隣の彼と読書の話
私の隣の席には、佐藤君という男子がいる。
そこそこイケメンで勉強はできるけど、授業中はいつもスマホで小説を書いていて、小説以外にはまるで無関心。青春とは無縁そうだけど、たぶん彼からしても誰かと関わるのは御免被るのだろう。
どこまでも人とのつながりを必要としない彼は、人間関係が張り巡らされた学校ではある意味、自由に生きているのかもしれなかった。
そんな彼が、学校でどんな小説を書いているのか私は知らない。短編なのか長編なのか。恋愛モノかミステリーか。他人に興味の薄い彼が描く小説の人物が、どんな風に動いているのか私は興味を持ち始めていた。
特にこれといって才能のない私だけど、他の人よりは読書が好きだという自信はある。大体のジャンルは読むことができるし、毎日一冊は本を読むという習慣は欠かしたことがない。上手いことは言えないけど、私は小説が好きだ。だからこそ隣の彼が書いた小説に興味が湧くわけで。
あまり行動的でない私だけれど、自分の趣味が絡んでくると事情は違う。
思い立ったが吉日。平常運転で指を動かす隣の彼に声をかける。
「ねぇ、何の小説書いてるの?」
彼は数秒ほど無言のまま指を動かした後、視線を変えずに呟く。
「……小説」
「いやそういうのじゃなくて……」
質問の仕方が悪かった。若干「今さら何言ってるんだこいつ」みたいな顔してるし。
「今、どんな小説書いてるの?」
「ヒロインが死ぬ話」
「……うわぁ」
暗いなぁ。ストレートに重いのを突っ込んできた。しかも何故か、彼の顔は少しだけ笑っていた。触れたようなものを切りつけるような、危険で脆い笑みだった。
私はそれにちょっとだけ躊躇したあと、話を続ける。
「ヒロインが死ぬってことは、バットエンドなの?」
「……どうだろ。読む人によると思う」
「へぇ……」
バットエンドでないなら、主人公は救われるのだろうか。それとも死を受け止めて、どうにか生きていくのだろうか。
そういったジャンルの本は何冊か読んできたけれど、決まってそれらは主人公が生きていくことの大切さに気付いたり、ヒロインの分まで生きていこうとするところで終わっていた。
……彼の小説はどうなんだろう。どんな描かれ方をしていて、何をいつも考えているんだろう。それを私は、知りたかった。
「……ねぇ」
あぁ、なんでだろう。これを言うためだけにこんなに緊張するなんて。一息で言えてしまうはずなのに、喉は上手く動いてくれない。でも、それ以上に心の中の私が騒いでいる。彼のことをもっと知りたいと。何かがその小説にはあると。
「それ、私に読ませてほしい。……だめ、かな?」
どうにか口から出た言葉は、訪れた静寂に呑まれてすぐに消える。沈黙。そして、画面を凝視する佐藤君と、動いていない彼の指。
踏み込んではいけないことに踏み込んでしまったのかもしれなかった。何か、彼にとって大切なモノに触れてしまったのだとしたら、私はこれからどうすれば――
無表情な彼を見て、思考がグルグルと回り始める中、隣の彼は少しだけ息を吐いた後、初めてスマホから手を離す。
「……いいよ」
そう言いながら差し出されたのは、いつもスマホで文字を打っていた、私より少し大きい手。
「携帯、貸して。テキスト送るから」
「あ、うん」
変わらず表情の読めない彼にポカンとしながらも、大人しくスマホを渡す。……あれ、もしかして私、彼の小説が読めるの? 夢じゃなくて?
理解が追い付かないままぼけっとしていると、彼からスマホが返ってくる。ホーム画面に表示されたのは、メッセージアプリに新しく登録された彼の名前と、そこに添付された小説のテキスト。
「これで読めると思う」
「あ……うん」
何かダメだ、私。ちょっと、っていうか、かなり嬉しくなっちゃってる。理由なんてそんなのは分かりきっていて、ただ今は、彼の小説が読めることが嬉しかった。
「えっと……ありがと」
「…………」
隣を見ると、相変わらず彼は、すぐにスマホを取り出して指を動かしていた。
返事はなくても、私が感謝を伝えられただけ良かった。たぶん、彼の顔を直視することなんて出来ないだろうから。
「…………」
もう一度、自分のスマホを眺めてから、そっと電源を切る。
私は、彼の小説を読んで、何を思うのだろう。
どんな内容だとしてもきっと、忘れられない一冊になると思った。