隣の彼と祭りの話
私の隣の席には、佐藤君という男子がいる。
容姿端麗、頭脳明晰、寡黙でクールな彼は、女子からの人気を密かに集めている……が、隣の彼は実際のところ、学校では不真面目かつ無協調で、常にスマホを触っている。その原因は、彼の突出した芯の強さと、小説に対する態度にあると思う。
彼は小説家になりたいと言っていた。きっとそれは本気だ。難しいとか、大変だとか関係なしに、彼荷とって小説家になるということは絶対の目標なんだろう。全てを犠牲にしてでも彼は、その夢を果たすだろうし、それが揺らぐことは一生ない。強くて、けれどどこか私たちと似ている彼に、結果はいつか答えてくれる。私はそう思ってる。
しかし、どんなに凄い彼にも悩みというものはあるようで、隣の席の私は偶然にもそれを知ることになった。
「祭りの書き方が分からない」という、ちょっと変わった悩みを。
「どう、佐藤君。楽しい?」
「……たぶん」
悩みの解決は意外と簡単だった。
私が彼と祭りに行って、その場面のモデルになればいいだけの話。とても単純で、私にとっては少しだけ難しい方法は、何故か彼に了承されて、今に至っている。
「それにしても、人いっぱいいるね」
「……うん」
相変わらずテンションの低い彼とは反対に、私たちの周りでは、並んだ多くの屋台から店売りの人の声がかかり、御輿を担いだ人たちの掛け声が祭りを更に活気づけている。
夜七時にしてこの熱の入り方。正直、ごった返した通路と合わせて、地獄と形容してもおかしくないだろう。
けれど私も、そんな雰囲気が嫌いなわけでもなくて、既に屋台の焼きそばとたこ焼きを食べ切り、今は彼と並んで歩きながら、りんご飴に挑戦したりしている。
「…………」
横を見ると、私と同じく浴衣を着て、輪投げで取ったお面を、頭の後ろに着けた佐藤君の顔が見える。
こう並んでみると、思ったより彼の背は高くて、少しだけ緊張してしまう。だけどそれは、こうやって彼と近づけたからこそ知れるものでもあって、嬉しく思ったりもしてしまうわけで。
「やっぱりお祭りはこうでないとね。……あ、射的だ。やっていく?」
「どっちでもいいよ」
「なら決まりだ」
私は彼を連れて屋台まで行き、一人分のお金を店主のおじさんに払う。
「あいよ。大丈夫かい、嬢ちゃん。少し重いと思うけど」
「はい、大丈夫です。彼がやってくれるので」
「……え、僕?」
佐藤君がこっちを見ると同時に、おじさんに渡されたコルク銃を、バケツリレーのように彼に渡す。
「さ、漢を見せてくださいよ」
「キャラが違う……」
納得がいかないような顔をしながらも、彼は渋々と台に近づいて銃を構える。
……うわぁ、様になってる。さすが男子。私だと、どうしてもビビっちやって上手く構えられないからなぁ。やっぱり男子は、銃とかに格好よさを見出だしたりしてるのかな。
「さて、彼氏さんの腕前、見せてもらおうかね」
そんな思考は、おじさんの一言でどっかに飛んでいって、佐藤君の放ったコルクもどこかに飛んでいく。
「あれ、違ったか? すまん、すまん」
「…………」
「…………」
おじさんの笑顔を無視して、私と彼は視線を交わす。言葉を使わずとも分かる。今、二人の心情は「一等ぶん取っておじさんを黙らす」。それだけだ。
「お命……」
「頂戴いたす」
限界までキャラ崩壊した私たちの放ったコルクは、設置された菓子箱めがけて飛んでいき――
――――
「また遊びに来てくれよー」
店を離れる私たちの背中に飛んでくるおじさんの声は、なんらショックを受けていなかった。つまり、惨敗。結局何も取れませんでした。
「ま、楽しめたからいっか」
「……そうだな」
りんご飴を食べながら呟く私に彼が応える。
次第に小さくなっていく喧騒を少し寂しく思いながら、私たちは祭りのシメ――打ち上げ花火が行われる場所へと向かっていく。
「今日は私、少しでも役に立てたかな?」
「……うん、本当に助かった」
「そっか、なら良かった」
そうやってポツポツと言葉を交わしながら土手を目指していく。このちょっとした静寂が私は好きだった。私の周りにはよく喋る子が多いから、二人の沈黙がやけに心地よくて安心する。
「……佐藤君は、小説、好き?」
「うん」
数日前にした質問。けれど、この日ならば、別の言葉が返ってくるような気がした。
「……どうしてこの世界は、こんなに息苦しいんだろう」
呟かれた声は、少しだけ悲しそうで、私は言葉を返せなくなる。
息苦しいことなんて、ずっと前から分かっていた。何をするにしたって、人は人と関わらなくちゃいけなくて、言葉一つにしたって、取り繕って付け加えて、削ぎ落とした結果を口に出してるだけ。それは、純粋な私の言葉ではなくて、どこか他人じみた声でしかなかった。
それを「仕方ない」とそう割りきって、どこかに折り合いを見つけていくことだけが、私たちがこの社会で生きていく術で、そうしなきゃいつか壊れてしまう。
「分からないことばかりだ」
「少しずつ分かっていけばいいと思うよ」
そんなテンプレートな答えを吐く私は、きっとどこかで現実を受け止めて、簡単に生きていく方法を見つけた人間なんだろう。
隣の彼は違う。彼は、彼が夢を追う限り、社会とは混ざり合えない。現実より夢を。常識より想像を。そうして抗った末に、彼はまた現実から遠のいていく。
それは、とても羨ましくて、望ましくて、ただ――
「……あ」
土手に着いた私たちを迎えるように、最初の花火が空へ舞う。光の尾が空へと翔け、暗闇の中へと溶けて消える。
そして――爆ぜた。
鼓膜を震わす音と共に、空に炎の花が咲き誇る。
ネオンの光が闇を照らし、私と彼の姿を明確に浮かび上がらせていく。
「……僕は、小説が好きだ」
「自分の言えない言葉とか色を、小説は見せてくれるから」
「僕は、僕が一番読みたい小説を書くために、今を生きてる」
「これって、おかしいことかな?」
彼は抗う。例え世界の常識に、彼の小説が空虚だと言われても。一人の確かな人間として、現実を、人を理解できないなりに、自分の方法で言葉を伝えていく。
「そんなこと、ないよ」
それはやっぱり格好よくて、私には真似できないことだった。
……私にも、何か出来ることはあるだろうか。一瞬でも自分という存在を、世界に焼き付けることは出来るだろうか。
……きっと、そんな大きなことじゃなくたって、価値のあることは沢山ある。世間だけが全てじゃないから。確かに大切なものは、誰もが既に持っている。価値を決めるのは、自分自身だ。
「花火、綺麗だね」
「……うん」
気付けば花火の音は聞こえなくなっていた。光を放つ花を眺めながら、静寂の中で隣の彼も言葉を交わす。
「夏は、体育祭があるね」
「僕は苦手だ、そういうの」
「秋はなんだろ、模試祭り?」
「小説でも書いてるよ」
「冬は皆ピリピリしてるだろうなぁ」
「面倒くさそうだ」
「春は何してるだろうね」
「やりたいことやってるよ、きっと」
「今が一番楽かも」
「春が、続けばいいのに……」
それは、これから来る多忙な日々への逃避か。けれど、それはどうしたって叶わない。日々は誰にでも、平等に進んでいくものだから。
大人になっていく内に私たちは、変えられないものを知って、少しずつ妥協点を見つけながら生きていく。生きる理由を見つけて、辛いことを誤魔化しながら進んでいく。
「私も、そう思う」
でも、今だけは自分の気持ちに正直になってもいいと思う。
いつでも祭りは賑わってるし、学校は変わらず明日もある。
変わらないことだって、確かに必要なことなんだ。だから――
この日を、色褪せない思い出にしよう。そう、思った。
まだ続く予定です。