかった。
ウンウンと鳴り響いていたコンピューターの駆動音が次第に小さくなり、やがて鳴り止んだ。所長は慌ててカプセルから離れ私たちの横に並んだ。
黙り込んだ十名が見守る中、勢いよく空気の漏れる音がしてカプセルの扉が開いた。
アンドロイドを包んでいた透明の保護液がカプセルから室内へ溢れ出る。
冷気を帯びた蒸気がもうもうと立ちこめる。
全員の視線が吸い込まれるようにカプセルの中へ注がれる。
少女の姿をしたアンドロイドは、ゆっくりと目を開いた。
数回瞬きをして後、私たちの姿を目で捉えると、おもむろに口を動かした。
「はじめまして」
人類の有する最も初歩的かつ原初的なその言葉は、彼女にとって起動音にすぎない。
冷たく、かわいらしい声だった。
文章のストックもまったくありません。
今後の展開もまるで考えていません。
投稿するその日に書きながら考えるという縛りで進めていきます。
そのときの感情でどこまでおもしろく書けるかという挑戦です。